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児童文学の旅
ランサムのバルト海


「ラカンドラ号の処女航海」 は児童文学作品ではありません。 れっきとした「大人のため」の記録文学です。 でも、児童文学作家アーサー・ランサムの著作なので、 あえてこのコーナーに入れました。

この作品の内容について、いろいろ教えてくださった ランサマイトの皆さん、特にLMSさんに、 心からのお礼を申し上げます。

なお、エストニアの地名は 現在の名称によったので、「ラカンドラ号」中の呼称とは異なります。

関連地域の地図

長すぎる前置き

私は「地球の歩き方・バルトの国々」96〜97年版を手に取った。 バルト諸国、特にエストニアの島々に行きたいと思うようになってから、はや4年が過ぎようとしていた。

「フィンランドから北欧を廻る」という思いつきと共に浮上してきたのが、 この、一度はあきらめたバルト諸国の旅であった。 ヘルシンキからタリンはフェリーですぐ。 多くの人はヘルシンキからの日帰りでタリン観光を済ませるようだが、 そこを少しふくらませたら面白い旅ができそうだ。

私は島へ行ってみたかった。それもムフ島へ。その島のコグヴァという村。そこは一つの村全体が野外博物館になっているそうだ。 世界的に有名なガイドブック "Lonely Planet"も「泊まってみろ」と推奨している。 でもタリンから単純な往復では面白くないな。

ところで、以前の私には無かった強力な武器を、今の私は手にしていた。

それはインターネット。 いろいろ検索してみたら、バルト諸国、特にエストニア発信の観光サイトは実に充実していた。安宿の予約から長距離バスやフェリーの時刻表など、欲しいものがほとんど手に入った。 中でも「リガ〜クレッサーレを結ぶフェリーが2001年6月から運行する」という情報を得たときは、ちょっとした感動だった。 この路線を使えばエストニアだけでなく、ラトビアのリガまで足を伸ばし、 そこからエストニアの島々へと周遊できる。これにしよう。

そうこうしているうちに、ランサム・オフがあった。 LMSさんが宝物のように(実際、宝物なのだ) 「ラカンドラ号の処女航海」 を見せてくださったのはそのときのことだった。

巻頭の地図を見て驚いた。 なんと、今回私がたどろうとしているコースは、 ランサムがラカンドラ号で帆走したコースとほとんど同じではないか! 今まで気が付かなかったなんて、ランサマイトの風上にも置けないかも。 それにしても、いったいどんなことが書いてあるんだろう。 日本語訳が出ていればなあ。


リガ

2001年8月3日、タリンで落ち合った友人と共に、バスでリガに向かった。 ラトビア国境では、パスポートコントロールのためバスに乗ったまま延々と待たされる。 ヨットだったらこんなことはないのよね・・・。

夕刻リガ着。タリンのB&Bで知り合ったイギリス人が教えてくれた ホテルに行ってみたら、簡単に部屋がとれた。 夕食はラトビア名物・豚足料理で満足、満腹。

リガの旧市街

翌日、朝一でインフォメに行く。
「エストニアのクレッサーレ行きのフェリーがあると聞いたのですが。」
「ありません。」
「ええっ?!」
驚いて訊きかえすと、
"Not yet. They promise there will be."と言う。

が〜ん!いまだ計画中だとは!!ショック!!!

リガの新市街のユーゲントシュティール建築群

でもこういう事態を全く予想していなかったというと嘘になる。 リガ〜クレッサーレなんてフェリーに乗りたがる人なんかそうそういないだろう。そんな路線、果たして採算が取れるのだろうか?  出発前からそういう疑問を抱いて、HPにフェリーの時刻表をアップしている旅行会社に、確認の問い合わせメールを送ったりしていたのだ。でも回答は「大丈夫、運行してます!」だった・・・。 あ〜あ、まったくいい加減だなあ。

フェリーが使えないならまた土の上を行くしかない。 とりあえずバスでエストニアのパルノまで行き、そこで先のことを考えよう。 それにしても、バスではランサムな気分には程遠いし、 ランサムが上陸したというルフノ島を遠くから眺めるチャンスさえなくなってしまったわけである。残念。

気を取りなおしてリガ観光に1日を過ごす。

リガの新市街のユーゲントシュティール建築群が売りに出ている

どちらかというと可愛らしい雰囲気のタリンとは違い、 リガは華麗な大都市という感じがする。 多くのヨーロッパの都市と同様、旧市街と新市街に分けられるのだが、 リガの新市街は「新」とは言っても19世紀後半から20世紀にかけて建てられた建物が多く、日本人の目には十分に古めかしく見え、重厚な魅力をたたえている。 ランサムがリガの町を訪れたのは、新市街が作られて間も無いころ、 まさにちょうどこの町が「バルト海のパリ」ともてはやされていたころのこと なのだろう。 この美しい町並みは、ランサムの目をも、大いに楽しませたに違いない。 (この項の写真のうち、1枚目が旧市街。2・3枚目は新市街のユーゲントシュティール建築群。 3枚目は美しく修復なった建物が売りに出ているの図。)

ユーゲントシュティール<Jugendstil(独):
アール・ヌーヴォーの流れを汲むドイツの芸術運動。 「アール・ヌーヴォーのドイツ語圏における呼称」と説明されていることもある。

パルノ

パルノの寂しいビーチ

翌日、またまた国境でひっかかりながらエストニア再入国。 エストニア有数の海岸リゾート・パルノに到着。

宿を見つけたあと、早速ビーチに出る。 がらがらに空いているが、泳いでいる人もいる。 こんな薄ら寒い風が吹く中で、よくも水の中になんか入る気になるものだなあと呆れてしまうが、 触れてみた水は意外に暖かかった。 「この沖をランサムはヨットで帆走したのだ」と思うと、なんとなく感慨無量。

パルノのヨットクラブ

翌日はタリンに戻る友人を見送ったあとで、 この地の名物「泥風呂」に入りに行く。これはきわめて土人的体験といえよう。というか、大おばさんが得意そうな分野である。というか、パルノという町は、いくつものサナトリウムのある、エストニア版ハロウゲイトなのである。(ハロウゲイトには行ったことがないんだけれど。)

中途半端に時間が余ってしまったので、町はずれのヨットクラブに行ってみることにした。 ちょうど帆走し始めたヨットがあったので、すかさず写真に撮る。 「ランサムのバルト海」に一歩近づいた気がした。


ムフ島

1時15分発のバスに乗り、3時半にヴィルツのフェリー乗り場に到着。 4時発のフェリーに乗る。もうすぐムフ島だ。フェリーで渡っているこの水路をランサムは苦労して通り抜けたらしいが、 私はこれから先のことで頭がいっぱいで、感慨に浸っている余裕などなかった。 本土のヴィルツ、あそこにも町なんて無かった。 島に渡ったらどんな状況なのだろうか。うまくローカルバスが来ていればいいのだが・・・。

クイヴァストゥの桟橋

ほどなくムフ島の玄関、クイヴァストゥが見えてきた。 その姿を見た私は「うーん・・・やっぱりそうだったか」と心の中で唸り声をあげた。 そこに見えるもの、それは桟橋(もちろんランサムの見た木の桟橋ではなくて、コンクリート製の立派な桟橋)、数軒の建物、それだけ。

今夜の宿はコグヴァである。このコグヴァ、実はムフ島の最西端の村であり、 今私が降り立ったクイヴァストゥは島の最東端。 ローカルバスの影すら見えないからには、 宿に電話して事情を説明するしかない。 そのためにはテレフォンカードを買わなくてはならない。 ところが港の売店にはテレフォンカードが無かったので、 売店の女の子にガソリンスタンドに連れていってもらって買い、 ついでに公衆電話をかけ方を教えてもらい、 ようやくつながったかと思ったら、 エストニア語の電話のメッセージが流れてきて、何を言っているかさっぱりわからない。 再度、売店に駆け込み、彼女にメッセージを聞きとってもらい (「電話番号が変わったんだわ」と彼女は言った)、 新しい電話番号を教えてもらってからまたかけ直し・・・ という大騒ぎになってしまった。 宿が呼んでくれたタクシーが来たときは心からほっとした。 (今度は「お金が足りなくなるかもしれない」という新たな不安に駆られることになるのだが。)

緑したたるコグヴァ野外博物館

翌日は コグヴァに1日滞在し、野外博物館をうろつきまわって過ごす。

博物館とは言っても、要するに、昔ながらの石垣に囲まれた農家が10数軒あるだけである。 他にも一応、昔の学校の建物が修復されて観光客に開放されているが、 そんなものよりも、木漏れ日を浴びながら苔むした石垣の間をうろうろ歩き回るのが楽しい。 ムフ島の東側の水路を通って北上していったランサムは、 当然のことながらこの村には来ていない。 でもランサムが来た当時のムフ島の村々の面影を今に伝えているのは、 おそらく島内でもこのコグヴァだけだろう。 そう考えれば、 タクシーに大枚(?)2000円払ってここまで 足を伸ばしたのは無駄ではなかったと言えよう。

ムフ島の海岸

同じところを何回も歩いて、もういいかげん村を見尽くしたなあと感じたので、海岸に下りてみることにした。 砂浜に腰を下ろしてぼーっとするのも 悪くないと思ったからだ。 ところが海岸には砂浜は無かった。岩礁も無かった。 あるのは葦の生えた湿地だけ。それが海に続いている。 目の前にある大きな水たまりは本当に海なんだろうかと疑いたくなる。 湿原に腰をおろすわけにもいかず、写真を撮っただけでそそくさと退散。 (写真の水平線上の左の方にうっすら見える線のような陸地はサーレマー島)

ムフ島からタリンへ戻るときは直通バスに乗ることができた。

今回は先の心配が無いから、周囲を細かく観察する余裕があったが、 ランサムが見たというクイヴァストゥの「ムフ門」までは確認できなかった。 コグヴァで購入したムフ島の観光パンフレットにもそれらしきものは載っていなかったから、もしかしたらソ連時代に破壊されてしまったのかもしれない。 (あくまでも私の勝手な推測だが。)

ランサムが苦労して通った2つの島の間の水路 フェリーから眺めるムフ島の海岸はどこも葦だらけだった。

水路のほぼ中央にあるKesse島が水平線上に細い線のように見えた。 この水路は十分な広さがあるように見えるが、 この島やムフ島、サーレマー島、そしてエストニア本土の限りない平坦さを考えると、海底の地形もおそらく同様なのだろう。つまり極端な遠浅だということだ。 とすると、この穏やかな海域も、実際はいたるところ座礁の危険をはらんだ、かなりの難所なのかもしれない。 (上の写真の真中の線がKesse島。この島と水平線上の左の方にかすかな線のように見えるムフ島との間をランサムは通った。)


タリン

リガに行く前にタリンは見てあったので、 今回は郊外のピリタというところに行ってみることにした。

年老いた釣り人と3人の少年たち

観光名所「ピリタの僧院」の土人的観光をすませると、私の足は自然に海岸に向かった。 すると前方にヨットハーバーが見えてきた。 沖合いにも帆走するヨットの群れが見える。 なんとなんと、ここもまたけっこうランサムなところではないか!

ふと見ると、老人が釣りをしていた。 なかなか味があるおじいさんなので、 写真に撮ろうかと思って歩を緩めると、 少年が3人やってきて、老人に話しかけたりしている。 おお、これは「死と栄光号」の3人とピーター・ダック交流の図!(そんなシーンは無いってば!)


終わり、そして新たな始まり

「ランサムのバルト海」を探し求めた私の旅はここでおしまいである。

タリンから夜行フェリーでストックホルムへ渡った。 それは「リンドグレーン聖地巡礼」の始まりであった。 (2001年8月)


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