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えせバックパッカーの旅日記
バスクの夏はどんな夏

バイヨンヌ

バイヨンヌのカテドラル周辺

ピレネー山脈が大西洋に落ち込むあたりにあるバスク地方。バスクというと、テロ事件がよく起きるスペイン・バスクが有名だが、実はフランス側にもバスク人は住んでいる。ルルドでの聖なる体験の後、私が目指したのがフランス・バスクの中心都市・バイヨンヌだった。

駅前の1つ星ホテルにチェックインし、部屋に荷物を置くのもそこそこに、町の中心にある観光案内所に向かった。 今まであまりにもご清潔な雰囲気の中にいたせいだろうか、この町の普通さ加減がとても新鮮だ。 いや、「普通」と言ってしまってはバイヨンヌに申し訳ない。この町の明るさは普通以上なのである。フェスティバルか何かがあるらしく、町中に旗というか、吹き流しのようなものが飾られていて、見ているだけで心が浮き立ってくる。

足取りも軽く 観光案内所に入り、 「何かバスツアーはないか」と尋ねると、係の女性は、ザラ紙にタイプで打ったパンフレットを見せて説明してくれた。曜日ごとに行き先が異なり、今日はバスクの小さな村々を巡る半日ツアーがあるのだという。
「素敵なツアーですよ。13時30分発ですけれど、今ここで申し込みますか?」
もちろん!と答えると、すぐに電話してくれて、予約はあっという間に取れた。 次は場所の説明。町の地図を指さしながら
「今いるのはここ。そしてここに市役所があります。市役所の前のこの場所、川沿いのこの停留所に、ユーロバスというのが来ます。この停留所には普通の市内バスも停まるので、注意してください。車体にユーロバスと書いてありますからね、いいですか、ユーロバスですよ。絶対に他のバスと間違えないでくださいね」
と、くどいほど丁寧に説明してくれる。
料金はどこで払うのだろうか?
「乗るとき、運転手に払ってください」

小バイヨンヌと呼ばれる地区

言われたとおりに行くと、確かに停留所があった。そのへんにいる人たちは不安げにきょろきょろし、
「ツアーのバスが来るのはここですよね?」
「ここで待っていればいいんですよね?」
と聞き合い、確認し合い、そして安心し合う。

バスは時間より早くやってきた。バイヨンヌの町の中をぐるぐるまわり、あちこちで乗客を拾っていく。私たちのグループは、最終的に20名ほどになった。フランス人の家族連れがほとんどだ。 中には、土産物屋で買ってもらったらしい真っ赤なベレー帽を、嬉しそうにかぶった男の子の姿もある。ベレー帽はバスク地方のトレードマークだと言われているが、実際にかぶっていたのは、後にも先にも、この男の子1人だけだった。


バスクの村へ

町を出てほどなく、海が見えだした。大西洋だ。それまで1週間近くも山の中にいた私は、自分でも驚くほど感動してしまった。
海っていいなあ・・・。見ているだけで、気持ちが晴れ晴れする。
やがて、前方に非常にリッチな町が見えてきた。ナポレオンの時代から超高級リゾート地として知られるビアリッツである。さほど大きな町ではないため、あっと言う間に通り過ぎてしまったが、それでも十分目の保養になった。エルメスの支店もあった。さすがだ。

バスクの教会の内部には、↑こんなふうに↑
木がふんだんに使われている(これは絵葉書)
バスクの墓地

バスが最初に停まったのは、小さな村の教会の前だった。外見は地味だったが、中に入ってみると、ヨーロッパにしては珍しく、木がふんだんに使われていて、日本の古い寺のような感じで、妙に懐かしいような思いにとらわれた。

教会に隣接した墓地を覗いてみると、「普通の十字架」が付いた墓が見あたらないのが印象的だった。 (十字架はあることはあるのだが、下に行くに従って幅が広くなっている。) 運転手の話すフランス語は、スペイン訛りが強くて非常にわかりづらいのだが、バスク地方のキリスト教化は、かなり遅かったらしく、その陰には多くの犠牲者があったらしい。そのことと、何か関係があるのかもしれない。

再びバスに乗る。 運転手によると、このツアーの目玉は、工場でのチョコレートの試食なのだそうだ。私たち乗客はそれを聞いて、歓声を上げた。

そもそもチョコレートというものは、スペイン人やユダヤ人の手を通じて、アメリカ大陸からヨーロッパにもたらされたのであり、そのときに初めて陸揚げされたのが、なんとバイヨンヌの港だったのだ。このため、その昔は、この地方にはたくさんのチョコレート工場があったのだが、これから訪ねる工場は、この地に現存する唯一のものなのだそうだ。こんな説明を聞かされて、期待に胸をふくらませた私たちが連れて行かれたのは、しかし、実に小さくて、まことにぱっとしない町工場だった。

バスクの村

バスを降りて、運転手についていくと、工場の裏庭で待てと言われる。運転手が担当者を捜して走り回る。なんと段取りの悪いことよと思うのだが、こういうときのフランス人は、実に忍耐強い。誰1人いらつく様子を見せず、じっと静かに待っている。

15分ぐらいすると、担当者 --- ただのおばさん --- が帰ってきて、私たちはようやく工場の中に通された。おばさんは、そこらに山積みにされた板チョコを2、3枚取ってきて、ビリビリと包み紙を破り、テーブルの上で適当に割った。私たちはそれをひとかけずつもらった。それでおしまい。


国境

次のアイノアという村での趣向は、「村を突っ切る」ということだった。村の入口でバスから降ろされ、まっすぐ200メートルほど歩くと村が終わる。そこで待っているバスに再び乗るのである。そのくらい、静かで何もない村だった。空気はあくまでも澄み渡っている。さえぎるものがない中を、強烈な陽射しが降り注ぐ。肌がじりじりと音をたてて焼けていくように感じられる。一歩日陰に入ると、驚くほどひんやりしていて、暑さに慣れてしまった身体が、一瞬、寒さを覚えるほどだ。

バスク語?で何か書いてある。
文字のところだけを拡大したもの

バスは山の中を走り、やがて、小さい川 --- まさに小川なのだった --- を渡った。これがスペイン国境だった。こんなところでスペインに足を踏み入れることになろうとは、思いもしなかった。

国境を越えて、ほんの100メートルかそこら行ったぐらいのところに、ぽつんと建物が建っていた。何かと思ったら、これがスーパーマーケットだったのである。ここでの自由時間は1時間40分。今までで最長である。スペインのほうが物価が安いから、フランス人がわざわざ買い物をしに来るのだろう。商品にはスペインペセタとフランスフランの両方の価格が表示されている。私のグループの人たちも、ミネラル・ウォーターの大ボトル半ダースなどをここぞとばかりに買い込んでいる。 ここで売っているのは日用品ばかりではない。リアドロの陶器、ステンドグラス、象嵌細工などといった、スペイン土産もあった。こちらのほうは、そんなに売れているようには見えなかったが。

バスク語?で何か書いてある。
文字のところだけを拡大したもの

無事に買い出しを済ませた私たちが --- 私は何も買わなかったのだが --- 最後に立ち寄った のは、サールという名前の村だった。 これもまた、とても小さくて、静かな町なのだが、今までの村とは違い、ホテルやカフェが数軒あるため、ものすごく開けているような印象を受けた。ここの教会の時計台の壁やホテル?の壁に、バスク語で何か書かれていた。運転手がその内容を説明してくれたのだが、彼の強い訛りと、私自身の知識の不足のため、何が何だからわからなかった。とりあえず、写真を撮って、満足することにしよう。

バスクの村々で見つけたものは、澄み切った空気と、容赦なく照りつける強烈な陽射しだけだったが、私は不思議に満ち足りた気分だった。と、だしぬけに、ある歌が脳裏をよぎった。

バスークのー、なつーはーーー
なにも ない なつですーーー

こんな古い歌、お若い方々はご存知ないでしょうねえ・・・。 <完>(1995年8月)


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