ローテンブルクでの研修 表紙に戻る
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準備

ドイツに行ったのは1984年のことです。

大学で専攻していたフランス語ならいざ知らず、ドイツ語を勉強しにいくなどということは酔狂以外の何物でもなかったのですが、友人ユウコがドイツ留学したなど、いくつかのきっかけがあるにはありました。

当時、私のドイツ語歴はせいぜい通算6ヶ月程度。なおかつすでに現在の職についていたので、学生時代にフランス語のパンフレットを解読したときほどの語学力も時間的ゆとりもありませんでした。

そのかわり、と言ってはなんですが、給料をもらえる身にはなっていたので、以前よりは経済的に余裕がありました。こういうわけで、ドイツ語を習いに行っていたエンデルレ書店を通じてゲーテ・インスティテュートの講座の申し込みをしたのです。

ローテンブルクをなぜ選んだのかはっきりしませんが、ゲーテは2ヶ月講座の方が多くて、8月だけの1ヶ月講座はあまり選択肢がなかったような覚えがあります。でもまあ、はっきり言って「あのロマンチック街道のローテンブルクに滞在できる!!」ということで舞いあがっていたのも事実です

エンデルレには航空券の手配まで頼んでしまいました。


事前に教わったこと

エンデルレの担当者はとても親切で、実にいろいろなことを教えてくれました。以下はそのときのノートの要約です。

  • 初日の朝8時頃から受付が始まるので、前日に町に入っておき、朝1番に行くと条件のいい下宿先を確保できる。
  • 下宿に関してはこちらの希望をはっきり言うこと。
      <例>Einzelzimmer, Nichtraucher, bei einer netten Familie, mit Bad, mit Kuchenbenutzung, inder Nahe der Goethe-Institut (赤い文字はウムラウト付き
  • 初日は登録をし、食券をもらい、下宿を紹介してもらう。
  • 食券は町の指定されたレストランで使うことができる。食券で買い物ができる商店もある。
  • 下宿について。友人を招いたら Frau に紹介すること。無断で洗濯や料理をしない。カギを渡されるが、保証金 Kaution を要求されることもある。
  • できたら留意事項を Frau に書いてもらうといい。
      <例>Bitte schreiben Sie an: Hausordnung, Wohnungsbedingungen, Kuchenbenutzung, Badnehmen, Waschen, etc.
  • 貴重品は部屋に置きっぱなしにしない。
  • 入浴・シャワーの際、お湯の出る量は決まっているので使いすぎないように気をつける。
  • 事務所の入り口の向かい側に掲示板があり、催し物の案内などが掲示されるので、毎日必ず見ること。


  • 現地にて(初日)

    スカンジナビア航空でデュッセルドルフ入りした私はまっすぐケルンへ行きました。そこでドイツ留学中の友人ユウコと落ち合い、1泊し、翌朝ユウコはシュタウフェン Staufen (ここはミヒャエル・エンデの「モモ」の舞台なのだそうです)のゲーテの2ヶ月講座へ、私はローテンブルクへ向かいました。

    さすがにロマンチック街道の一番有名な町だけあって、ローテンブルクには安い宿がごまんとありました。宿さがしにはさして苦労はありませんでした。

    ゲーテの庭

    初日7時40分ころにゲーテに行くと、日本人が数人いました。8時に整理券 をもらうと9番目。エンデルレで教わったとおりのことを言うと、Familie Fischer を紹介されました。

    タクシーで連れて行ってやると言うので「朝食をまだとっていない、荷物はホテルに置いてある」と言うと、「ホテルに帰って朝食をとり、荷物を取って来い」と言われ、そのとおりにしました。

    9時過ぎにゲーテに戻ると面接試験?を受け、門前に待っていたタクシーに相乗りし、Familie Fischer へ。2階には広々した寝室、ダイニング・キッチン、浴室!! あれれ、でもベッドが2つ。Einzelzimmer って言ったのに・・・ ほどなくイタリア人のルチアが Guten Tag ! とやってくる。なーんだ相部屋かぁ。まあいっか。


    現地にて(その後)

    相部屋だったことに多少がっかりしたのですが、あとになってみると、ローテンブルクでの滞在が実り多いものになったのは、ほかならぬこのルチアのおかげでした。

    広い部屋

    イタリアのヴェローナでドイツ系企業に働いているルチアは、イタリア人と思えないほど?真面目な勉強家でした。ローテンブルクの生徒の8割はイタリア人!!だったのですが、「絶対ドイツ語で通す」という信念を持っていて、実際、イタリア人でもドイツ語で話す人以外とはつきあおうとしませんでした。

    彼女は Mittelstufe 2(中級2)、私は Grundstufe 3 (初級3)。Grundstufe 2 のクラスは無かったので、実質的に 下から2番目のクラス。彼女にとって私は実に物足りない存在だったことでしょう。「ドイツ語は趣味だから滞在を楽しむのが第一の目的」と思っていた私は、早くも路線の変更を余儀なくされました。同室の彼女にうんざりされたら大変だ。真面目にドイツ語を勉強しよっと。

    私たちの家の前に立つルチア

    毎朝いっしょにゲーテに行くとき、車の交通の激しいところを横断しなければなりませんでした。「ここは危ないわね」って言いたいけれど「危ない」という単語がわからない・・・ その日のうちに辞書で調べて(なになに、gefahrlich というのね)覚え、翌朝、そこを横断するとき "Hier ist es gefalich." と言うのです。

    頭の中はドイツ語でいっぱい。1ヶ月間というもの、常に頭痛がしていました。比喩ではなく、本当の頭痛です。それほど頭を使っていたということなのです。帰国するとき、このままあと1年いたらどれほど上達することだろうと、残念な気がしたものです。

    ローテンブルクでの1日はこんな具合です。

    朝、ゲーテのカフェテリアで朝食。

    授業。私のクラスは25人。その内訳は

    アイスランドの学生・イギリスのフランス語教師ミラノのおばちゃん(役所のボス)スペインのエンジニアオーストラリアの神父さん・フランスの学生・ミラノの歯医者さん・アメリカの声楽家・イタリアの女の子(お父さんの会社で働いている)・アメリカ人(ドイツの会社ボッシュに勤務)・イギリスの学生・イタリアの学生・日本人の女性(会社をやめてきた)・北欧のどこかの人・韓国のキム君(音楽専攻の学生)・メキシコの学生・ 日本人の男性(謎)・イランの学生(ドイツ留学中)・イタリア人・インドネシアの学生・日本人の女の子(ドイツ語学科の学生)・イタリアの女の子(高校を出たばかり)・スペイン人・私。
    (下線を施したのはわりと仲良くなった人)
    ゲーテの学生は「比較的年令層が高く、知的な職業についている人が多い」と聞かされていましたが、本当にそのとおりでした。すでに自分が社会人になっていたこともあり、ひととしとった職業人との交流がとても刺激になりました。 今振り返ってみても、5回の語学研修のなかで、面白い人に一番たくさん出会えたのは、ゲーテだったと断言できます。

    友人ユウコは、シュタウフェンのゲーテで知り合った
    ポーランド人の神父さんの紹介状を携えてポーランドを旅しました。
    最高だったそうです。当時のポーランドに、
    それも聖職者の紹介状を持って行ったのは、
    水戸黄門の印籠を持って旅するようなものだったはず。
    そりゃあ楽しかったでしょう・・・


    8月後半になって、先生が交代したときから、 クラスの中に一人問題児が生まれました。アメリカ人の声楽家である男性です。これは彼だけが悪かったわけではないのですが・・・

    友人達

    新しい先生は私たちのレベルを早く把握したかったためなのでしょうが、「どんどん質問しなさい」と言いました。するとそれまでおとなしかった彼が毎時間、先生を質問攻めにするようになったのです。それも辞書を引けばわかる簡単な単語の一つ一つを質問するのです。

    「予習というものをしてこないのか?」と私たちは驚きあきれ、ひそかに怒りました。

    クラスにいたもう一人のアメリカ人男性は、「ぼくは仕事のためにドイツ語がどうしても必要なのだ」と言い、自分でずいぶん先の方まで勉強していました。その彼がふとこう言いました。「ぼくは学生時代、外国語というものを勉強したことがないんだ。今になって初めて外国語に取り組むのはとても大変だ。勉強のしかたが身についていないから」

    日本では何かというとアメリカを範に仰ぎますが、
    本当にそれでいいのでしょうか?
    しばしばひとくくりにされる「欧」と「米」の間にさえ、
    教育一つとってみても、かなり大きな違いがあるのではないか、
    と私は思うようになりました。


    昼は友人たちとゲーテの食券の使えるレストランで。夕食はスーパーで買い出し(食券で支払う)をして、自炊。私とルチアは「肉は昼食にとれば十分。夜は野菜中心で軽くすませよう」ということで意見が一致し、サラダやパスタ(なにしろルチアはイタリア人!)を食べていました。おかげで太りすぎることもありませんでした。

    Frau に「入浴は週に2回」と言 われていたので、ふだんはシャワー。いつお風呂にするか一生懸命考えていました。ひどく疲れた日にお風呂に入ったら、翌日すっきり元気になり、入浴の偉大さを実感したものです。

    ゲーテ正門とメキシコ人の女の子

    私は自分のクラスメートよりも、ルチアを通じて知り合った人とつきあうことの方が多かったのですが、結果的にこのことがドイツ語の上達に役立ったように思います。初級同志では大したことは話せません。ドイツ人だとドイツ語がうますぎて?ついていくのが大変です。その点、ルチアのクラスメートたちは、私から見たらペラペラなのですが、それでもドイツ人よりは話すのがゆっくりですし、教科書に出てくる語彙を使って話すわけです。ちょうど、テニスが下手な人でも相手が上手だと乱打が続く、という感じでしょうか。

    週末のエクスカーションではハイデルベルク・ニュルンベルク・ミュンヘンへ行きました。ミュンヘンの町に着いて、バスの運転手が「5時にここから出発します」と言ったとたん、「ここってどこだ?」と全員で突っ込みを入れたことを覚えています。フランスのときと同じく、ドイツでもやっぱりオンブに抱っこじゃないのです。

    ローテンブルクは小さな町です。午後、ルチアが出かけてたときなど、宿題をすませてしまうと、町の広場に出かけて行きました。必ず知った人に会うことができて、寂しい思いをすることはありませんでした。

    とは言ってもやっぱり田舎です。1ヶ月後、私たちは「この町は美しくていいところだ。でも1ヶ月が限度だ。もうこれ以上いたくない」と言いながら別れていきました。


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