えせバックパッカーの旅日記
ドブロブニク到着
7月30日。
初めて見るクロアチアは、明るくてなんとなく楽しげだった。町並みは、もちろんドブロブニクのそれである。ただし、新市街。旧市街は丘の向こう側なので、フェリーから見ることはできない。 というわけで、夜行フェリーでドブロブニクに入るのは、それほどロマンチックなものではなかったのである。バーリまでの所要時間、鉄道とフェリーの料金、そして、あのバーリの混乱---時期が時期だけに、特に混雑していたのだろうが---すべてを考え合わせると、普通の旅人にお薦めできるコースではない。(私のようにネタを好む人にはお薦めであるが。)
フェリーは定刻7時に到着した。 |
ドブロブニク1日目
「ここのすぐそばだよ。歩いてほんの3,4分」 私は旧市街のそばがいいの。 すると、おばちゃんはあっさり引き下がり、 おばちゃん2号が来る。 「うちは旧市街のそば。このへん(と地図を示し)。旧市街から15分。220クーナだよ」 4400円か、ドブロブニクは高いなあと思っていたら、今度はおじさん(とは言っても、きっと私より若い)が来た。 「うちは旧市街のすぐそばだよ。エアコン付きで250でどうだい」 すると、おばちゃん2号、「そっちの方がうちよりいいわ」と引き下がったのである。びっくり。おばちゃん2号、いい人だ! おじさんは旧市街の写真を見せ、「うちはここだよ」と指さす。確かに城壁のすぐそばだ。でも、5000円というのはあまりにも高い。エアコン無しで4000円ぐらいのほうがいいのになぁ。 でも結局、そのおじさんの部屋に決めた。おばちゃん2号が「そこはいいわよ」と勧めてくれたのと、おじさんの「ぼくは車があるから、乗せていってやる」というセールストークが大きかった。
イヴォさんは運転しながらカーラジオを点け、ある局に周波数が合った瞬間、「ちっ、これはセルビアだ」と吐き捨てるように言い、他の局に変えた。このフレンドリーな人からそんな言葉が飛び出すとは。クロアチア人が、いかにセルビア嫌いであるかということを、第1日目の朝にして実感。 イヴォさんの家は、旧市街をとりまく城壁の、いちばん高い塔のすぐ裏手の、共同住宅の2階だった。建物の外壁には「sobe」の表示がある。まだ部屋の準備ができていないからと、台所に通され、ジュースと果物をサービスしてもらっていると、男性宿泊客がやってきた。これからイヴォさんの車で空港に送ってもらうのだというアメリカ人の彼は、「ここはいいよ。君はラッキーだ」と言い残して去っていった。
シャワーを浴び、洗濯して、部屋でひと休みしていると、外はざんざん降りの雨になった。あらー、困ったな、私、今回は傘どころか、雨合羽のたぐいさえ持ってこなかったのだ。 雨足が弱くなった頃合いを見計らって、でかける。 旧市街の北側の駐車場のそばにある口から旧市街に入ると、目の前には、予想以上にドラマチックな景観が広がっていた。 狭い路地。階段がないと上り下りができないほどの急坂である。視線を上にやれば、はるかかなたに教会が見える。
傘をさして、さらにうろうろ。クロアチア内戦の写真が展示されているという「War Photo Limited」に入り、内戦のときにクロアチアとドブロブニクがどれほどひどい状況だったかをお勉強する。 次にプラサ通りに面した 聖ブレーズ教会というのに入ってみたら、ミサをやっていた。知っているメロディが流れているのにちょっと感動する。
レストランから出ると、雨はすっかり上がっていた。 お次は 海洋博物館。たいしたことはないだろうと予想していたとおりだった。でも、現代のドブロブニクで、多少なりとも「商船の行き交う、いにしえのアドリア海」に関連のあるスポットといったら、これ以外には無い。そういう意味では必見である。
部屋に戻ったのは4時だった。 ベッドに横になったら、意識を失った。 廊下の人声で目を覚まし、時計を見ると12時近かった。しまった、寝過ぎだ! 私の部屋は朝からずっとエアコンを付け放しだった。暑いというより、消し方がわからなかったためだ。トイレに行ったら外も涼しかったので、これはいくらなんでももったいないと思い、イヴォさんに消し方を訊いたら、「コンセントからプラグを抜け」とのことだった。 昼間あれだけ寝ても、寝過ぎとということはなかったらしい。 ベッドに入ったら、間もなく眠りに落ちた。 |