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番外編 バゲージクレームのすったもんだ(1)

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クレームNo.1
クレーマー=かおる 関係エアライン=アエロフロート

1989年当時のアエロフロートは、予約のリコンファームを電話ですることはできなかった。直接オフィスに出向かなくてはならなかったのである。 今(2001年)もそうなのかなあ。まさかねえ。でもアエロフロートだから、ひょっとしたら。。。

それはさておき、 パリから帰国するときのこと、 めったに行かないシャンゼリゼに足を運び、アエロフロートのオフィスでリコンファームしたら、取れていたはずの「パリ→東京」便 が取れなくて、 「パリ→モスクワ」と「モスクワ→東京」が違う飛行機になってしまった。 しかもトランジットの時間が1時間足らずしかない。

モスクワに着いて、乗降口の近くにいた地上係員に 搭乗券を見せたら、あの旧ソ連特有の怖〜い顔で"Go quickly!"と言われた。 「きゃーー大変!」と薄暗いモスクワ空港内を一人で走り、無事、乗り継ぎを果たしたが、 荷物の方は乗り継げなかったのである。。。

そのときは 普通の旅行ではなく、 研修がらみの滞在だったので、 私にしては荷物がとても多く、 スキー用のキャスター付きバッグだった。 鍵はかからないが、 バッグの上からロープをぐるぐる巻きにしていた。 そういうバッグにしたからには、金目のものは一切入れないという 心積もりだったのだ。

ところが、である。
パリで買ったスカーフ2万円也をそのバッグに入れてしまっていたのである。
いったいどうしてそんなことをしたのか。魔が差したとしか思えない。

自宅で荷物が着くのを待つ間、 不安と後悔にさいなまれた。

翌日、スキーバッグが届いた。 無事だった。バッグもスカーフも。ほっ。
ただ、バッグをぐるぐる巻きにしてあったロープだけが 無くなっていた。(@_@)


 
クレームNo.2
クレーマー=かおる 関係エアライン=キャセイパシフィック

翌1990年のこと。 今度は「パリ→香港」が遅れた。
啓徳空港(当時)に着くと、乗降口の近くに地上係員が待機していて 降りてくる人々にいちいち「トーキョー?」と声をかけ、 東京行きの人を全員集めた上で、 一緒に走ってくれた。 香港の人はロシア人より親切だ。。。

でも、またまた荷物は乗り継げなかった。(T_T)

今度はあまり心配しなかった。 金目の物は何も入れてないし、第一、アエロフロートじゃなくてキャセイだし。。。

もちろんバックパックは無事に届いた。
でも、2年続けてこういう目に遭ったため、すっかり懲りてしまった。
私が手荷物だけで旅するようになったのはこういうわけです。


 
クレームNo.3
クレーマー=東風さん 関係エアライン=ルフトハンザ

これは、ソフィアからルフトハンザを使ってフランクフルトへ戻ってきたときに発生したものです。

その日、お腹をこわしていた夫は、一刻も早くホテルに入りたいと、スーツケースを私の分までせっせと取り出してくれ、私たちはさっさとフランクフルト中央駅行きのSバーンに乗り込みました。
そこまでは楽勝だったのですが、車内で急に夫が
「あれ?ここ、へこんでる!」
と声を上げました。見ると、買ったばかり(この旅行出発5日前にですよ)のスーツケースの角がへこんでいるではありませんか!
しかし、体調を考えると後戻りするわけにもいかず、どうせ2日後には帰国のために空港へ行くのだから、と ホテルに入りました。その足で市内のスターアライアンス加盟の日系航空会社の営業所(旅行代理店も兼用)へ行き、「出国前にバゲージクレームに申し出て証明書を書いてもらうように」とアドバイスされました。

そして当日、バゲージクレームへ行き、
「話がややこしくなるので、日本人職員をお願いします」
と言ったのですが、
「もう彼らの就業時刻は終わってます」
と言われてしまいました。 (そのとき午後5時30分ぐらいで、日本からのルフトハンザ便は出発・到着ともに終了。 我々はルフトと全日空の共同運航便に乗って帰るところでした。)
そこで私の貧弱なドイツ語で事情を説明することに。
しかも担当のお姉さんはえらい早口で、私は焦るばかり。
「東京に戻ってから『成田に戻ってくるまでに壊れた』と言えばいい」
と言われ、そんなもんかな〜と 納得する寸前までいったのですが、「まてよ。確かにルフトハンザ便に私たちは乗るけど、機体は全日空のもので、このクレームは 言い方次第では全日空のせいになってしまうではないか!」 と思い、
「機体はルフトハンザではないし、それに、証明書があったほうがいいから、どうしても出してくれ」
と言い張りました。
ついにお姉さんの方が根負けして 証明書を出してくれました。(彼女も機体がルフト便ではないことはマズイと思ったようです)
彼女、書きながら、
「こういうクレームは事故が起こってから1週間以内の申請だったら、問題ないん だけどねえ・・・」
とぶつぶつ言ってました。でもルフトハンザで発券当時にもらった紙のどこにも「クレームの申し出は1週間以内に」などとは書いてありませんでしたよ。

帰国後、日本のルフトハンザには問い合わせてみたら、すぐに修理してくれました。


クレームNo.4
クレーマー=あきさん 関連エアライン=エアーカナダ・日本航空

私もスーツケースの角をへこまされたことがあります。

カナダからの帰途、名古屋空港に到着して一番で荷物が出てきたので、並ぶことなく一番乗りで通関できるぞと思っていたら、税関の人が
「スーツケースの角がつぶれているから、航空会社にクレームつけた方がいいですよ」
と教えてくれました。
自分では気づかなかったのでありがたい忠告でした。
でも、航空会社の手続きが終わってみると、もうすでに通関には長蛇の列が。。。あ〜あ・・・。

荷物はモントリオールでエアーカナダに預けたっきりで、その後はいちいち受け取ることなく、バンクーバーから成田経由名古屋まで、日本航空に引き継がれてきましたので、どっちの航空会社のせいかはわからないのです。でも名古屋空港で申し出たら、結局修理代は日本航空が出してくれました。航空会社にしてみれば、そういう時はどうするかがちゃんと決まっているんでしょうね。


クレームNo.5
クレーマー=れいさん 関連エアライン=スカンジナビア航空

自分よりも先にスーツケースが目的地に行ってしまったことがあります。

私たち3人は朝早い飛行機でコペンハーゲンからフランクフルトに行く予定で、 しかもフランクフルトでは他の友達3人と落ち合う予定でした。 コペンでのチェックインのとき「ゲートで座席番号をもらえ」と言われたので、素直にゲートに行って「座席番号を下さい」と言ったところ、「待っていなさい」と言われ、ずっと待っていました。ところが、いつまでたってもくれないのです。

どうやらオーバーブッキングだったようです。
ビジネスマンに優先的に席を与え、 個人旅行でいかにも遊びに来ましたという格好をしていた私たち3人を後回しにしたあげく、「座席がない。200ドル渡すから後の飛行機にしてください」 と言うのです。英語がペラペラと出てこない私たちはろくに反論も出来ず、そのまま後の飛行機にされてしまいました。でもチェックインしたときに預けた荷物だけは、最初乗る予定だった飛行機に積まれてしまった。。。

乗った飛行機がプロペラ機みたいな小さな飛行機で、しかもベルリン経由だったので怖かったのを覚えています。何が怖かったかというと、この時間のこの飛行機に私たちが乗っているのを知っている人(=友達や親)がいない、ということでした。「何かあったらどーするの?200ドルじゃ安すぎる!」と友達と話していたのを思い出します。

フランクフルトに着いた私たちは、 荷物を求めて色々な職員の人に聞きまくりました。 ロビーというか通路というか、とにかくターンテーブルのない ところに置かれているのを見つけたときは、 これこれ、って指差しました。

荷物は無事だったし、 他の3人の友達とも落ち合えたのでよかったのですが、大好きなバンドのライブ前のイベントに行くことが出来なくなってしまいました。(T_T)


 
クレームNo.6
クレーマー=ごおちっちさん 関係エアライン=アイスランド航空

ロンドン〜レイキャビク〜ヘープン(アイスランドの地方都市)でアイスランド航空 を利用した時のこと。

ヒースローではエアー・リンガスがアイスランド航空の手続きを代行していたのですが、ふと気がつくと、レイキャビクは国際線と国内線で空港が違うにもかかわらず、荷物はスルー扱いに なっていました。
おかしいと思って係員に尋ねたのですが、「大丈夫!」とニッコリ。

でも、やはりヘープンに私の荷物は到着しませんでした。

空港の係員がレイキャビクの国際線の空港に問い合わせてくれた結果、 無事荷物は確認され、1日遅れでヘープンに到着しました。
でも信じた私も甘かった・・・(;_;)


 
クレームNo.7
クレーマー=ごおちっちさん 関係エアライン=大韓航空

ロンドン〜(ソウル経由)〜関空と大韓航空を利用した時、 キャリー型スーツケースの角が潰れました。
でも、私がそれに気付いた時は、既に税関を出た後!

インフォメーションで大韓航空のカウンターに連絡してもらったのですが、あいに く係員は不在。
インフォメーションの人が「まだ中にいるのかも?」と言うので、 税関の事務所に行って事情を話し、中に入れてもらいました。
幸いなことに大韓航空の係員はまだ中にいて、証明書を書いてもらえました。
「修理代の請求は保険会社にして下さい」と言われたので、 保険会社に証明書を持参し、1週間ほどで保険が下りました。

・・・余談ですが、関空で証明書を出してもらっている時、 すぐそばにヘルシンキに行くはずの荷物がありました。
どこでどう間違って、関空に来たんでしょうねぇ。。。


 
クレームNo.8
クレーマー= MARIMOさん 関係エアライン=英国航空

楽しかった南仏旅行の帰りのこと。
BAの乗り換え時間が2時間しか無かった。
既に成田で予告されていたことだが、案の定自転車が乗り 継げず、ヒースローに置いてきぼりになった。
帰りだし、それも仕方 あるまいと、成田のカウンターで手続を済ませた。

だが、知らぬ間に世の中大変なことが起こっていた。 英米軍によるアフガン空爆が始まっていたのである。

荷物はストップされてしまったのか、予定より2日も遅れて 宅配便で到着。
これでもかってぐらい厳重に梱包されていて BAも大したもんだと感心していたのである、袋を開けるまでは 。。。

開けてビックリ輪行袋。
ブレーキレバーは曲がり、ワイヤー 破損。サイクルメーターはどこかに紛失。同梱のヘルメットは ヒビだらけ。 どうもセキュリティーでストップしている間、 とんでもない詰め込まれ方をしていたらしい。
クレームを付けたいところだが、ソフトケースの場合、 クレームは付けられないというのは、どのエアラインも同じ。
泣く泣く自腹で修理したのであった。

:MARIMOさんは旅するサイクリスト。自転車が旅の相棒なのです。


 
クレームNo.9
クレーマー= かおる 関係エアライン=エールフランス

No.1No.2 の経験以来、手荷物だけで旅するようになっていたのだが、 2001年12月のイギリス旅行のときは方針を曲げた。 アメリカ同時多発テロ以来、手荷物検査が異様に厳しくなって、 眉毛をカットするはさみでさえも捨てさせられたと聞いたからである。 それに、パリでのトランジットは3時間もあるのだ。 いくらフランス人でも、それだけ時間があれば積み残すことはないだろう。。。

ところが、積み残したのだ。それも大量に。

同じ便(22日早朝マンチェスター着)だけで20〜30のロストバゲージ。 同行の友人(=ゆきみ)の荷物も出てこなかった。

(この時点でいや〜な予感はしていたのである。 もしかしたら、自分自身がこのコーナーの ネタになってしまうんじゃないか・・・と。 そして、その予感は的中してしまうことになる。)

延々と待たされたあげく、ようやく書類を提出し、 (翌日の午前中に届かなかったらここへ電話しろとメモを渡されて)、 空港で待っていた友人たちとレンタカーで湖水地方へ。 翌日は朝からドライブ三昧。夕方になって戻ってきたら、、、、 がーん!!届いているのは友人の スーツケースだけ。

ここは英語堪能な友人(=ふゆき)に電話してもらうしかない。 空港でもらった番号に電話を入れると、なんだかんだ時間を食ったあげく、 運送会社の電話番号を教えられ、そこに電話をかけて、さらになんだかんだ。 シャルル・ド・ゴール空港に大量の積み残し荷物があるらしいという ことだけがわかった。

その翌日、翌々日も荷物は届かず、 夕方帰宅しては、電話を入れ、「まだ届かない」メッセージを入れる日々 が続いた。

荷物の無いまま湖水地方をあとにし、26日夜ロンドン入り。 翌27日は買い物に行く友人と別れ、 エールフランスのロンドン支社に直行。 「ロストバゲージだ」と言うと、カウンターの男性は にこやかに電話をかけて、、、「はい、どうぞ」と 私に受話器を手渡す。 えーっ!! わざわざ出向いてどーしてこーなるの? と思いつつ、今まで友人に言ってもらっていたのと同じことを、 エールフランスの荷物担当と、マンチェスターの運送会社とに 言う羽目になった。 「今はロンドンにいる」と言うと 住所を訊かれる。 メモ帳を見たら、、、うわっ、有名ホテルだと思って安心して 電話番号とファックス番号しかメモってこなかった。。。 「このあとパリに行く」と言ったら、 そっちの住所も訊かれた。そっちは小さいホテルだから きちんとメモってある。。。

でもなあ、と、エールフランスを出て、 リージェント・ストリートを歩きながら考えた。 この状況は湖水地方で毎日電話していたときと なんら変わりないじゃないか。 それに、賠償のことを訊くのを すっかり忘れちゃったし。 と いうことで、会社にいるふゆきに電話したら、 昼休みに一緒にエールフランスに来てくれると言う。 頼もしい。百人力だ。

再度足を運んだら、今度は中年女性が対応してくれて、 あちこちに電話をかけ、パソコンに向かって確認し始めた。 いろいろやっているうちに、私の荷物は届け済みとして処理されているらしいことが わかってきた。 どうも最初から友人の荷物とReference Numberが逆に付けられていた らしい。 (そういえば、成田の地上職員、日本人なのに ラテンが入っているみたいな、 妙にハイテンションで怪しい奴だった。) というわけで、いったん処理済みとして閉じられたファイルを 再度開けることになった(らしい)。 「恐らくパリで荷物と合流できるだろうから、 シャルル・ド・ゴール空港に着いたら、 Terminal2Fの"service-bagage"に行ってください、 でも一応パリのホテルの住所も教えてください」 さらに賠償のことをふゆきが上手に言ってくれたら キャッシュで50ポンドくれた。 ふゆき、ありがとうっ!!!

かなり期待したのだが、 シャルル・ド・ゴールでも荷物に会えなかった。 空港に山ほど荷物があって、どこにあるかわからないのだそうだ。 「ホテルに送ります」と言いつつ、 「間に合わなかった場合は日本の住所にお送りします。 心配はありません」。 おお、力強いお言葉!! でもねぇ、、、できたら、日本よりも パリで再会したいものだわ。

結局、3日間のパリ滞在中も荷物は来ず。 成田行きの便にチェックインするとき、 「ロストバゲージなのですね」と声をかけられた。 よかった。私の情報はちゃんと生きているらしい。 「成田に着いたら、 ベルトに乗って出てくるかもしれませんから、見てください。 出てこなかったら職員に申し出てください」

言われたとおり、期待をこめてベルトの上を見たけれど、 やっぱり出てこなかった。 今度の成田の地上職員は 実にまともな?日本人で、当然のことながらきわめて低姿勢だった。 彼が言うには、22日、シャルル・ド・ゴールの 荷物を送るベルトが故障して、大混乱に陥り、 一時は7000個の荷物が溜まったままになり、 「何もわからないから、パリに問い合わせてくれるな」という 事態になっていたそうだ。 最悪の場合に備えて、保険会社に連絡しておいたほうがいいと 言われ、帰宅後、即電話する。

いよいよ覚悟を決めたその夜、エールフランスから 荷物到着の電話が入った。 翌日(1月2日)、 無意味にヨーロッパを廻った荷物が帰宅した。

* * * * *

:1日遅れで届いた友人のスーツケース、 南京錠が1個無くなっていたけれど、 クレームを付けたらすぐに新品のをくれたそうです。


 
クレームNo.10
クレーマー= りひとままさん 関係エアライン=シンガポール航空

初ドイツの帰り。費用節約でシンガポール航空を利用した時のことです。

帰国時、「チューリヒ→シンガポール→仙台」というパターンでした。 乗り継ぎがあるので荷物のことが心配だったのですが、 「まあ、乗り継ぎに6時間以上もあるから」と安心していたのです。

それなのに〜〜、出てこなかったんです。仙台で。

空港係員に即訴えて、書類を書いてその日は帰りました。 その際「荷物があとで届いた場合『別送品』扱いになるので中身をすべて検査します」と 言われ、スーツケースの鍵、ダイヤルキーの番号まで聞かれました。 翌日「シンガポールでの積み残しで、今日届きました」という電話。

と、ここまでは良かったのですが、 「中身を点検したところ、ちょっと薬物が見つかったので税関まで来てください」 という呼び出しが。

その薬はちゃんと医師から処方されたものだったので、そう訴えたら、 カルテのコピーを要求され、しかも処方した医師にまで電話がいったのです。

結局、私の潔白は証明されましたが、薬はその場で廃棄処分。
小さなポーチに入れた薬だったのです。
そこまで細かく調べたんだ・・・・ 仙台だからかな・・・ 成田だったら忙しいから、そんなに調べなかったかも・・・・
これ以後、薬は必ず手荷物に入れています。

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