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番外編 トランジットのすったもんだ

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No.1
投稿者= 銀の匙さん 場所=仁川 時期=2004年1月

アシアナ航空でニュージーランドに行きました。 当然、韓国で乗り継ぎすることに。
行きはすぐに乗り換えなので問題無かったのですが、帰りの便は韓国に夜着いて、翌朝日本へ出発という スケジュール。 仁川国際空港はソウル市内から遠いし困ったなあと思い、 行きに空港の案内所で相談したら、「エアガーデン」というトランジットホテルが空港内にあるというので予約しました。

ところが!! 帰国時ぼけっとしていて、うっかりイミグレーションを通って外に出てしまいました。 ホテルは乗り継ぎ階にあるので当然宿泊は不可能(アホです!!)。
ところが、何が幸いするかわかりません。半べそをかいてまた空港で相談したら、すぐに別のホテルを手配してくれました(もちろん手数料は無し)。 夜だけとは言え仁川市内も見学でき、アクセスもバッチリ。 一番安いところを頼んだにもかかわらず、とても良いホテルでした。韓国に対する好感度がさらにアップしたのは申すまでもありません。

日本で空港内にこういう案内サービスがあるのかどうか知りませんが、もしなかったらぜひ採用していただきたいなと思いました。

 
No.2
投稿者= ふゆき 場所=モスクワ 時期=1988年3月

高校と大学の間の春休み、ロンドンに遅い時間に到着するのが不安で(かわいかったなあ)、モスクワで一泊することにしてたんだけど、モスクワに着いたらホテルはオーバーブックしていていて泊まれなかった。
どうしていいのかもわからなかったため(なさけないなあ)、素直に空港のロビーで一晩あかした。 同じフライトで4人の日本人が同じ目にあいました。 さらに、日本に行くフライトに乗り切れなかった日本人もモスクワの空港にいたりしました。

ベンチで横になってコートかけて寝てました。
3月のモスクワはまだ寒かった。
今はアエロフロートの機内食も美味しくなったけど、当時はかなりやばくって、空港でだしてくれた食事もかなりやばかった。
あのあたりでは、今でもあるけど、怪しい味のする炭酸水を出すんです、ミネラルウォーターとして。。 あれはなんなんだろうなあ。 とにかくその水がまずかったことが印象的です。

だから、モスクワの空港はとっても愛着があります。特に天井。横になって見てたから。(笑)

この前、久しぶりにアエロフロートに乗ったときも、12時間ほどモスクワの空港に居ました。 15年が経ち、免税店が充実したなって思ったけど、大きなリノベーションはないみたいで、当時の記憶と同じ内装でした。ベッドがわりに使ったベンチもありました♪
変わったのはたぶんわたし〜。ずいぶんたくましくなったもんだ。


No.3
投稿者=かおる 場所= ソウル 時期= 1977年9月

「原点の旅」の帰りのことです。
パリ→アンカレッジと廻り、ようやくソウル金浦空港にたどり着くと、 怖い顔した係員が「東京に行く人は集まれ」
何かと思ったら、「羽田(当時、まだ成田空港は存在していなかった)行きのジャンボの調子が悪くて、 飛べなくなったため、小型機に振り替えることになった。小型機だから全員は乗れない。 急がない人はホテルを用意するから韓国に1泊しろ」と、びしっと言われました。
当時のんきな学生だった私と友人、「韓国に泊まれるなんて面白そう♪」と手を挙げたのですが・・・
さっさかバスに乗せられ、高速道路をびゅんびゅん走った先の、 町から遠く離れたホテルに連れていかれました。
観光どころか、ホテルから出ちゃいけないの。
おじさんの中には、部屋におねーちゃんを呼んでしっかり遊んだ人もいたみたいだったけど・・・

今は昔、という感じがします。
あの頃は、韓国は軍事政権で、すごいコワモテの国だったのです。 空港も軍事機密だから、写真撮影禁止だった。 そんな時代だったんです。

翌日、帰国したら、 2日続けて羽田通いさせられた両親に怒られました。
今は海外旅行するからと言って、 家族総出で空港に送り迎えされる人なんて、 あんまりいませんよね。
そういう意味でも、今は昔。


No.4
投稿者=leiraniさん 場所= ロンドン 時期= ?年

ザンビア(中央アフリカ)に行くときのこと。
ロンドン〜ヒースローからガトウィックに移動する時間が3時間しかなくって、空港間の急行バスが渋滞で遅延してしまったのです。
バスチケットを買ってバス停で1人、ぼ〜〜っと待っていたら、バス会社のオバサンが走ってきたかと思うと、むんずと私の腕をつかんで連行しようとしました。彼女に引きずられて走りながらなんとか聞き取ったのは 「いまケンブリッジ行きの急行バスがガトウィックに先に行くから、そっちに乗らないとあなたは間に合わない!」という内容。ガトウィックまでは急行バスで1時間半かかるというのです(それまで知らなかった…)
バスに押し込まれて、あれよあれよという間にバスは発車してしまうし、買ったチケットはまったく無視されるし、遅れたらそれでもいいやと覚悟を決めました。

無事にガトウィックについて、ぎりぎりで搭乗できましたが、 もし間に合わなかったら…
実は次の便は翌々日だったのでした(苦笑)知らないって強いですよね〜

おまけに、そのアフリカ便で、間違えてジンバブエで降りそうになった私です…


No.5
投稿者=かおる 場所= シアトル 時期= 1988年8月

友人と2人でアメリカ旅行したときのこと。
東京→シアトル→ニューヨークのジョンFケネディー空港という便だったのですが、そもそもシアトルの乗り換え時間が45分しか無かったというのが、あまりにも無茶だった。 成田の出発が30分遅れたときから、「こりゃダメかも」と覚悟していたのですが、 シアトル到着は、一応ニューヨーク行きの出発時間よりも前でした。 なので、最善を尽くしました。 バックパック背負って、広ーーーーいシアトル空港を走りました。 でも、やっぱりダメでした。
あああああ、私たちの飛行機が飛んでったーーーー!

でも、アメリカでは、飛行機は「下駄代わり」と言われるほど、日常的な交通手段 だから、ユナイテッドはさっさと違う便を手配してくれました。 それは、デンバー経由ラ・ガーディア空港午後11時55分着。
えーーっ、ラ・ガーディア!!!  
目をむいた私たちに、 係員は「ラ・ガーディアのほうが、ジョンFケネディーよりも、ずっと都心に近くて便利なのですよ」と 親切に説明してくれます。
そんなこたあよーくわかってるんですよ。問題はね・・・
実は私たち、ジョンFケネディーに夜9時着の予定だったため、 JFKヒルトンを予約してあったのです。

真夜中のラ・ガーディアでタクシーを拾うのはドキドキものでした。 幸い、(人間的には)ちゃんとした運ちゃんだったけど、 なんとJFKヒルトンの場所をよく知らなかった!!!  うっかり行き過ぎてしまって、高速道路上でいきなりストップ。げげっ!  そして、、、バックした!!!
うっそーーー!!!!!
事故らなかったけれど、ほんとに怖かった。 アメリカ旅行中、いちばん怖かったかもしれない・・・


No.6
投稿者=銀の匙さん 場所= アムステルダム 時期= 2005年9月

チェコ旅行に 出発する日、予定通りに成田に着くと、旅行会社の発券カウンターでいきなり 「到着便に遅れが出ているので、接続便を振り替えました。詳しくはチェックインカウンターで聞いてください」と宣言されました。
現在のところ日本からチェコへは直行便がないので、どこかで乗り継ぐ必要があります。 もともと接続の時間が短かったので嫌な予感はしていたのですが…。

チェックインしに行くと、振り替え便のメモを示されましたが、昼の2時過ぎに着く予定が、夜中の11時半に変更されていました。 「予定の便以降はアムステルダムからプラハ行きがない」という説明で、 なんとアムステルダムについた後、フランクフルトへ飛び、フランクフルトからチェコのプラハへ行かなければならないというのです。

空港から市内まで評判の悪いタクシーに乗りたくなかったため、別の便を手配してもらえないか聞きましたが、 担当者は長いこと待たせたあげく、発券したチケットを持って戻って来ただけ。
隣のカウンターではドイツ人らしき旅客が同じことを言われていましたが、 「I don't believe so(他の接続便がないとは思えない)」ときっぱり断ったので、 担当者も「他の便も当たってみます」とあちこちに連絡を始めました。うっ、負けた…。
しかも意気消沈したままアムステルダムで接続便に乗ろうとすると、連れ(中国籍)が入国審査官に待ったを掛けられました。
シェンゲンビザを持っていないとフランクフルトへは飛べないというのです。
「オランダはビザなしで乗り継ぎOKなのにドイツはダメなんですか」
「ここから他のシェンゲン国には行けません」
「だって、航空会社が勝手に変更したんですよ!」
「一体どこの会社だ…。おや、アホの ○LM か!」
そのときの係官の「stupid ○LM〜!」があまり可笑しかったので私も吹き出してしまい、場の雰囲気は一転和やかになりました。今なら時間も早いから、乗り継ぎデスクで相談していらっしゃい、ということになりキャンセル待ちに。

結局当日は乗れませんでしたが、現地スタッフの計らいで72時間上陸ビザを出してもらい、思いもかけぬオランダ1泊となりました。

ホテル代、食事代は航空会社持ち、翌日のフライトは(1時間だったけど)グレードアップしてもらったのは言うまでもありません。(プラハ1泊目は奮発して良いホテルを予約してあったので惜しかったけど…)。さすがにホテルのキャンセル料は出して貰えませんでしたが、5分間国際電話が掛けられるカードや1泊分の替えTシャツや洗面用具の入ったお泊まりセットのポーチも用意されていました。きっとよくあるトラブルなんでしょうね…。

手荷物だけだったのも幸いしました。これで託送荷物があったらもっと厄介だったでしょう。

日本のパスポートをお持ちならあまり遭遇しない種類のトラブルかと思いますが、こんなこともあるということで…。


No.7
投稿者=Titmouseさん 場所= オークランド 時期= 1987年9月

オークランドで乗り換えてクライストチャーチに行ったときのことです。
乗り継ぎの時間は記録してないけど、たぶん1時間かもうちょっとだったかなあ。
オークランド到着が10分ぐらい遅れ、さらに荷物がなかなか出てこなかったのです。
しかも、オークランドからクライストチャーチへの国内線のターミナルは、国際線のターミナルから離れたところにあって、行くにはシャトルバスに乗らなくちゃならない。
焦って乗ったはいいけど、NZドルにまだ両替していなかったので、バス料金を払えない。
「バスが出るのは5分後だから」と言われて銀行に走り、何とか両替してバスに乗って、国内線ターミナルに着いたのは出発10分前。
ファイナルコールで自分の名前が放送されている中、走って手続きをして、また走って、ぎりぎりなんとか乗れたのでした。
でも荷物は預かってくれたようですよ、クライストチャーチではすぐに荷物が出てきたって日記に書いてあるんだから。そりゃあ最後の最後に載せたんだからすぐ出てきますよね〜。今から思えばスポーツバッグだったので「持ち込め」といわれなかったのが不思議です。

帰国後、旅行会社に「オークランドはあの時間で国内線への乗り換えは無理です」と教えてあげました。


No.8
投稿者=MARIMOさん@旅するサイクリスト 場所= ロンドン 時期= 2000年9月

スタンスタット空港へ行く電車が遅れて飛行機に乗り遅れたことがあります。
直接的には電車の遅れが原因ですが、実を言うと、当日、ホテルから始発駅まで自転車で走っていったはいいけれど、ロンドン市内で道に迷ってしまったということの方が大きかったのです。。。(爆)

空港に着いたのは出発30分前。でも、さすがに自転車を手荷物として持ち込むことはできず、あえなくアウト。ペナルティ5000円程度で翌日の同時刻便に振り替えてもらいました。(利用エアラインはKLM)

空港からロンドン市内に戻る気もしなかったので、空港のインフォメで宿を紹介してもらいました。

その宿にタクシーで行ってみると、どう考えても値段とは釣り合いそうもない立派なマナーハウス。。。

その晩になってから知ったのですが、口蹄疫騒ぎでスーパーディスカウント価格だったようです。
その時の私は珍しくきちんとジャケット着ていたので、問題は無いとは思いましたが、なにもこんな宿を紹介しなくてもねぇ。。。
まだ午後2時頃だったので、自転車を組み立てて、イングランドの田舎を走り回り、堪能しました。
周りになーんにも無いので、夕食もそのホテルでとったのですが、 見事なまでに肉系メニューは無かったです。 サーモンをいただいた後、こういうところには当分泊まる機会はないだろうと思って、 お茶まで楽しんでしまいました。

ま、これだけ楽しめれば、乗り遅れも悪くはないなと思っていたのですが、 その後、機内で風邪を悪化させて、帰国後入院してしまったのでした。その詳細はこちらです。


No.9
投稿者=Elfarranさん 場所= アムステルダム&北京 時期= 2006年1月

エールフランスの格安便で帰国するとき、大変な苦労をする羽目になりました。

行きは 関空→パリ→フランクフルト。関空で乗るときに、満席でビジネスクラスに 振り替えだったのが、不吉の始まりだったのか、はたまた不幸の 埋め合わせだったのか・・・(苦笑)
この時も乗り換えに 1時間半近くゆとりがあったはずなのに、飛行機から 降りるタラップが動かない!ということで機内に 閉じ込められたまま1時間。CDG空港って乗り継ぎに 一度出国するんですねぇ。で、手続きの列が進まなくて イライラ・・・これは走ってなんとか間に合いました。

で、いよいよ問題の帰国便。
1月2日、まず、パリで乗りはぐれました。2時間半前に空港に 着いていたのに、バスで降りる場所を間違えて 、Fで降りないといけないのにAで 降りてしまい、移動でフラフラして気持ち 悪くなって、トイレいったり休んだりしてたら 何故か「あっ!!」という間に残り時間が1時間切っていたんです。もちろん「Full!」と邪険に断られて。 自分が悪いんだから仕方ないんですが、「木曜まで 満席でファーストしか無い」と言われた時は 更にどっと目眩が。
30日の夜から食中毒に やられて、満足に歩けなかった体には 空港に辿り着くのが精一杯。飛行機に乗れば もう日本に帰ったも同じだし、日本なら何とでもなるから・・・と這うようにして 行ったので、本当にへたり込みそうでした。

事情を訊かれて、「体の具合が悪かったから」と答えたら、さすがに真剣になって くれまして、翌日(3日)のKLMの「パリ→アムステルダム」便を探してくれました。
それを頼んで、また市内に戻ってホテルを 取って・・・・。
「朝の10時にチェックインカウンターに 来い!」と言われたので、9時半には空港のカウンター前で 待って、やっとゲートへ。
で・・・なんのかんのと搭乗が始まりません。
しばらくして、ようやく小さな機内に積み込まれた 私達乗客は、それから更に1時間以上 閉じ込められたまま。
元々これも2時間弱位しか時間が無かったので アムステルダムに着いたときは、 出発の10分前。カウンターで「間に合わないから 乗り換え便を探せ」と言われて、またもや 延々と手続き待ちで、一番早く帰国出来るのが 「アムステルダム→北京」のKLM便。 4日の朝9時過ぎに着いて、出発は13時半。
今度は、KLMとANAの共同運行便で関空入りでした。

荷物は、「アムステルダムでそのままスルーして 関空に着くから」と言われたのが心配だったので、 北京で確認したら、北京空港に取り残されてました。 ここで確認しなかったら、空港に残ったままに なるところでしたよ^^;
幸いANAの中国人職員が 取ってきてくれて機内預けにしてくれましたので ロストバケッジにならずにすみました。 (とはいえ、ここには罠があったのでした。詳細は次項。)

3日間空港で過ごしたも同然で、 ANA便に乗って関空に向かった時は、既に トム・ハンクス的気分でボロボロ・・・・(笑)
仕事にはもちろん間に合いませんでした〜 あははは。
年初めから肩身狭いったら・・(T_T)

携帯白米とANAに癒されましたねぇ・・・今回は。
日本っていいなぁ〜と痛感した初めての旅 でした(苦笑)


No.10
投稿者=Elfarranさん 場所= 北京 時期= 2006年1月

前項で書ききれなかった「北京空港の罠」のお話です。

さて、北京のトラブルとは、お酒を飲まない 人や荷物の少ない人には関係ないのですが・・・・。
いつも欧州では、お気に入りのワインと頼まれ物の シングルモルトを仕入れてくる私。
この時も食中毒で死にそうな体に9本の酒ビンを担いでの 北京入りでした。(担ぐなよそんなモン^^;)
実際に担いで歩く距離は少しだけだし 機内は12キロまで持ち込めるから、問題は、いつも 自分の体力だけだったのですが(苦笑)、 北京は一度イミグレを通って外に出てからの乗り換え。 (香港はそのままスルーだったような記憶が・・・)
で、 手荷物検査の前に「私のトランクはどこ?」という騒ぎがあって ANAの中国スタッフが、持ってきてくれたのですが、 その時、「お酒は持ってますか?」と聞かれました。
「北京空港の決まりでは、持ち出せるお酒は2本です」
それが、北京空港だけなのか、中国全土のルール なのかはわかりませんが、とにかく「2本以外は持って 出国できないので、捨てて行け」とのことでした。
いや、いや・・・捨てて行け・・・って^^;
アンタらが飲むんでしょ〜(ーー;)
と叫びたい 気持ちをグッと堪えて、交渉すること1時間余。
幸い今回は、乗り換え出発まで3時間もある♪
「貴方に1本あげるから何とかして〜」 と言ったのが、ワイロの始まり。
結局、7本までは助けることができました。
(彼も7本は自信なかったみたいでしたが) トランクの中とANAのワイン箱に分けて詰めて 持ち出しました。もちろん彼の誘導で(爆) 長い中国の歴史の隙間をかいま見た気がしました・・・(笑)
残りの2本は「貴方の親切のお礼に差し上げます!」 と彼にぎゅうぎゅう・・・・。
紙袋を上着の横に隠した彼と「好・好♪」と 握手を交わして飛行機に乗り込みました。
かくして、特別に厳重に“壊れ物”の札が付いたワインと モルトは、無事に私と共に帰国いたしました次第です。

「持ち出せるお酒は2本まで」というのは、 中国全体の決まりのはずです。
しかし、乗り継ぎの場合にもそれが適用されてしまうとは!(東風さん)


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