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児童文学の旅
ケストナー聖地巡礼記(3)

ようやく展示室に入る

これで、まえおきはもうおしまいです。ばんざい。
-----「点子ちゃんとアントン」より


展示室の広さは20畳か30畳程度だろうか。それ1室だけである。 適当にスペースを空けてキャビネットがあちこちに設置され、そのそれぞれに、色とりどりの引き出しがある。

岩波のケストナー全集 岩波のケストナー全集が目につく

この色は確か「ケストナーとドレスデン」だったっけ、これは「児童文学者としてのケストナー」よね、などと考えながら引き出しを空けてみると、昔の新聞の切り抜きのコピーがパウチされたものとか、写真などが入っている。 問題は、それらがすべてドイツ語で書かれていることだった。私の「旅のサバイバルドイツ語」程度の力では、到底読解不可能なしろものばかりである。 それでも一応、「これはケストナーの業績をたたえた記事なのだろうな」ぐらいのことはわかったが。

美術館も博物館も英語では「ミュージアム」だが、この2つには大きな違いがある。美術館はどの国でも、それなりに楽しめるが、博物館というのは、その国の言語にかなり通じていないと、今ひとつ楽しめないものなのだ。そのことを痛感した。

難しい言葉がわからなくても楽しめるものは、映画のビデオだろう。こう考えて、手近にあった「エミールと探偵たち」をちょっとだけ観てみたら、かなり最近の映画らしくて、とても現代的な雰囲気だった。日本に帰ってから、機会があったらぜひ観てみよう。

展示室のここかしこに、世界各国の言語に翻訳されたケストナーの児童書が置かれていた。英語、フランス語、ロシア語等々、 たいていのはどこの国のものなのか、見当がついたが、1冊だけ、さっぱりわからない「ふたりのロッテ」があった。降参して本をとじるとき、ふと後ろ見開きを見たら、「ヘブライ語版」というゴム印が押されてあった。

ケストナーの著作 ケストナーの著作の展示即売コーナー
児童書は一般の書店でも簡単に見つけられるが、ケストナーが大人のために書いた作品を手に入れたいなら、ここで探すのが手っ取り早いだろう

各国語版のうち、 一番充実していたのは、チェコ語版と、なんと我が日本語版であった(もちろんドイツ語の原書の次に充実していた、という意味である)。 チェコはすぐ隣りの国だからなじみやすいということが言えるだろうが、日本はすごい。いや、岩波がすごいのか。それよりも、翻訳した高橋健二氏がすごいのかもしれない。とにかく、他の多くの国は、「エミールと探偵たち」「飛ぶ教室」など、ほんの2,3作品しか見あたらないのに対し、日本語版は9作品もある。

展示室の向こうにはサンルームがあり、 ケストナーの作品の展示即売コーナーがあった。試しにその中の何冊かを手にとってみたら、ケストナーの児童書は、案外難しいドイツ語で書かれているようだった。そういえば、日本語訳を読んでいても、児童書のわりに大人っぽい言い回し---節回しと言ってもいい---があるけれど。特にケストナーご本人が登場する部分は非常に大人っぽい。子どもの頃、初めてあの「ケストナー節」に触れたとき、一種の衝撃を覚えたものだった。そして憧れた。「こういう文章が書けるようになりたい」と思ったほどである。と同時に、なんとなく鼻につくような気がしたことも否めないのだが。

サンルームにはいくつか椅子が置かれていて、そこで小学生ぐらいの男の子が本を読みふけっていた。



私はやらなければならないことを知り、
それをすることにする

国王橋通りは、エルベ川から遠ざかるにつれて、荘重でなくなり、貴族的でなくなった。 <中略>それから「厚生施設」があった。民衆食堂、民衆図書館、冬にはスケート場に変わる運動場などの公益事業だった。<中略>この地区にわたしの幼年時代の三軒の家があった。66番地、48番地、38番地。
-----「わたしが子どもだったころ」より

市役所通り12番地に住んでいる人が、鉄道馬車に乗っていて、おりようと思ったら、窓ガラスをたたきさえすれば、よかったのです。(中略)会社はひまでした。馬もひまでした。ノイシュタットの住民もひまでした。だれかがほんとに特にいそぐ時は、歩いて行きました……
-----「エーミールと探偵たち」より


庭 博物館を庭のほうから眺める
ここでケストナー少年が遊んでいたのだ

次に、庭に出てみた。時計の針はすでに5時を回っている。夏の太陽が、1日の最後に精一杯の輝きを投げかけているその庭に立ち、幼いケストナーが従妹と遊んでいる姿を思い描くうちに、私には次に自分が何をするべきなのかがわかってきた。

博物館の玄関で、先ほど説明してくれた男性に、場所を教えてもらう。
「そこの通りをまっすぐに行くのです。すぐ近所です。ケストナーの生家は66番地で、目印は映画館です。映画館を見つけたら、その向かい側にあります。その次に引っ越したところは48番地。これのほうがずっと近いですよ」

ケストナーの生家 国王橋通り66番地
「ケストナーの生家」の表示 66番地にあるプレート
ケストナー少年時代の家 48番地

言われたとおりに行くと、その、ケーニヒスブリュッカー通り(高橋健二訳では「国王橋通り」)は1番地から始まっていた。ぎょぎょっ、この道を66番地まで、ひたすら北上しなくてはならないわけか・・・。

・・・ったく。「すぐ近所」ですってさ。体育会系のドイツ人の言うことなんか、 真に受けるんじゃなかった・・・。 私は内心かなりぶーたれながら、せっせと歩いた。もうトラムの停留所を過ぎちゃったじゃないの。まだようやく30番地を越えたところね。ああ、またトラムの停留所だわ。映画館ってどこなの?

3つ目のトラムの停留所は、比較的大きな交差点のそばにあり、そこに映画館にふさわしい大きさの建物があった。大きいけれど、ひとけがないし、なんとなく地味である。そばに寄ってみると、「○月×日 ナントカカントカ上映」とか書いてある小さなポスターが貼ってある。これか。映画館とは言っても、全国ロードショーを行うようなところではなく、ときどき上映会が行われるときにみんなが集まってくるという、公民館のような建物なのだ。 なんとなく、東独時代の置きみやげという感じがする。でも、ケストナーの時代の映画館も、きっとそんな感じのものだったのだろう。 そう言えば、この界隈は、再開発の進む中央駅付近とは違って、古めかしくてひなびた雰囲気がまだ残っている。このムード、ケストナーをしのぶには悪くない。

映画館を背にして、向かい側の建物の番地を見ると、70を越えていた。1軒1軒番地を確認しながら、後戻りし、目指す66番地を見つけ、写真を撮る。 せっかくだからもっと近くから見ようと思い、通りを渡ろうとすると、車の往来が激しくて、なかなか渡れない。それに加えて、石畳が車の騒音を倍加させるので、この通りは恐ろしくやかましい。 もしもケストナーがこの有様を知ったら、きっと慨嘆することだろう。

やっとの思いで通りを渡り、その建物の入口に近寄ったら、「ケストナーの生家」というプレートがあった。

来た道を戻り、48番地の建物を確認する。こちらには何の表示も無かった。もう一度苦労して通りを渡り、反対側から写真を撮る。今度はトラムがやってくる瞬間を狙って撮った。エミールがいたときは、トラムではなくて、鉄道馬車だったというが。



やるべきことはまだあった

それから、おかあさんは、窓口で乗車券(もちろん、板の座席のです)と入場券を買いました。そして一番フォームへ行き---はばかりながら、ノイシュタットにはプラットフォームが四つもあります---ベルリン行きの列車を待ちました。
-----「エーミールと探偵たち」より


ドレスデンにおけるケストナー聖地巡礼はこれで終わった。
こう考えた私は、普通の観光客に戻り、 翌日はドレスデン旧市街の観光に精を出した。その次の日は、郊外のマイセンに行くことにし、 中央駅発のSバーン(近郊列車)に乗った。 ところがこの列車、ドレスデン市内の各駅に停まりながら、のんびりマイセンを目指すのである。つまり、ノイシュタット駅にも停まったのである。 そうか、だったら帰りに、ノイシュタット駅で降りることができるんだわ。

ノイシュタット駅 エーミールがベルリン行きの列車に
乗ったノイシュタット駅

というわけで、その日の5時45分頃、私はノイシュタット駅に降り立ったのである。近郊列車しか停まらない駅のわりには、なかなか立派で、プラットホームが何本もあった。

駅前広場を渡り、 レトロな雰囲気をたたえた駅舎の写真を撮ってから、駅前通りをまっすぐ行くと、ほんの5、6分でケストナー博物館が見えてきた。もうすぐ閉館時間の6時なので、看板はすでにしまわれていた。 ここから48番地の家までは徒歩10分くらい。つまり、エーミール家からノイシュタット駅までは、徒歩15分か20分ぐらいというところである。このぐらいだったら、急いでいる人は、鉄道馬車なんか待たずに、歩いただろうと納得した。

翌日の朝8時過ぎ、私はドレスデン中央駅発のIC特急に乗り、ベルリンに向かった。 特急の路線は中央駅を出ると間もなく在来線から離れてしまい、ノイシュタット駅を通過することすらなかった。私はベルリンまでの2時間余り、目をぱっちりと開けていて、お金を盗まれることもなかった。<完>(2005年8月)


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