カルテ No.11 No.12
No.13 No.14 No.15 No.16
No.17
| 患者=東風さん | 病名=胃痙攣 | 場所=デンマーク | 時期=2003年8月 |
ビュッフェ方式のレセプションで美味しい食事を楽しんだあと、夫と近くのチボリへ。そのころぐらいからでしょうか、胃痛前のあの嫌な感じが・・・。胃薬を持ってきたから大丈夫、なんて思って、チボリでサーカスを見ていたのですが、どんどん胃が痛くなっていくので、ホテルへタクシーで戻りました。
ところがなんと、持ってきていた胃薬は消化剤。胃痛用の胃薬を持参していなかったのです。
胃痛になると私は嘔吐がひどいのです。5分おきぐらいにトイレに駆け込む始末・・・。胃の中が空っぽになっても胃痙攣のために胃液を吐き続けるのです。
見かねた夫がマニュアル通りに保険会社T社のサポートデスク(フリーダイヤル)に電話(まず、電話は日本につながる)をかけて事情を説明すると
「パリの支店(契約代理店である外資系保険会社A社)から電話をかけさせます」
とのこと。パリからの電話によると、サマーホリデーの最中であり、しかもそもそも夜間診療の習慣のないデンマークでは、
「救急病院(ER)へ行く」か「往診をしてもらう」かという、二つの
選択肢しかないとのこと。
私たちはコペンに明るくないし、病院ですぐ診てもらえるか不明だったので、往診をお願いすることに。しかし、
「市内に契約医者が数名いるが、他の患者を往診していることもあるだろうから、医者を見つけ次第、会社からそちらにかけ直すが、1時間程度かかると思って欲しい」
と言われました。さらに
「それまでの間に状況が悪くなった場合には、パリへ電話をして欲しい」
と言われ、一度電話を切りました。
そして1時間以上たちました。でも電話がかかってこないのです!
今日は他の日本人も具合が悪いのかなあー。契約のお医者さんは市内に住んでないのかなーと気弱になった私が
「でんわ、はやくかからないかなー。おいしゃさん、みつからないのかなー」
とコドモのような口調でつぶやくのを聞いて、夫がパリへ電話をかけると・・・
「医者が見つかりそうですが、他の往診へ行っているようなのでもうすこし待ってください」
・・・・待ちました。でも電話はありません。
再度、夫がパリへ電話をかけると、
「医者が見つかりました。もうしばらくお待ちください。タクシーで行きます。大変だったらフロントかパリへ連絡してください」
夫は窓を開け、自動車の音がする都度、窓から身を乗り出し(「寒いから、窓は閉めてー!!」と私)確認をしてくれてもタクシーは来ません。
ついに夫はしびれを切らし、フロントでタクシーを待つことに。
す、すると・・・
本来24時間オープンのはずのドアが閉まっていて、フロントは無人!
机上のベルを鳴らすと、目をこすりながら夜番のお兄さんが奥から現れたそうです。
事情を説明して「タクシーは来たか」と訊くのと同時に医師の乗った車(タクシーじゃなかった!)が到着。
実は、何度かパリから電話をかけてくれたのに、このお兄さんが寝入っていたため、つないでもらえなかったのでした。
「お医者さんが来たよー」と夫の声。
見るからに優しそうなお医者さんでした。私は英語では「胃が痛いんですー」としか言えず、夫が辞典を引いて病名を確認し
「急性胃炎を起こし、吐き気が続き5分に一度トイレに行ってます。今日の夕飯に貝を食べたので食あたりかもしれません」
と説明をしました。私は食あたりではないということはよーく解っていましたので、
「違うよー。食あたりじゃない! 胃痙攣だってばーっ!」(日本語)
と否定。貝はボイルしてあったこと、パーティーでバイキング形式の食事だったことを説明したところ、お医者さんは触診をしながら
「すぐによくなる胃痙攣ですから、胃の動きを止める注射をします。30分もしないうちに眠りにつくので大丈夫ですよ」
と優しく説明してくれました。
えっ?注射?!
海外で注射なんて肝炎とかにならないかしら?
「薬にしてもらえませんか」と頼んでみたのですが、「注射だね」ときっぱり。
お尻をパンパンとたたかれ、お尻に注射をしてもらいました。日本だとアルコールでまず拭くと思うのですが、それもなく、いきなり
ブスっ
と。
痛かったですが、お医者さんはニコニコ顔で
「大丈夫、大丈夫。すぐよくなりますよ。」
お医者さんに帰国後の申請書類に必要なサインや記入をしてもらいました。往診費用については翌日の午前中にフロントが立替払い(つまり、立替払いしたフロントが私たちにチェックアウト時に請求し、帰国後に私たちが会社に請求)するということに。
非常にのどが渇いたので、駅前にあるセブンイレブンまで夫が水を買いに行ってくれました。それを飲んだと同時ぐらいに私は眠りに落ちてしまったのでした。
さて、私がうんうん唸っている最中のことですが、
夫がパリ支店に電話をかけて現状報告をすると、
「医者への支払いは直接現金でしてほしい、と先方が希望しています」
と言われました。現金を確認したところ、ギリギリで持っていたので払うつもりでいました。しかし、実際には、医師がフロント気付けで請求することになり、ホッとしました。
また、保険会社からは、
・翌朝8時半までにファックスで申請書類をパリに送ってほしい。
・会社から10時にこの件で電話をかけること。
とも言われました。
ファックス送信の必要性に疑問を抱いた夫は、ファックス送信費用がこちら持ちとも聞き、
「日本に帰ってから書類申請をするのが普通ではないか」
と質問。しかし、先に本社に報告する必要があるのでファックス送信は必須と言われました。
翌朝はすっきりと目が覚め、食事も美味しくいただきましたが、喉から腹筋にかけて筋肉痛が起きたのでした(これは胃痙攣の時はいつものことです)。
前夜言われたとおり、ファックスを送り、
部屋でパリからの電話を待ったのですが、いくらたっても電話はかかってきません。午後からの予定があったので、ホテルを出発し、夜、ホテルに戻ると1枚のファックスが。
「お電話したのにお留守でした。ご連絡ください」
夫は東京に電話をかけ、
「約束の時間を1時間すぎても部屋で待っていたので、こちらからパリに電話をかけるつもりはない」
と説明。また、パリへのファックスについても、
「書類としては不完全なものなのに、本当に必要なのか」
と。更に、往診当日も1時間以上たっても電話がなかったので(本当はフロントがいけなかったのですが)こちらからパリに問い合わせの電話をしたが、その費用はこちら持ちといわれた等々、疑問点を述べたところ、
「パリへのこちらからの電話は不要で、逆に明朝再度かけ直す、約款に『一部、費用がかかることがある』というところがあるが、それに相当すると思われる」
と回答がありました。
約款ねー。やっかいだねー、ってシャレを言うつもりはないのですが、ヤラレターという感じ。
ファックスについては東京でも本当に必要かは判断しかねるような口調だったので、東京に戻り請求書類を提出する際に、再度払い戻してもらう方向で話を進めました。
翌日は約束の時間よりも15分早く電話がありました。
「往診当日は何度かパリからこちらへ電話をかけたけれども、つながらなかった」
と聞かされました。私自身は、お世話になった会社なので、自然と感謝の気持ちでいっぱいになっていたのですが、
「東京での資料送付先を言いますので、これからメモしてください」
と言うのには、びっくりしました。
「今日はもう帰国日ですし、できましたら自宅のファックスに送付先を入れていただければ助かります」
と恐る恐る返事をしたところ、さすがに向こうもハッとしたようで、自宅はもちろんのこと、すぐにホテルにもファックスをいれてくれたのでした。
その後、パリへかけた電話とファックス代は請求できる見込みとなりました。
私はここ数年、インターネットで保険を申し込んでいます。今回は申請をうっかり忘れており1週間前ギリギリでした。また、プリントアウトもうまくいかず、会社に電話をして、証書が届かないときに備えプリントアウトしたものを送ってもらっていたのでした。おかげさまで証書も出発前日までに無事に届き、順調だわーとほっとして出発したものの、出発当日は前日までの大雨で成田エクスプレスはかなりの遅延。「乗り遅れたら、保険で保障してもらえるのかしらん。 保険証書がちゃんと届いてよかったわー」なんて思ったのですが、こういうことでお世話になるとは思っていませんでした。いい経験になりましたが、あの痛みは二度と外国で体験したくありません。
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投稿者=銀の匙さん 患者=同行者 | 病名=湿疹 | 場所=イギリス | 時期=2003年9月 |
行きの飛行機で、連れが毛布をかぶっていたら、降りるときに湿疹状のものができていました。日ごとに増える上に、広がってしまい、夜も寝られないと訴えます。売薬も効かないし病院に行くしかないし・・・という次第で、旅行保険のお世話になることに。
旅行前に掛けておいたのはネットで契約する保険で、補償額が選べるのと安さが魅力で入りました。
命に別状があるわけじゃなし、申し訳ないと思いつつ、ロンドン事務所へ電話すると、日本語が通じる医院を紹介してくれたうえ、症状を聞いて、すぐ「キャッシュレスサービス」でOKしてくれました。これは「提携医療機関なら保険会社が直接医療費を払ってくれる」というサービスです。
連れの湿疹、私はてっきり毛布の中にダニがいたのかと思いこんでしまったのですが、
診断は「湿疹」でした。化繊アレルギーかなんかだったのでしょうか。
あとで聞いたら、治療費は45ポンド(9000円)だったそうで、掛け金を大幅にオーバーしていました。
でも、金銭的なこと以上に、保険会社の窓口の人が親切に医師を捜してくれ、電話でサポートしてくれたのが有り難かったです。ちなみに電話代も先方持ちでした。
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投稿者=ふゆき | 病名=下痢 | 場所=ルーマニア | 時期=1998年7月 |
ところはルーマニアのモルドバ国境近くの町・ヤシ。
街路樹に果物の木が多く植えてあって、ちょうどマルベリー(桑の実)の季節だったの。
子供が木にのぼって、下に広げた布に落としたり、そのまま食べてました〜。
あったかい夏の日に、最高♪ ・・・食べた時はね。
翌朝、トルチャ(宮本輝の「ドナウの旅人」にも出てくるドナウデルタの拠点です)に移ろうとしてバスターミナルに行った
んだけど、「ん、、なんかおなかがまずいことになりそう。。」
そのままホテルに引き返しました。
(実はその日、もうひとつベリー系の果物を洗わないで食べたので、どっちが下痢の原因なのかナゾだったのですが、その後、マルベリーを食べるたびにおなかを壊し、「そうか、こいつが犯人だったのか」と思い当たったのです。)
ホテルは町の中心広場に面していて、真っ白な外壁。テレビ(英語の番組あり!)、バスタブ付きのお風呂、冷蔵庫付き! それが、1泊10ドル!
3日間、バスルームには頻繁に通いながら、ユーロニュースを見て楽しんで過ごしました。
ユーロニュースって30分に1回ほぼ同じニュースだからあきちゃうので、MTVに変えたりして。
さて、3日間、ヨーグルトで過ごした後、元気になっておなかがすいたので、目の前のレストランに入りました。
でね、メニューが読めない。。英語で説明できる人もいない。
いいかげんにたのんだら、豚のステーキにチップス(ポテトフライ?)でした。
おなかを壊した後で、、ママリガ(イタリアでいうポレンタ)とか柔らかいものがよかったのに〜って思いながらも、全部食べちゃった。
教訓:落ちてるものを食べちゃいけないことはないけど、おなかが苦手なものは食べちゃダメです。
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投稿者=はみさん | 病名=捻挫 | 場所=イタリア | 時期=2005年11月 |
夜のローマを歩いていたとき、歩道が工事で段差になっていることに気づかず、踏み外した。
右足を思い切りひねった。
曲がった足首に体重が乗り、ぐきーっと嫌な音が聞こえた・・・。
夫に支えてもらいながら、どうにかホテルまで戻った。
ひどくひねったという自覚があるので、固定したほうが安心だろうと思い、病院に行くことにした。
まず保険会社に問い合わせてから病院へ行ったほうがいいかなと思って、
電話を借りるためにホテルのフロントへ。
そこで一波乱。
イタリア語はおろか、英語もまともに話せない私たち夫婦、
フロントにいた若いお兄さんに、こちらの希望が伝わっているのかいないのか、
電話は貸してもらえず、お兄さん自らが一度は保険会社に電話をかけたがすぐに切り、
あちこちに電話をかけている。(彼も突然のハプニングにパニックだったのだろう)
ラチが明かず、最後にはお兄さんが夫を連れて近所の日本食レストランで働く
日本人のところへ行き、通訳してもらったり。
結局、保険会社に電話したが、誰も出ず。
冊子に書かれている提携病院は遠く、
タクシーで40ユーロはかかるだろう、
車で5分くらいのところにある病院に行ってみてははどうかと勧められた。
そして救急車を呼ぶ案まで出てきた。
「そんな、おおげさな!」
とも思ったが、
ツーリストは無料ということだし、いつまでもこうしていても仕方ないので呼んでもらうことにした。
(今にして思えば、救急車で行って正解だった。タクシーで行ったら、受付や説明等が 大変だったかもしれない・・・)
救急車の中で、名前や状態などを質問される。
パスポートを渡し、自分の言葉の不自由さをカバーするために書いておいたメモを
隊員に見せる。・・・笑われた。
そういえばサイレンは鳴らしていなかったようだ。どう見ても緊急性がなかったせいかな。
病院に着いてみると、私なんぞが救急車に乗ってきたのが申し訳なくなるくらい、重傷の患者が
何人も待っていた。顔面出血して顔を腫らしている男性とか。
救急隊員の方たちは病院側と話した後、
「あなたは軽症だから、後回しになるだろう」
みたいなことを身振り手振りで伝えてきた。
実際、運ばれてから診察まで2時間待たされた・・・。
診察室でドクターにもメモを見せてみたが、「Oh、アニメ!」と言ってやっぱり笑われた。
最後にドクターが言った単語がよくわからず「?」な顔をしたら、
ドクターもうーんと考えて、手でお腹が大きいというジェスチャーをしてみせた。
レントゲンを撮るにあたっての妊娠の有無の確認だったのだ。
レントゲンは前と横、2方向から撮った。
骨には異常が無く、捻挫であること、3日位は朝・昼・夜に30分くらい冷やせ、
寝るときは足を上げて、薬を飲んで、それと歩き回るな!と言われた。
足は筒状の包帯をすっぽりかぶせ、その上から患部に綿みたいなので出来た包帯を4,5回巻き、
そして幅7cm位あるテーピングでぐるぐる巻きにされた。足首はいい感じに固定された。
ドクターから診断書らしきものも渡された。
そして謎なのが、治療費が請求されなかったこと。
治療後に車椅子で出口まで運ばれて終わり。
受付でタクシーを呼んでもらってホテルに戻った。1時半になっていた。
朝、怪我の話が伝わっていたらしく、朝食は部屋まで運ばれてきた。
痛みはそうはないが、歩くのにはやはり不自由する。
ホテルの近くにあった薬局に行き、杖を購入した。26ユーロを25ユーロにまけてくれた。
杖をつきながら、残りの日程もそこそこ観光して旅行を終えることができた。
夫にはスーツケースを運んでもらったり、いろいろな面で助けてもらった。
階段やゲートなどでは周りの人もよけてくれたり、待ってくれたりしたし、
車椅子用のゲートを通してもらったり、入り口から出してもらったり、いろいろ気を遣ってもらった。
「歩き回るな」という言いつけを守らなかったせいか、夜は痛みで目が覚めたりもした。
テーピングで巻き上げているせいか、帰りの飛行機は右足がぱんぱんにむくんでいた。
帰国後すぐに病院に行った。
予想よりも捻挫の程度はひどかったようで(^^;)
「ああ、靭帯やってますねー」
から始まり、
レントゲンは正面・横に加えて「ストレス撮影」という足首を曲げた状態での撮影もし。
「やっぱり靭帯が緩んでますねー」
「スポーツする人とか、動き回る若い人なんかだったら、手術をするんですが、
主婦とかならまあ、しない場合の方が多いですねー」 ・・・うげっ。
「普通はギプス3週間、サポーター3週間なんですが、ギプスだと不便が多いんで、
サポーターを3週間、そのあとは動き回るときにはサポーターをつけるということで」 げげげげ!!
しかしイタリアの医師との診断とか扱いの差はなんだろー。
考え方や治療のしかたの差なのかな。
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投稿者=HALLさん | 病名=吸血ダニに刺される | 場所=オーストリア | 時期=2006年6月 |
オーストリアはザルツカンマーグートのオッフェン湖畔。
花の季節、思わず道端の草むらに入り込んで花の接写撮影♪ ・・おそらく、そこでツェッケ(吸血ダニ)が取り付いたのだと思います!
(★注:ツェッケ( Zecke )。
中央ヨーロッパを中心に広範囲に分布する八本足の虫で、病原体を媒介することもあるので要注意です!
もっと詳しく知りたい方はこちらをご覧下さい。)
ツェッケに噛まれたということは、既にツェッケの頭の先端が皮膚に喰い込んでしまっています。
触った感触は「蒸かしたモチ米」、色は肌色(●色黒系ですが・・)。まるで、突然イボが出来たか、カサブタが取れかかっているか、のようでした。
しかも、感覚は全くありません。
《皮膚に喰い込むダニがいる》ことは知っていましたが、見るのは初めて。
シャワーのときに異常に気付きましたが、ダニ(ツェッケ)だと認識したのは2〜3日後です。
喰い付いていた場所は左脇腹のベルトが当たるあたりで、よく見えましたので、持っていたルーペで拡大してみますと、ナント!
付け根のところからマツゲのような毛が生えているではありませんか!
しかし、この時点では「悪性のイボかも?!」とも「こんなイボがあるもんか?!」とも思ったりしました(汗);;
・・で、付け根の裏をよ〜く見てみたら、てんとう虫の頭みたいに黒くなってるじゃあ ありませんか!!
!
ぎょっ ぎょーーーーーーーーー!!
「 これぞ、例のダニ、だにゃ〜〜 」
・・と気付くと同時に、
生きたまま無理やり引っ張って、かえって深く喰い込まれたら大変!
・・などど考え、ソーイングセットの針を刺してみました。
! すると、、
付け根から生えている毛が動きました〜〜!!
★★★ ひえぇ〜〜〜〜〜〜、、、、
毛じゃあなく、、足だ〜〜!! 動いたぁ〜!!
そのまま針を引っ張ったら、ダニのお腹が引きちぎれて、黒い汁が・・・
頭は、喰い付いたまま離れないーー。。
ムムッ、、このままでは、ヤバイ!
しかし、医者に行くのも面倒だし、、と、
ティッシュをあてて、指で(爪で)摘んで引っ張っていたら、
「 プツッ 」と、なんとか取れました。
痕は、日本のダニやノミに食われた程度で済みました。
その後1ヶ月たった今、特に異常が現れないところをみると、事なきを得たようで、やれやれ、でした。。みなさん正しい処置を!
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投稿者=夜梅さん | 病名=食べ過ぎ(^^; | 場所=アゼルバイジャン | 時期=2008年4月 |
アゼルバイジャンのシェキで、日本人の女の子と知り合って夕食を共にした。
彼女は見たところ20代前半、元気いっぱいのギャル。
中年の私がそういう子と同じペースで食事したのが間違いだった・・・。
ピティ(具沢山の羊シチュー)を1人前ずつとドウガ(ヨーグルトスープ)を半分こ。パンは1人分が私の顔を上回る面積。
彼女はぺろりと平らげたけれど、私のほうは、食べても食べても減らないお伽噺
の魔法のような食事に、ついには苦痛を感じるに至り・・・
彼女の3倍の時間をかけてピティとドウガは完食したが、パンは半分残してしまった。
どれほど大量だったかは、左の写真をご覧下さい。
(1)1人前のパン。 |
床に就いて2時間後、体の芯がゾクゾクと冷えて震えて目が覚めた。
突如お腹に激しい痛みが押し寄せる。
お手洗いへと猛ダッシュ!
キリキリと苦しんで下す。
熱があるのも感じる。
ずっと夜が寒かったし、前夜は夜行列車だったし、着いてすぐバックパックを背
負って40分も上り坂を歩いて汗ビッショリとなり、その後も上天気の村を歩き回
り、適量を遥かに超える食事を摂り、その内容は普段食べつけないものばかり・・・
体が抗議するのも無理はなかった。
全室お手洗い付きのホテルだったのは幸いだった。
いつも通り共同のお手洗いだったら間に合わなかったかも・・・。
翌朝バクーへと旅立っていった彼女を見送り、私は観光に出かけた。
食欲は皆無。
でも甘いものならとビスケットを買った。
二口かじって駄目だと悟る。
水分も、水は嫌。
1リットルのリンゴジュースを持ち歩いた。
ホテルに戻って、体を温めたいと思い、併設のレストランにチャイを飲みに出か
けた。
しかしここのレストランは屋外だった。
風の吹く中、これでは却って冷えてしまうと焦ったが、熱いチャイは飲みたいので、大慌てで急須いっぱいのチャイを飲み干して部屋に戻ると・・・
そのタイミングを図っていたかのように腹痛がっ!
お手洗いに飛び込み、激しくチャイを下す。
と、喉元に逆流するチャイ・・・!
便器の前、ちょうど座った私の顔の高さに洗面台があったのだ。
そこに顔を突っ込むや否や、上下から同時にチャイが噴出した。
紅茶ってあれで結構な刺激物だそうですからね・・・。
その翌日も、水分の他には何も受け付けない体となっていた。
3日目には食欲は戻った。
が、いい気になって朝食を普通に食べたら、直後にまた
お手洗いに駆け込む羽目に。
まともに食事が採れたのは、4日目の夕方のことだった。
この後、基本的にお腹が緩い状態となってしまい、食も細くなった。
なのに、どうして帰国後に測ったら体重が2キロも増えていたんだろう・・・?
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投稿者=夜梅さん | 病名=神経痛 | 場所=コーカサス三国 | 時期=2008年4〜5月 |
食あたりもきつかったけれど、
でも本当に参ったのは他のことだったんですよー。
神経痛の発作に見舞われたんです!
昼間はタンクトップ1枚でもいいような天気でも、
朝晩の冷え込みがきつかったんです。
最初の頃なんて夜に足が冷えて寝られないことも多く、
そのうち、2年前に捻挫した左足首が疼き始めました。
これまでもたまにじんわり痛かったことはあるけど、
そんな程度じゃなくて、ビリビリと痺れが走るのです!
そして、激しくはないけど頻繁に痛みを感じるようになり、
無意識に左足をかばって歩いていたら、ついに右のふくらはぎまでがつってしまいました。
捻挫した直後から随分治療も試みたのですが、 どうにもならなかったんです。
ああ、今からこんなんで、20年後にはどうなるんでしょう(+_;)
去年の冬のルーマニアでは何ともなかったのに・・・。
ルーマニアは宿の中が暖かかったから、
問題にならなかったんでしょう。冬だったからこちらも防寒対策万全でしたし。
今回の旅で、本当に充分に暖かかったのは、
ストーブがガンガン焚かれていた
宿だけ。
5000メートル級の山がある山岳地帯の宿でした。