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えせバックパッカーの旅日記
ベルリン2005年夏(1)

おことわり

<2005年撮影>
共産政権下、東独の人々は、極力仕事をしないで、余力を家庭菜園作りに振り向けた。ついにはゲルマン的凝り性を発揮し、そこに小さな家まで建てるようになった。それは「クライン・ガルテン(=小さな庭)」と呼ばれる。統合から15年たった今もなお、クライン・ガルテンは健在である。(車窓から撮ったのでピンボケ失礼。)
これは旅行記ではありません。15年ぶりにベルリンを再訪した私の「感想文」です。旅行記というものは、古くなるにつれて、多かれ少なかれ鮮度が落ちていくものですが、これは旅行記ではないので、むしろ古くなってからのほうが、興味深く読めるようになるかもしれません。というのは、根拠の無い私の希望的観測にすぎませんけれど。

白状しますと、ベルリンについての記事を書く気はなかったのです。 しかし、帰国して10日ほどたったときに、映画「ヒトラー 最後の12日間」を観て、考えが変わりました。ベルリンが、1945年にヒトラーと、いわば「無理心中」させられた町であるという思いを強くし、そして、大きな負の遺産を背負ったこの町の、 2005年夏の時点における様子を、できるだけ詳しく書き残しておきたくなったのです。

お暇があったら、しばらくおつきあいください。


オスト駅にて

ドレスデン発のIC特急は、定刻ぴったりにベルリン・オスト駅(=東駅)に滑り込んだ。 ここからホテルまでは距離にして1キロしかないのだが、行くのはけっこう面倒臭い。S-Bahn(近郊列車)で1駅先のアレクサンダー広場まで行き、そこからさらにU-Bahn(地下鉄)8号線に乗り、なかば戻るようにして2駅先のハインリッヒ・ハイネ通りで降り、そこから10分歩かなければならないのである。

<1990年撮影>
東ベルリンにて。 共産圏の庶民の憧れの的だった乗用車「トラバント」がずらりと並ぶ。
<2005年撮影>
ハインリッヒ・ハイネ・シュトラッセ駅を出ると旧東ベルリン地区の閑静な住宅街が広がる。 私のホテルはここから徒歩10分。

IC特急から降り、ホームの階段を下ると、 地下道になっていた。 S-Bahnのホームへは、この地下道から直接上がれる。 これは便利だ。あらかじめS-Bahnの切符を持っている人、つまりベルリンに住む人にとっては。 また、日本のJRのように、「東京行き切符」イコール「東京都区内行き切符」であって、 23区内のJRの駅まで、その切符で行けるというのなら、それはそれで納得である。 でも、私はベルリンに住んでいないし、 IC特急の「ベルリン行き切符」がどこまで有効なのかも知らなかった。今も知らない。 この記事を書きながら、ひょっとしたらS-Bahnの駅までは有効だったのかもしれないと思い始めたところである。

肝心なのは、ベルリンに不慣れな私が「とにかく切符を買わなければならない」と思ったという事実である。 こうして私は切符売り場を探して駅の中をさまよい始めた。

日本の駅だったら、持っている切符が有効なのは改札を出るまでである。 改札を出たら、切符売り場がある。その点では迷いようがない。 しかし、ヨーロッパの鉄道はそうではない。 改札という明確な区切りが無いのだ。 無いのだけれど、 長距離列車を降りて、次に乗るべき市内交通の切符売り場に行き、切符を買う、という行為は、自然の流れの中でできる。 切符売り場を探してさまよい歩いた経験は今までに無い。おそらく表示がきちんとしているせいなのだろう。

オスト駅は旧東ベルリンの玄関口とも言うべき駅で、東京で言えば上野駅に匹敵する。(場所的には上野よりも東---両国あたり?だが。) 上野駅に比べたら、規模こそ小さいが、駅の「格」という点では、匹敵する。 そんな駅だったら、 切符売り場も数カ所あっていいだろう。 どーんと大きい切符売り場が1つだけある、というのでも、まあいい。 たぶん、そのどちらかだろう。

そんな先入観を持って駅中を歩き回った末、ようやく切符売り場を見つけた。そこには、窓口が3箇所しかなかった。当然、窓口の前には長蛇の列ができている。

<2005年撮影>
私が泊まったAO Mitte。安宿だが、そこはドイツ、 フローリングの床に寝っ転がれるほど清潔である。 一見、バックパッカーの若者専用の宿のようだが、家族連れもたくさん泊まっていた。

もっとも、たいていの人は決まり切った切符---おそらくは1回券または1日券---を買うだけであるようで、恐れていたほどは待たされなかった。
「アイネ・ターゲスカルテ、ビッテ(1日券を下さい)」
すんなり切符を購入し、 カウンターの上に積まれていたパンフレットを何気なく手に取り、 階段を上がり、S-Bahnに乗った。と書くと、すんなりホームを見つけたよういに聞こえるが、実は目指すホームがどれなのか、けっこう悩んだのであった。なにしろベルリンは大きい。だから、S-BahnもU-Bahnも、たくさんの路線がある。路線図を見て「これだ」と判断し、正しいホームを見つけ出すのには、不案内な人間にとっては大仕事なのだ。
「これだ、アレクサンダー・プラッツって書いてある!」
観光客のこの言葉が耳に入らなかったら、もっと時間がかかったに違いない。

このあたりからようやくわかりかけてきたのだが、 どうやら、アレクサンダー広場方面行きのS-Bahnは、すべて同じホームに来るらしい。 悩むことはなかったのだ。でも、 よそ者は、その程度のことすら、理解するのに時間がかかるものなのだ。ベルリンに住む人には想像もできないだろうけれど。

ヨーロッパは古くから「観光」が発達した地域である。 だから、町によそ者が来ることが、あらかじめ想定されていて、初めての人でも、極端な困難を感じずに動けるようにできている。 しかし、 東ベルリンの玄関口であったオスト駅の作りには、 よそ者が大挙して押し寄せることなど、 はなから考えていなかった、という感じが濃厚に漂っている。 「人は自分が住んでいる地域から動かないものである」--- 旧東独というのは、そういう考え方の国だったということなのかもしれない。


ベルリン市内交通

<1990年撮影>
東ベルリン側からブランデンブルク門を望む
<2005年撮影>
ポツダム広場の再開発地区にある、ぴかぴかのソニーセンター
オスト駅の切符売り場の窓口に置かれていたパンフレットは、当然のことながら、ドイツ語で書かれていた。 宿に帰ってから、じっくり眺めているうちに、 「7月から8月にかけての週末は、 フリードリッヒ通り〜ティアーガルテン間は、いかなる交通機関もなくなる」と書いてあるらしいことがわかってきた。

フリードリッヒ通りというのは、オスト駅同様、旧東ベルリン地区にあり、博物館・美術館が集中する「博物館島」の最寄り駅である。東京で言えば、神田?御茶の水?みたいなところ。 もう一方のティアーガルテン駅は旧西ベルリンに属している。東京でたとえて言えば四谷あたりか?

一応、バスによる振り替え輸送があるようだが、「渋滞するからなるべく乗るな」みたいなことが書いてあり、「アレクサンダー広場から地下鉄を使って迂回することを薦める」だと。 東京で言えば、上野から地下鉄を使って赤坂に行け」というようなものである。 (そんな地下鉄、東京にあったっけ?という話はおいといて、)まだまだベルリンの交通網は発展途上にある。というと聞こえがいいが、要するに、整備ができていない。

翌日、ベルリン在住の友人に会いに、 U-Bahnでポツダム広場まで行き、 「S-Bahn」の表示に従って歩いて行った。 当然のことながら、 S-Bahnの入口があった。 あったけれど、入れなかった。工事中でロープが張られていたのだ。

こんなのは序の口だった。

旧西ベルリンの玄関口だった ツォー駅(=動物園駅。東京で言えば新宿あたり?に相当する)で、U-Bahnに乗ろうとしたときのことである。表示どおり階段を下りたら、目指すホームが存在しなかった。。。(呆然泣) しょうがないので、別の線に乗って、迂回して行きましたよ。

「ベルリンはヨーロッパのどの都市よりも広い。そして、ヨーロッパのどの都市よりも動きづらい」
これが壁崩壊直後の1990年に訪れたときの印象だった。その印象は、15年たっても変わっていない。敗戦と、その後45年間続いた東西分断の傷跡がいかに深いのかが、 ほんの数日滞在しただけでもよくわかる。


工事、工事、また工事

要するに、ベルリンはまだ工事中なのである。

たとえば、アレキサンダー広場駅。
この駅の目の前には、幽霊が出そうなビルが取り壊しを待っている。

また、ベルリンの目抜き通りであるウンター・デン・リンデンにも、広範囲な工事中エリアがある。

<2005年撮影>
アレキサンダー広場駅前の幽霊ビル

ヨーロッパを旅していると、旧市街の趣のある町並みの中に、目障りなクレーンが立っているために、写真が撮れない、ということがざらにある。 しかも、このクレーンは動いていない。バカンスの時期には工事がストップしてしまうからだ。つまり、ただ邪魔なだけで、何も公共のために役立っていない。 観光客がたくさん来ることはわかっているんだから、バカンスの前にどかしておいてくれたらいいのにと、観光客である私は、いつも思う。 その点、ベルリンで見たクレーンは、いつも稼動していたという点において、その存在意義は明白で、観光客としても許す気になれた。 (ドレスデンも同様だった。聖母教会周辺のクレーンはしゃかりきになって働いていた。)

ベルリンがほんとうに1つの有機的な町として完成されるのは、まだ先である。 ベルリンで観光を楽しみたいなら、もう少し待つべし。少なくともあと5年は。10年待ってもいいかも。 ただし、未完成で未整備な大都市をさまよい歩いて呆然としてみたい人(←そんな人、いないだろうなあ)には、なるべく早いうちに行くことをお薦めする。

* * * * * * * * * *

なぜこんなにしゃかりきになって工事をしているのか? もちろん究極的には「1つのベルリン」の完成を目的としているのでしょうが、来年(2006年)開催されるサッカーのW杯を目指しているということを、記事を書き始めてから知りました。物知らずの自分が恥ずかしいです。今年ベルリンを訪れたのは、バッドタイミングだったのかもしれません。


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