アジアでの病気・怪我(その2)

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No.1
患者=かおる 病名=風邪  場所=ミャンマー  時期=12月

初めてミャンマーに行ったときのこと。

ヤンゴン発の夜行バスは最初からエアコンが きつかった。
夜半から車内はさらにぐんぐん冷えて行った・・・。
ジャケットを着たかったが、バックパックはバスの後部の 荷物がきっちりと積みこまれた中のどこかにいってしまっている。。。
乗車したとき、誰だか親切な人がそうしてくれたのです。

夜が明ける頃には喉はいがらっぽく、軽い咳が出る状態になっていた。
本来ならここでおとなしくしているべきところだが、私はヤンゴンで知り合って仲良くなったミャンマー人の女の子と一緒だった。
具合が悪いのをおして、彼女や彼女の友達と遊びまわっていたら、 夕方からひどく頭が痛くなり、熱が出てきた。

何日か寝ていたが、熱は一向に下がらず、ついに医者に行くことに。
友人が車で連れて行ってくれたところは、 大通りに面した、門口ほんの2メートルかそこらの診療所。
友人とお医者さんの子供たちが見守る中、診察を受けた。
とは言っても皆の前で裸になったわけではありません。
Tシャツの上から聴診器をあてて、喉を見てもらっただけ。
薬(マレーシア製の抗生物質)を処方してもらって、 さらに1日寝ていたら、ようやく熱は下がった。
完治したのは帰国後2週間くらいたってからだったが。。。

客観的には散々な旅だったと言うべきなのかもしれない。
でも、ミャンマーの人々の温かさが身にしみた。
寝こんでいる間も私はじっと幸せをかみしめていた。

今までの旅の中で、最高の思い出の一つだ。
これからはもう、これを越えるものは無いかもしれない。

思い出は最高に美しいのだけれど、しかし・・・
数日間シャワーを浴びていなかった私は、 ミャンマーのほこりにまみれ、どろどろに汚れていた。
帰りの機内では
「こんな状態で日本の土を踏んだ日にゃ、どんな目で見られるか・・・
 自分ではわからないけれど、ものすごく臭いかもしれないし」
と真剣に悩み、空港からの自宅へ向かう電車内では
「わたしは汚いぞ〜、近づくな〜」
と声無き声を上げていたという事実も付け加えておこう。

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No.2
患者=まままさん  病名=下痢  場所=インド  時期=7月

コレラの予防注射をして、水やお茶のペットボトル5本をスーツケースに詰め込み、 猛烈な下痢にも効く薬を、病院で奪うようにもらって、インドに出かけた。

生水は、当然飲まない。暑くても氷の入ったジュースは飲まない。 カットされた果物、水で洗った生野菜も食べない。歯磨きも、日本から持参した水で口をすすぐ。 泊まったホテルは、☆が5つも並ぶ高級ホテル。

ああ〜それなのに・・・やられました、強烈な下痢に。

もちろん重いバックなど持てる筈もなく、片手にトイレットペーパーを握りしめ、腹を押さえ、 飛行機に乗ってデリーからバラナシへ飛んだ。
離陸したと思ったら即座にトイレに走り、缶詰となる。

下痢になったら、まずトイレを探す。
運動会のカケッコでいつもビリだった人間の場合、トイレの前に佇む必要がある。 下痢というのはそれほどまでに体力を奪うのだ。
・・・つまり、私には、間に合わなかったコトがあるのだ。恥ずかしいっ。

片手には、必ずトイレットペーパーを持っていないとイケナイ。
ホテルでは、もう片方に小銭を握りしめておかねばナラナイ。
そうすれば、トイレおばちゃんは、貴方を歓迎してくれるだろう。
・・・トイレおばちゃんは、走ってくる私を見て、ドアを開けてくれるようになった。

もちろん、病院でもらった薬を飲んだ。
でも3日間回復せず。
友人が持参した梅干しと、熟したマンゴーだけが栄養源。
熟したマンゴーなら、簡単に皮を剥くことができた。
それ以来、暑い国に行けば必ずマンゴーを見つけて買う癖がついた。

インド、バラナシ。
この言葉を聞くと、私にはガンジス河のガート光景と共に、 マンゴーの青臭い香りが蘇ってくる。

そして、路地裏に漂う揚げた油の臭い・・・
この臭いではたと思い当たった。
高級ホテルで出された、やけに白っぽかった目玉焼き、あれがいけなかったのだ!

ようやく下痢ピーが収まった帰国前、試しに友人が水を飲んだ。
もちろん、日本で下痢が始まったのは言うまでもない。
ほんの一口で。

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No.3
患者=はみさん  病名=胃腸障害   場所=台湾 時期=10月

旅行前から体調があまり良くありませんでした。
最初はお腹の具合が良くない感じだったけれど、 最終的には胃がやられたようで、胃痛と吐き気の日々。
それでも台湾へと旅立ったのでした。

旅行3日目。故宮博物院で。
この日はとても暑く、館内の冷房がとても心地よく感じられました。
でもそれ が間違いだったのです。

1階、2階と見て回ったところで、お腹が空いたのと疲 れたのとでお茶を飲みながら休憩することに。4階にある喫茶室でお茶のおかわりをしながら1時間もダラダラと過ごしていた ら、少しずつ具合がおかしくなってきました。
気分が悪くて吐きそう。
しかもそ れはひどくなるばかり。

私は胃が弱いので外ではコーヒーを飲まないのですが、実は体調が悪いときは紅 茶を飲んでも気分が悪くなるのです。 で、今回はどうやら中国茶にあたってしま った様子。それに冷房の効いた館内に長くいて、体がすっかり冷えてしまってい て・・・。
冷えているのでトイレも近くなり、水分大放出、体のバランスはすっかり崩れて しまいました。
顔面蒼白、気分が悪いのもなかなかおさまらず・・・。
それでも建物の外に出て座り込んで休んでいると、少しずつ体が温まってきてい くらかマシになってきました。
ゆっくり休み、近くの庭園をゆっくり散歩して、 気分がある程度落ち着いたところで帰路につきました。

旅行4日目・総統府で。
昨日の今日なので朝食はスープにしました。
気分は割と良かったけれど、昨日か らほとんどなにも食べていないので、体力不足でしんどさが残っています。
総統府を見るだけのつもりで行ったのに、中の見学もすることになってしまい、居合わせた他 の日本人4,5人と一緒に、案内人について建物の中へ。

中で説明を 聞いていたときでした。
いきなりお腹がぐるるっ! あ、マズイ、トイレだっ!

案内人は受付の女性のところに私を連れていき、私はその女性に連れられてトイ レへ。
案の定、下げていました。

私は見学を諦めて、休むことに。
受付のすぐ近くにある部屋に通され、薬が飲めるように女性は白湯を渡してくれ ました。そして、おもむろに肩から首から頭に腕に・・・とマッサージをしてく れたのです!ときに痛みを覚えるくらい激しいものでしたが、心遣いがとても嬉 しかったし、凝っていた肩も楽になりました。
・・・でも気分は悪いまんま。
それでも薬を飲み、休んでいると気分も良くなってきました。
落ち着いてきたら 、部屋の冷房が気になってきました。
このままだとまた体を冷やしてしまう!

どうしたものかと思っていましたが、気分も良くなったしとノートを取りだして 日記を書いていたら、部屋からつまみ出されてしまいました(笑)。
おかげで体 を冷やさずに済みました。

でも何故お腹が下げたのか、原因はよくわかりません。この1度だけだったし。
この後、昼と夜にかき氷を食べているけれど、特に問題もなかったのです。

こんな感じで、気分悪くなったり、下げたりで、 おいしい台湾で食べ物を満喫できなかったのが とっても心残りです。

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No.4
患者=夜梅さん  病名=嘔吐・発熱  場所=ウズベキスタン  時期=12月

サマルカンド2日目の夜のことです。
同宿の人と中庭で話し込み、 途中で、寒すぎるので部屋に入って、さらにお喋りを続けました。
でも部屋も暖房があまり効いていなくて、寒かったのです。
ちょうどその時、部屋に面した通りでガスが止まっていたためです。
身体が冷え切ってしまいました。

結果、夜半に目を覚まして散々に吐く羽目に…。
翌日になると、吐き気は少し楽になってきたのですが、今度は高熱に襲われました。
吐くためにベッドから出るのもつらい。

幸いなことに、その翌日には少し熱が下がって、起き上がれるようになり、そのまた翌日には外出もできるようになりました。

いつも旅行に持参しては持ち帰っている粉末のアクエリアスと、レトルトお粥がついに活躍したのが慰めです。

また、 バスルームが中庭を挟んだ反対側だったので、夜中に吐きに行く時など、
「高級ホテルに泊まってたら、あったかい部屋の中で2、3メートル動くだけでいいんだなぁ」
と思ったりしたけど、 宿の人が軽い食事を用意してくれたり、電気ストーブを入れてくれたりと、とても気を遣ってくれたので、 やっぱりその宿で良かったと思いました。
足掛け3週間の中での2日のロスは痛いけど、ま、思い出も増えたってことで。

しかし、吐いた時の前夜に食べた羊肉のマントウの香りがこの苦しみと結びついてしまい、 その後、元気になっても、羊肉のマントウはどうしてもダメになってしまいました。
今も思い出すだけでちょっと嫌な感じが…。
これまでの経験上、呪縛から解き放たれるには2年はかかると思います。
羊肉のマントウが苦手ではモンゴルを旅できないそうなので、早く快復したいものです。

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No.5
投稿者=じゅんさん
患者=友人 
病名=赤痢  場所=
ベトナム 
時期=10月

2度目のベトナムの最終日、ホーチミンのカフェで夕食を食べることにした。
いろいろおいしいものを食べてきたのだが、友人がまだバインセオを食べていない。どうしても食べたいというので、ファングーラオでそれらしき店を探していると、「お好み焼き!!!」と客引きが、大きな声をあげている。 これぞバインセオ。ベトナム風お好み焼きである。

最後の夜なので、バインセオのほかお勧め料理を頼み、サイゴンビール333をたっぷり飲んだ。
この友人は、食に関して変な趣味があり、ビールを飲んでいるのに、紙パックの牛乳のようなものを注文した。そのまま出てくるのだろうと思っていたら、ご丁寧にグラスにあけられて出てきた。 しかも氷まで入ってる・・・。 そういえば、こちらの人はビールにも氷を入れるのだ。
ホーチミンの最後の晩餐は、こうして楽しく終わった。

バイクタクシーでホテルに戻り、荷物をピックアップしてタンソンニャット空港へ。アオザイのスッチーのいるベトナム航空で、一路関空へと向かう。

関西空港の健康検査のところで、友人が捕まった。
「下痢をした」と正直に書いたら、検便をすることになったのだと。
おまけに熱っぽく、寒気がするんだと。

羽田からそれぞれの自宅に帰った翌日、友人のもとに保健所から「赤痢菌が出た」という電話があったそうな。あわれ友人は措置入院する羽目に。個室で1週間過ごしたそうである。全行程を同行したぼくも「感染の恐れあり」ということで、検査を受ける羽目になった。幸いなんともなかったけどね。

やっぱりあの氷が悪かったのでしょうか。それ以外は同じものを食べていたんだからね。

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No.6
投稿者=ひかりんさん
病名=下痢  場所=パキスタン  時期=?

パキスタンのギルギットでのお話です。
今、思い出しても辛さがよみがえる・・・。

ギルギットに向かうバスの休憩で止まった時に出た、カレーの付け合せの 生タマネギを食べてから、なぜか生卵味のゲップが出るようになってしまった。
しかし、ゲップが出るだけで、特に体の調子が悪いわけではないので、別に気にも とめていなかった。
ギルギットに着いてから2日目、昼食を食べたら気持ちが悪くなった。
うっ、やばい、これはヤバイぞ!っと思ったが、やはり生卵味のゲップが 出るだけで、特に調子が悪くなるわけではない。
その後、ヤギミルクの ソフトクリームを3個食べて、夕方、昼と同じ店に行ってダールを頼んだ。
なんだか油の中にオクラが浮いている感じで、また気持ち悪くなってきた。
いそいで部屋に戻ると水を買い忘れたことに気がついた。 でも外にでるのは面倒だったし、ペットボトルの中には半分くらいあるから 明日買えばいいさと思って、シャワーを浴びた。
しかし、これが間違いだった。

しばらくして下痢が始まった。
今までにない激しいものだ。
でも下痢だけなら大丈夫。明日には動ける、そう思っていた・・・。

しかし、下痢だけでは済まなかった。
次に吐き気が襲ってきたのだ。苦しい・・・。
でも、まだ熱は出ていない。
大丈夫、きっと明日は、大丈夫。
ハアハア・・・・。
ああ・・・、なんだか異常にノドが乾く。
でも、水は少ししかない・・。
やっぱりあの時に買いに行けばよかった。
ああ、誰か水を持ってきてくれ・・。

間の悪い事に、何度目かにトイレに入った時、便器から水が逆流してきた。
初めの頃、うっかり一緒に流した紙が詰まったのだ。
フラフラになりながら、近くにあった棒を使って、奥のほうを掻き混ぜた。
途中で吐きながらも、数回強く掻き混ぜると、ようやく水が流れ出した。
立っているのも辛い・・。
そこから少し記憶が途切れた。

気がつくと床の上で寝ていた。
なんとかベッドまで戻って横になるが、そのうちズキズキと頭が痛くなってきた。
もしかして、熱が出る?
だからこんなに喉が乾くの?
吐き気と、腹痛で眠れない。
空が明るくなってきた頃ようやく眠りについた。
数時間後、ドアをノックする音で目が覚めた。
目が覚めたのはいいが起きあがれない。
これは相当熱が上がっている。
あんなに暑かったのに今はすごく寒い。

ドンドンドン

再度ドアをノックする音が・・・・。
「ハロー、ホテルのものだけど開けてくれないか」
這うようにしてドアまで行き、力を振り絞ってドアを開けた。
「今日は予約でいっぱいだから9時にはチェックアウトしてね」
「ハアハア、今日は泊まれないの?」
「うん、駄目だから。じゃあ9時までにでてね」
そう言って足早に去って行った。

どうしよう、こんな状態で外に出ろって・・・。
立ち上がるのがやっとなのに、重い荷物かついでなんて動けない。
でも、予約がいっぱいならばしょうがない、動かなきゃ・・・。
雑に服をバックにつめて、気合を入れて立ちあがった。
一番初めに目に付いたホテルに入ろう。
値段なんて今は関係ない。とにかく早く横になりたい。
「今日からフンザに行くのか?」
受付の男が言った。
「ハアハア、病気だから、ハア、ホテル変えるだけだ。ハア」
うつむきながら答えた。
「そうか、病気なのか」
男はそう言って去って行った。

大通りにでたところにJSRホテルの看板が見えた。
「ハアハア、部屋ある?部屋」
少ない力を振りしぼり受付のドアを開けた。
「大丈夫か?医者を呼ぼうか?」
私の様子に気付いたのか、ホテルの従業員が尋ねた。
多分すごい顔をしていたと思う。もう今にも倒れそうだったのだ。
ここで、医者を呼んでもらえばよかったのに、この時の私はこんな酷い状態でも 「たいしたことない」と自分に言い聞かせて、断ってしまった。
「だったら何かあったらすぐ呼ぶんだよ。欲しいものがあったら言ってくれ」
とりあえず、水を頼んだ。もう喉がカラカラなのだ。
2リットルくらいの水筒に氷入りの冷たい水を入れて持ってきてくれた。
とにかく厚着をして汗を出さなければと、持っている服を全部着て毛布に くるまった。

結局、この後5日間熱が下がらず、フンザにも行けず、なにも食べられない 状態でインドを旅行して、1ヶ月で10キロも痩せてしまいました・・・・。

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No.7
投稿者=匿名希望さん
病名=痔  場所=中国  時期=8月

中国は食事が辛いものだらけで、お手洗いで痛い思いをする人は珍しくないそう ですが、私はさらに一線を超えてしまいました。
痔になってしまったのです。
後から調べたところによると、イボ痔に分類される らしい。
炎症を起こして腫れ上がった腸の出口部分が、外にムニュリとはみ出し てしまったのです。大きさは小指の先ほど。
それ自体は痛くないんですけど、そ のはみ出したところが何かに触れると痛い!
用を足したあと乾いた紙で拭くな んて論外で、ペットボトルに水を入れてお手洗いに持ち込み、紙をジャブジャブ に濡らしてそっと洗い流してました。ヘタレなので手で直に触って洗うことまで は、ちょっと・・・。

当然、下着に当たっても非常に痛いのですが、指で中に押し込んで強く引き締め ていれば、支障はありません。

しかし阿呆な私は、日程の都合もあったため、一 泊二日のトレッキングに行ってしまったのです。
息も絶え絶えになりながら山を 登っている間中ずっと、引き締めてなんていられるわけがない。
様々な苦痛を乗り越え て宿に辿り着き、お手洗いに行ってみると、下着が血まみれ!
ビックリしてい る間もポタポタ血が垂れてくるくらい。

雑菌が入ったりしたらどうしようとかなりビビッていたのですが、幸いなことに 、10日ほどで治ってくれました。

実は、痔になった当時は、辛いものが原因だとは思っ ていなかったのですが、これ以上お手洗いで痛い思いはできないと、辛いものを 徹底的に避けていたのが良かったのかも。

立ち仕事で痔主となり、出産を機に大痔主となってしまった姉が
「痔はくせにな るんだから、すぐ薬で炎症をおさえなきゃいけないんだよ!」
とアドバイスしてく れました。

次に食べ物が辛い国に行く時には、痔の薬も常備薬として持っていこ うかと思います。

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No.8
投稿者=夜梅さん
病名=切り傷 場所=トルコ  時期=5月

場所はイスタンブール。そのときは ちゃんとしたホテルの、バスルーム付きの部屋に泊まっていました。
朝起きて シャワーを浴び、洗面台の上に置いていたバスタオルを取ろうと、バスタブの中 に立ったまま上半身を乗り出して手を伸ばし、そして足を滑らせました。
口元に ガツンという衝撃。
反射的に押さえた手の指の間から流れ落ちる鮮血。あまりの 痛みに動くこともできず、しばらくは息を詰めてうずくまっていました。

バスタブの縁で下唇を強打して、歯で内側をザックリと切ってしまったのです。
血が止まるまでバスルームにこもり、部屋に戻ってから冷蔵庫に入っていた水の ビンを押し当てて、タラコのように腫れ上がった唇を冷やしました。薬をつける わけにも、バンドエイドを貼るわけにもいかないので、この程度のことしかできな かったんです。(が、鎮痛剤を飲んだら良かったのだろうかと、今気付きました。)

水のビンが緑色だったことを、6年経った今でもよく憶えています。

さて、その日は旅の最終日。
夜、イスタンブールを発つことになっていたので、観光 はその日のうちに済ませなくてはなりません。
名物のサバサンドだって食べたい。。。
ジンジンと疼く痛みはどうしようもないけど、噛みちぎったり噛んだりすると きに、何も傷口に当たらないようにさえすれば、なんとかなるだろう・・・。
で、サバサ ンドを食べたんですが、どうしてやってみるまでわからないのか私は。レモンを たっぷりかけたら、傷口にしみるということが(;_;*)
なるべく口の奥の方で咀嚼し、 飲み込める状態になったら即飲み込むという食べ方で、味わうどころではありま せんでした。

傷がふさがっても、傷のあった場所には、中に何か入っているかのようなしこり が残ったままで、それが消えるまでに、2年以上かかりました。

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No.9
投稿者=夜梅さん
病名=刺し傷 場所=ラオス 時期=8月

ヴァンヴィエンは洞窟のたくさんある土地で、観光客が入れるものもいくつかあるのですが、照明などキチンと整備されているものは1つだけ。 他は、うんと手前 にある料金所でお金を払って、自分で勝手に洞窟まで歩いていくことになります 。
そのうちの1つに行った時に、 アクシデントが起きたのです。

洞窟の入り口は上り坂でした。
他のいくつかの洞窟に至る道のような、サバイバルチックな岩登りじゃないので、簡単だと思ったのですが、土は粘土質で、おまけに雨季。
慎重に進んではいた のですが、前に出した足に体重をかけたとたんに、ズルリと滑りました。
とっさに左 手を木の根についた、、、つもりだったのですが、予想とは異なる激しく鋭い衝撃が !
えっ! と掌を見ると、、、
真ん中へんから、ダラーッと血が流れ落ちてくるで はありませんか。
見れば、木の根の蔭から、折れた若木がわずかにのぞいている 。
枝が邪魔になったかなにかで、先客が通りやすいようにと折り取ったのでしょ う。
その硬くするどい切っ先に、手を叩きつけてしまったわけです。

手に泥がたくさんついていたこともあり、まずは持っていた飲料水で傷口を洗い ました。
突き刺した傷ですので、傷口は小さく、何やらグチャグチャとしている。
状況 が状況ですので、何か異物でも入っていたら出してしまいたい。
とりあえず傷の 周りをギュウッと押してみましたら、ちぎれかけの脂肪がにょろりん。
刃物でス パッと切った時には起こり得ないことですから、ちょっと新鮮でした。

救急法で習った通りに、傷を心臓より高い位置にしてしばらくじっとしていたら 、傷口が小さいためか、血はすぐに止まりました。
数日前に他の旅行者から 「そ んなもんまで持ち歩いてるんですか!」 と驚かれた薬&救急セットからバンドエイ ドを取り出す時は、 「ほらごらん! こういう時のために持ってるのよ!」 と嬉 しい気持でしたが、そんなものを使う事態にならなきゃ一番良かったんですよね ぇ。
それに、消毒薬を持っていなかったのも片手落ち。次回からは持っていこう 。

数日経って一応傷口はふさがってきたものの、傷のあるあたりが妙に盛り上がっ ている。
傷そのものがあった時は気にならなかったけど、傷口が完全に皮膚で覆 われるに至っても、その部分だけがマメのようにふくれたままで、皮がめくれ続 ける。押さえると痛くて、自転車のサドルもまともに握れない。やはり異物が入っ ていたのか。。。。
日本に帰ったら整形外科で取り出してもらおうと思っていましたが 、 「放っとけばそのうち表面に出てくるだろう」 と、結局医者には行っていません。

膨らみはどんどんと小さくなりましたが、2ヵ月以上経った現在も傷痕は 残っており、押すと何やらしこりのようなものを感じます。

トルコの時みたいに、完全に治るのには、2年かかるかもしれません。。。

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No.10
投稿者=MARIMOさん
病名=過労及び日射病 場所=タイ東北部 時期=11月

もう冬になろうかという日本を脱出して、タイ東北部チェンライに 降り立った私を待っていたのは、乾期といえどもかなり蒸し暑い 熱帯の気候だった。

ここからいつものように、自転車でラオスを目指した。(注:MARIMOさんは「旅するサイクリスト」です)

でも、初日からどうも体調がおかしい。
余りの日本との気候の差に体が順応 できないのだ。
それでも、まめに、かつ大量に水分を補給しながら進む。

2日目、チェンセンから先、メコン川添いはジェットコースターロードだった!
通常、これくらいの傾斜になれば九十九折りとかで傾斜を緩くするものだが、 ここは真っ直ぐ。。。
止まりそうな坂をあえぎながら登る。
反対車線を走っているバイクはエンジン切っていた!!
そんな坂を何度となくのぼり続けた。

午後、国境を笹舟のような船で渡り、ラオス、フェサイにたどり着く。
そこのエアコン無しの部屋で トイレに行って私が見たものは、 血尿かと思うほどの濃い尿だった。。。
自分の体感以上に、疲労と脱水症状はひどく、極限状態に達していたようだった。

ラオスにおける医療レベルの低さは、既に日本で調査済み。
この先、どうしたらいいだろう?
予定では、北部山岳地帯を走る予定だったのだ。
その辺りで倒れても、治療らしきものが受けられるとは思えない。
タイに戻るか?でも、シングルビザだから取り直しになる。
ここだったら国境で直ぐに取れるから、その手も有るか?

翌日、私は最終到着地点のルアンバパーン行きのスピードボートに乗っていた。
自転車乗りとしては、不本意だったのだが、 北部山岳地帯の走行を諦めて、5日前に終点に入り、暫く沈没することに決めたのだ。
ここで行き倒れに成るわけにも行かない。
日本で私の帰りを待っている人もいるのだ。 (私は婚約中だった)
何より、自分の身は自分で守るのが、自由旅行の根元的な掟なのだから。

スピードボートは更に疲労を蓄積させるような乗り物だったが、 ルアンバパーンでの宿に荷物を預け、洞窟や瀧見物をしながら、ぷらぷらしているうちに、 私の体は確実に快方に向かっていた。
高地で気候的にも快適だったのも良かった。
帰国する頃には、嘘のように回復し、すっかり馴染んでしまったこの町を 名残欲しい気持ちさえ抱きながら、去ったのであった。

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