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児童文学の旅
ケストナー聖地巡礼記(2)

この博物館は、訪問客がいきなりドアごと
とびこむということはできない

前がきは書物にとって、前庭が家にとってそうであるように、きわめてたいせつであり、好ましくもある。
-----「わたしが子どもだったころ」より

彼女は、エーミールをたいそうかわいがっており、はたらいてお金をもうけることができるのをよろこんでいます。ときには陽気な歌をうたいます。ときには病気もします。
-----「エーミールと探偵たち」より


ケストナー博物館 ケストナー博物館の外観

待たされたのは5分か10分程度だろうか、間もなく、説明役の、30歳ぐらいの男性がやってきた。 展示室の前の狭い廊下の壁に、写真のコラージュ作品が4つほどかけられていて、まずはそれらに関する説明をしてくれるというのである。「説明は英語でお願いします」と言うと、彼は「こちらは」と最初の写真を指さしながら、流ちょうな英語で語り始めた。

「第二次世界大戦以前のドレスデンの町の様子です。この美しい町並みを、ケストナーは愛してやみませんでした。大戦後も、ケストナーは親戚を訪ねてドレスデンに来ることがありましたが、共産主義政権下で新たに建てられたコンクリートの建物を、彼は醜悪と考え、ひどく嘆いたものでした。」

「次は、ケストナーの幼少時代と両親についてです。彼の父親は腕のいい革職人だったのですが、彼の作るカバンは丈夫過ぎて壊れないため、商売にならなかったのです。一方、彼の母親は美容師をして家計を支えました。」

ドレスデン ドレスデン旧市街

「こちらが ケストナーの生家の写真です。この建物の5階の部屋で生まれたのです。数年後にいくらか余裕ができて、同じ通りの別の家に引っ越しました。今度は3部屋あったけれど、母親はそのうち2部屋を他の人に貸し、自分と息子は残りの1部屋で暮らすことにしました。その同じ部屋で、美容室も営業していたのです。 母親はとても賢い人で、息子の教育を考えて、下宿人として学校の教師を選んだのだそうです。これら2つの建物は今も残っています。この博物館のすぐそばですよ。」

「このように、アパートで育ったケストナーは、常に、『前庭のある家』に憧れを抱いていました。 『前庭』というのは、本で言えば英語のイントロダクション、つまり前書きです。彼の作品には必ず前書きがあります。ドイツ語で『前庭 Vorgarten』と『前書き Vorstellung』にはともにvor-という接頭辞が付いているので、この2つのつながりは、ドイツ人にはとてもわかりやすいのですが、英語の場合はぴんときませんね。introductionと『前庭=frontyard』は全く形が違うので。
この博物館で、来館者をいきなり展示室に通さずに、こうして最初に説明をして差し上げることにしているのは、ケストナーの考え方にならってのことなのです。」

「大戦中、多くの文学者が外国に逃れる中、ケストナーはナチス政権に弾圧され、焚書にあいながらも、あくまでもドイツにとどまり続けました。 こちらは晩年の家族3人揃ったとても珍しい写真です。」

「そして、現在博物館となっているこの建物の以前の様子についてです。 この建物はもともと、ケストナーの叔父の家でした。その叔父はとても裕福な人でした。。ケストナーはしばしばこの家に遊びに来て、従妹と遊んだのです。それが点子ちゃんのモデルで、『点子ちゃんとアントン』には彼と従妹がいかに仲良かったかが、忠実に再現されています。ちなみに、男の子の名前が『アントン』になったのは、この家の住所が『アントン・シュトラッセ(アントン通り)』だからなのです。」

聖母教会 第二次世界大戦のとき爆撃を受けて廃墟と化していたドレスデンの聖母教会が、統合を機に再建されることとなった。現在突貫工事中

「この家はその後、人手に渡り、一時期、非常に荒れ果てていたときもありましたが、1997年(だったかな?)にドレスデン市の所有となり、ケストナー博物館が作られることになりました。今は庭もすっかり整備され、ケストナーが従妹と遊んだ頃の様子を取り戻しています。」

ケストナーが亡くなったのは1974年。ミュンヘンの病院においでである。 そして、この博物館の誕生は2000年2月と、意外に遅い。 ケストナー博物館の公式サイトによると、ケストナーは1945年以降ずっと、ミュンヘンで暮らしたらしい。 ナチスの弾圧に耐えてドイツにとどまった彼ですら、東ドイツにあるドレスデン で暮らそうとはしなかったのだ。そして、そういう作家の個人博物館など、共産主義政権下では、生まれるべくもなかったのだろう。そう考えると、この博物館は、東西ドイツ統合のたまものと言ってもいいのかもしれない。

また、私は「ケストナーは強烈なマザコンだった」ということを、すでに何かで読んで知っていた。そして、大人になってから「エミールと探偵たち」を再読し、エミールの母親の紹介が書かれた前書きを読んだとき、「これはマザコンの書いた文章だ」と、おおいに納得したものである。しかしながら、あの前書きは、私の涙腺を刺激してやまない。もしも実際に、目の前に強烈なマザコン男がいたら、いろいろと頭にくることもあるだろうが、作品の中にこめられた母親への愛の深さには、手放しで感動せずにいられない。
というわけで、ここでケストナーの母親に関する説明を聞きながら、私の目はウルウル状態になってしまった。
私を感動させたのはそれだけではない。説明係の男性の熱い語り口にも心打たれたのである。この男性自身、相当のケストナーファンであるに違いない。

ドレスデン すでに聖母教会の塔には登れるようになっている
真ん中がエルベ川、左が旧市街、そして
右がノイシュタット

しめくくりは、この博物館のコンセプトに関する説明だった。

「この博物館は非常に小さいので、従来の博物館とは全く違う工夫がなされています。部屋の中に置かれたたくさんのキャビネットに引き出しがたくさんあって、それをご自分で出して見ていただくことになります。 引き出しはジャンルごとに色分けされています。たとえば、『ジャーナリストとしてのケストナー』『ケストナーとドレスデン』とか、もちろん『児童文学者としてのケストナー』 もあります。 お客様は、ご自分の興味と関心に従って、その色の引き出しを開け、中に入っている資料をご覧下さい。つまり、その人ごとに、ケストナーという人間の、違う側面を発見することができるのです。ビデオやCDもありますので、どうぞご自由にご覧下さい。」

これまた非常に熱の入った話しぶりである。
きっとこの人、この博物館の設立プロジェクトの初期から関わっていたのではないかしら・・・? などと、またもや余計なことを考えつつも、またもや非常に感動してしまう私であった。


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