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番外編 その他もろもろのすったもんだ(1)

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No.1
投稿者= じゅんさん 場所=ベトナム 時期=1997年10月

「ベトナムにおける被害」に書いたように、 ホーチミンでシクロの運ちゃんとけんか別れしてから、 1人でドンコイ通りを歩いていてサイフをすられたのだが、その翌日、ベトナムの古都フエを訪ねた。
「ワンアワー ワンダラー」と言いつつどこまでもうるさくつきまとってくるシクロを無視して、ひたすら歩く。フォン川のほとりを歩いていると、ボートトリップが1日10ドルだと言う。安いと思ったが、ボートは怖い。シクロならけんかもできるが、水上じゃあ「100ドル出さなきゃ陸に着けない」とか言われたら、おしまいだからである。
その夜、カフェで地元ビールのフーダを飲みながら食事をしていると、旅行代理店を兼ねているカフェのおやじに、「10ドルでプライベートボートを手配してやる」と言われた。代理店を通して申し込めば、ちょっとは安心かもしれない。 時間的な余裕があれば、3ドルのボートツアーに乗る手もあったのだが、 ぼくは、翌日の夕方のフライトで、帰国しなければならなかった。そこで、ティエンムー寺と、ベトナム最後の王朝グエン朝の皇帝のお墓(全部で5つある)を廻るプライベートボートを手配してもらうことにした。
翌日カフェに行くと、船長が迎えに来てくれた。ボートには奥さんと小さな子供3人が乗っていた。この船で生活しているという。でもかえって安心した。悪い人じゃなさそう。

ところが、 出発して間もなく、エンジントラブルでボートが漂流し始めたのである。船長の懸命の努力にもかかわらず、エンジンは直らない。 結局、ボートは1時間くらい川の流れにまかせていた。ようやくエンジンがかかり、お墓の一部をはしょって、無事ツアーを終えることができた。 でも、5つの帝廟を廻るはずなのに、漂流したせいで、全部廻れなかったのだ。
それに、漂流している間じゅう、ぼくは「このままエンジンがかからなかったらどうしよう・・・」と悲嘆にくれていた。この心痛に対する慰謝料(笑)も欲しい。。

船長が「何か書いてくれ」と差し出してきた大学ノートには、乗船した旅行者の感想が書かれていた。正直に漂流して流されたことを書いておいた。まあ、乗ってからこれを読んでも手遅れなんだけど・・・何を書いたかわからない船長は喜んでいた。

 
No.2
投稿者= じゅんさん 場所=ベトナム 時期=1998年10月

97年にホーチミンとフエに行き、シクロのおにいちゃんにぼられ、ドンコイ通りでサイフをすられ、フエの川に流されたぼくでしたが、おいしい食事とアオザイを着たかわいい女の子を見たさに、98年秋にも懲りずにベトナムに行っちゃいました。

ハノイにはサーカス場があります。社会主義国のサーカスは、日本のようなキワモノ芸ではなく、れっきとした芸術です。ぜひ見ねば。でも今日やっているかわからない。ホテルの人に訊くと「ある」と言う。不安なので、街歩きの途中で寄ったCDショップでも訊いてみたら、やっぱり「今日はあるよ」と言います。 でもって、行ってみたら、公演日じゃない。知らないのなら知らないと言えばいいのに。これってベトナム人の欠点ですね。

しかたがないので,ベトナムの伝統芸能である水中人形劇を見に劇場へ行くことにした。
「ここからは遠いから、バイクタクシーかシクロだな。」
この時は、友人と2人だった。彼がどうしてもシクロに乗りたいというので、料金交渉にはいった。でもなぜか「遠すぎる」とみんなに断られてしまった。何台かと交渉ののち、ようやく1台のシクロが1万5千ドンで引き受けてくれた。

男2人体重合計150キロを乗せたシクロは、ゆっくりと進んだ。
1キロほど走り、街の中心部の手前で止まった。ここから劇場まで2キロはありそうだが、なんでも、ここから先はシクロは乗入れ禁止なのだと。ここから歩けということらしい。他のシクロが断ったのは、こういうことだったのだ。  
「こらー!! ここまでじゃ3分の1じゃ。5千ドンしか払わん。」
と言って、5千ドン札を出すと、受け取ろうとしない。しかたがないので、そのまま歩き始めると、情けなさそうなカオをするだけで、追いかけてもこない。気の毒だけど、契約違反だからな。

    [解説]
    ホーチミンもハノイも、市街地の中心部はシクロ乗り入れ禁止なのです。あの運転手が最初から断っていれば、我々は多分、バイクタクシーで行ったことでしょう。1万5千ドンで劇場まで行くと約束した以上、禁止区域を迂回してでも行くべきだと思います。それを中途半端なところで降ろした上、後は歩いて行けというのは信義則に反します。
    我々2人は、暑い中、劇場の開演時刻を気にしながら、早足で歩いて行かざるを得ませんでした。 ぼくは料金を踏み倒そうとしたわけではありません。距離が3分の1だから5千ドン払うと申出たにもかかわらず、受け取りを拒否したのです。
    ベトナムはこれから発展する国です。だからこそ約束は守って欲しいのです。解説終わり。

ホーチミンの敵をハノイで討ったじゅんでした。でも今思い出すと、ちょっと胸が痛みます。


No.3
投稿者=じゅんさん 場所= イギリス 時期= ?年

はじめての海外旅行でヨーロッパを旅したときのことです。 最初の訪問都市ロンドンに着いて、街を歩いていると50才位のおじさんに話しかけられました。おじさんは大変な日本びいきで、日本のことをよく知っています。誘われるまま、一緒にレストランに行き、 食事をごちそうになった後、車でロンドンを案内してくれると言うのです。
車に乗るとやばいと思ったぼくは、始めは「自動車は嫌いで、歩くのが好きだ」と断ろうと思ったのですが、断り入れずにおじさんの車でロンドン市内観光をすることになりました。
このおじさんは、レストランでビールを飲んでいたのですが、平気で車を運転します。ヨーロッパにおける自己責任とはこういうことかと思いました。 テムズ川を「テムズリバー」と言ったら、「我々はリバーテムズと言う。 テムズリバー OK リバーテムズ ベター」と言われました。
市内観光のあと、「ぼくのアパートに行こう」と言われ、気を許していたぼくはのこのこ着いていきました。
おじさんの家は、映画「死刑台のエレベーター」にでてくる古いリフトのあるアパート。日本ではマンションと呼ばれるもの。
おじさんの部屋には、葛飾北斎の絵が飾ってあり、ステレオはソニーでした。 しばらくの間、日本ではやっている歌のことや四方山話をしていたのですが、だんだんおじさんは本性を現し、ぼくの体に触ってきました。 怒って「帰る」と言うと、謝ってあっさり帰してくれました。
帰りも車でホテルまで送ってもらい、途中ガソリンスタンドに寄って、缶ビールを4本をお土産に買ってくれました。

このおじさんがもっとタチの悪いホモだったら、今頃ぼくはアメリカ映画のようにハイドパークの土となっていたかもしれません。ロンドン到着初日の危ない経験でした。

教訓 知らない人の家にのこのこと行ってはいけません。


No.4
投稿者=かおる 場所= フランス 時期= 1999年12月

風邪で胃をやられ、リジューで2日間ダウンした 「夢は枯れ野を」の続きです。

「ミレニアムの暴風雨」にずたずたにされたフランスの鉄道網だったが、 ほとんどの地域では、1日で復旧した。 ところが、よりによって、私がいるノルマンディー地方---パリのほんの目と鼻の先---だけ、復旧が遅れた。 朝昼晩と駅に通い、当時ロンドン在住だったふゆきに 電話で「まだ行けない」と連絡を入れ、あとはホテルのベッドで寝て過ごした。

2日目の夜、ホテルのおばさんが「明日の朝から電車が動くって、ニュースで言ってたわよ」と教えてくれた。

翌朝、まだ薄暗い中をリジュー駅へ急ぐ。
駅前には「パリ行きのバスに乗らないか」と、人々に声をかける男性がいる。 なんでも「電車だと何時間かかるかわかったものじゃない、バスのほうが確実」なのだそうだ。 一瞬迷ったが、結局当初の予定どおり電車にする。 パリ行きの切符を買い、電車に乗ると、恐れていたほどは混んでおらず、座ることができた。
やれやれ嬉しや・・・と思っていたら、車内放送が入った。
「次はエヴルー。終点です。バスに乗り換えてください」
なにぃ?! パリじゃないのお?! そんなこと、聞いてないよ! と思ったが、言われたとおりにするしかない。周りの人々の流れに乗り、駅前広場に出ると、バスがずらりと並んでいた。
日本だったら、ここで拡声器ががんがんがなりたてるところだ。 「バスはたくさんあります。1台に集中しないでください」とかなんとか、 そんなこと見りゃわかるじゃん、と言いたくなるようなことが、エンドレスで繰り返されるはず。
ところが、ここフランスではすべてが静寂の中で進む。 人々は自分の目と頭で判断して、整然とバスに乗り込んでいくのだ。 素晴らしい。 私もそれにならい、バスに乗り込んだ。 (前のほうの座席だったので、バスに乗り込んでから、 中から外の様子を写真に撮ることができた。それがトップページの写真です。)
運転手がやってきて、車内を見回し、満員になっているのを確認し、 無言で発車。 朝日の中、バスは軽快に走った。(*^_^*)
「今度こそパリに着くのだ!」と楽しみにしていたら、あらら、 バスは郊外の大きな駅の前に停まった。
運転手が「ナントカカントカ」と地名を言うと、人々は無言で降りる。 駅には「パリ行き」という表示が出ていた。 人々はそれを見て、無言でさっさとホームへ行く。 それにならって私もホームへ行き、停まっていた電車に乗り込んだ。 この電車はかなり混んでいて、ずっと立ち通しだった。

こうして、パリのサン・ラザール駅にたどりついたのだった。 電車が正常に運行していれば2時間もかからないはずのところを、 4時間以上かけて。

時間はかかったが、きわめてスムーズだったという印象が強い。 なにしろ静かだったし。
でも、切符は買わなくてもよかったなぁ・・・検札来なかったし。

パリに着くと、すぐさま北駅に行き、ユーロスターの窓口に走った。 持っている切符(前日のもの)を見せて、こう言った。
「私はノルマンディーにいたため、 パリに来れなくて、この電車(←切符を指さしながら)には乗れなかった。 今日、ロンドンに行かなくてはならないのである」
すると、窓口の女性はにっこりして
「『行かなくてはならない』んですね!」
と言い、新しい切符を用意しながら 「10分後に出る列車です。走ってください!」
言われたとおり、走り出そうとした瞬間、 隣の窓口で日本人らしき男性が 「コンフュージョン(混乱)」と叫んでいるのが聞こえた。 きっと「鉄道の混乱のせいで乗り遅れた」とか言いたいんだろうなあ。 そんな言い方したら、通じるものも通じないわよ〜  でも私は急いでるから、手伝ってあげられない。ごめんね〜 

ロンドンに着いて、 ふゆきたちがアフタヌーンティーしているホテルに、タクシーで駆けつけた。 普段はタクシーなんか、絶対に乗らないのに。
ミレニアムの暴風雨のせいで、お茶に遅れたし、よけいな出費がかさんだぞ(怒)


No.5
投稿者=べらさん 場所= フランス 時期= 2003年9月

ロワール、ブルターニュ、ノルマンディーを車で廻ってきました。
ブレスト近郊を18時半に出発。行けるとこまで行って、そこで自動車道を降りたところあたりで、ホテルをとればいいや・・と思い、がんばって、ディナンまで行きました。
赤ランプがついていたので、まずガソリンを入れ、それからホテル探し・・・。これが21時半くらいだったでしょうか。自動車道を降りたところにはホテルがなかったので、旧市街まで行って探しましたが、全部満室。で、サンマロに向かうことにしました。サンマロに行く途中の、道路沿いの4、5軒のホテルもすべて満室。 サンマロでも、6軒ほどきいたけど、満室。
もう、23時過ぎたし、ホテルを探し回るのにも疲れたので、諦めて車中泊をすることに。
ホテルとスーパーが同じ敷地内に建っていたので、そこの駐車場に車を停めて休むことにしました。 23時半くらいだったかな?
うとうとしていると、なんかすごい声が・・・。
何かと思ったら、ティーンエイジャーが4、5人建物の辺りにいます。
あわてて同居人を起こして、「車を動かそう」と言ったら、「今、動かないほうがいいやろう」と言われました。確かにそうですね。
ティーンエイジャー達はスーパーのガラスを割って、行ってしまいました。彼らがこっちに気がつかなかったのは幸運でした。
それから、車を移動させて、自動車道の「P」のところに停めました。これって、車道の横の車一台がようやく停められる程度の空間。車が通るたびに振動がするのですが、ま、仕方がないと朝までここに。うとうとするばっかりで、なかなか眠れませんでした。(同居人はよく寝ていました。)
有料道路とかだとちゃんとしたパーキングがあると思うのですが、この近辺では見当たりませんでした。 とりあえず、何事もなくてよかったですが、おかげで私は次の日は車の中で爆睡。同居人の顰蹙をかいました。(笑)


No.6
投稿者=こたろうさん(女性) 場所= クロアチア 時期= 2003年夏

クロアチアのドブロブニクでのこと。
たまたま知り合ったアメリカ女性と、バス停で客引きをしていたおじさんのプライベートルームに泊まることになりました。が、彼女は2泊、私は5泊したかったので、
「彼女が出て行った後も、そのツインの部屋に同じ料金で泊まっていていいのか」
とまずは確認し、おじさんもOKと言ったのでツインをシェアすることに。
私は5泊分の料金を一度に払いました。 料金は、1泊110クーナ(約2200円)。ユースより4〜500円高い程度です。交渉したわけではなく、おじさんの言い値です。

しかし、4泊した朝、シャワーを浴びていると、誰かがドアをノック。あわてて出て行くと、おじさんがいて、
「今日も泊まりたいなら、あと50クーナ払え。払わないなら、出て行ってくれ。お金は返す」
と言うのです。わけがわからないので、理由を聞くと
「もっと払いのいい客を呼ぶから」
つまり私は安い客だということです。
そんなお金は払えない、と言うと「じゃあ出て行け」と、100クーナを私に渡してきたので、10クーナ足りないと文句を言うと、
「君は今日シャワーを使った、部屋を汚した」
と。チェックアウトは10時。そのときはまだ8時過ぎでした。文句を言って、全額どうにか返してもらってきましたが、彼は「今すぐ出て行け!」と言って、また客引きに出かけてしまいました。
私はしかたなく、その日のうちによそへ移動しましたが。

ドブロブニクがほんとに素晴らしい町だっただけに、残念です。
でも、この辺りのプライベートルームって、ケチって噂なんですって。
そういえば、この宿、洗濯を頼むと1000円くらい取られるって・・・。 車の送迎にも1000円くらい取ってました。5人そろわないとバスより高い・・・・。
今となっては笑えますけどね。

 
No.7
投稿者= デルタダートさん 場所=イギリス 時期=2005年5月

今年のGWにイギリスに行ったときのことです。
ヨークシャーと湖水地方を廻って、最後にロンドンで1泊の予定で ネットで事前ににホテルを予約して行きました。
予約したホテルに行くと、「予約がキャンセルされている」 と言うのです!
結局、フロントの人に紹介された、同じ料金ながら少しグレードの低いホテルに泊まりました。

日本に帰ってメールをチェックすると、キャンセル確認のメールが届いていました。その日付は私がロンドンに移動した日・・・。

結局、最初予約していたホテルからのカードへの請求は無かったので、そのまま放置してしまいました。
金銭的被害は無かったけれど、ロンドンで金曜の夕方に宿探しをしないといけないかもと思ったとき、かなり焦ったというのが被害でしょうか。

 
No.8
投稿者= ゆきみさん 場所=スペイン 時期=1999年夏

スペインのセビジャの宿を、日本から電話とファックスで予約していきました。カード番号は伝えてありませんでした。確か、カード番号はいらないと言われたのだと思います。 予約のとき、「午後遅くなる」とちゃんと伝えてありました。

トレドの駅を出る前に(午前中)、一応確認の電話を入れたところ、「今すぐ来ないなら、あなたの部屋はない」と言われました。
「部屋を確保したかったなら、お金を送ってくるべきだった」とも。
あぁ、わたし、こんなに英語で話せるのねと思うほど、ありったけの英語で怒鳴り散らしてしまいました…電話で。
一緒にいた友人が冷静に、「何を言っても始まらないから他のホテルを探そう」と言ってくれて、とりあえず持っているガイドブックのリストの上から電話をしてみたところ、値段の折り合いのつくホテルがすぐに見つかりました。 そのホテルは、中心街からはややはずれるものの、エアコンつきで快適で、何よりバスターミナルに近くて、次の町への移動に便利でした。

だから、被害はありませんでしたけど。デルタダートさんと同じく、一瞬の精神的圧迫が辛かったです。

ちなみに、予約を受けてくれたのは、おじさん。「部屋はないよ」と言ったのはおばさんでした。

 
No.9
投稿者= カシオペイヤさん 場所=アメリカ 時期=1997年

これはどちらかというと「冷や汗」ネタですが、広い意味の「すったもんだ」であると判断しました。(かおる)

* * * * * * * * * *

ラスベガスで、グランドキャニオンへ行く小型飛行機に乗りました。16人乗りくらいの小さな飛行機数台に、各地から集まった日本人のツアー客が分乗して行くというもので、パイロットと乗客とで飛行機ごとに記念撮影をし、次々に乗りこんでは飛び立っていきました。
次は私達の番。シートベルトをし、案内用のヘッドフォンをつけて、準備OK!と思っていたら、飛行機はぐるっと飛行場を「走って」一周し、もとの場所に戻って止まりました。
なにやらエンジンがどうとか放送がありましたが、乗客は皆英語がわからず、ぽかんとしていると、パイロットが出てきて「降りろ」の仕草。 わけがわからないまま待合室に戻されました。
ガイドさんから説明があり、やっぱり機体にトラブルがあったそうでした。
「飛ぶ前にわかってよかったね。」
「きっと代わりの飛行機で行くんよねー。」
と話しながら10分待ち、20分待ち、・・・なかなか案内されません。
その日はツアー客が多くて、ほとんどの飛行機が出てしまっていたのです。
結局40分以上待ち、案内されたのは先ほどと同じ飛行機。
そして一言「修理したのでこれで行きます。」
・・・それからグランドキャニオンまで、飛行機の中には異様な緊張感が。 ヘッドフォンから流れてくる景色の説明なんて、誰も聞いていません。
無事着いたときには、周りの人達と思わず顔を見合わせてにっこり。
観光を終え、ラスベガスの空港に戻ってきたら、最初に撮った写真ができあがっていました。
「もし落ちていたら、このまま新聞に載ったのかな。」と思ってぞっとしましたが、無事に帰って来られた記念に買っちゃいました。

「気流が不安定なグランドキャニオンで小型飛行機に乗るのは
非常に危険」と 某保険会社の人が言ってました。
でも私も乗りますよ、行ったらきっと(かおる)

 
No.10
投稿者= HALLさん 場所=中国 時期=2000年

これはどちらかというと「冷や汗」ネタですが、広い意味の「すったもんだ」であると判断しました。(かおる)

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雲南省で 中甸〜麗江 の長距離バス(国営の大型バス)に乗ったとき、 整備不良だったため、運転手が脇にあるエンジンカバーを開けたとたん、 エンジンオイルがブァッーっと飛び散って、、 最前列に座っていた私は全身こげ茶色の斑点模様に〜。。
運転手はなんとも思っていないようでした!
で、これはヤバそ〜〜と、後部座席に移りました。

・・それから暫く後のこと・・、 今度は、エンジンルームから白煙がモウモウと立ち上がっています。
上り坂です、、・・と、ついにその煙に火が点いた のです。
車内には煙が充満・・大騒ぎです・・
「窓を開けろ〜〜」とか言ってるようでした。
車両の扉は運転席の脇にあるため、近づくことができず、全員、窓から脱出。
山の中とはいえ、麗江の街に近かったので、すぐにミニバスが通りかかり、 長距離バスの運ちゃん払いで、乗り込みました。

★洗濯代、貰ってないぞ〜〜!

麗江の街を歩いていると、一緒に命びろいした連中(=香港からのグループ)と出くわしました。
そのとき仲間意識があったのを覚えています(笑)


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