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えせバックパッカーの旅日記
川の流れに身を任せ(4)

マダガスカルの地図

沈没2日目

普段は1週間ぐらい時差ぼけに苦しむ私だが、 もうすでにその心配はなくなっていた。 昨日たくさん歩いたせいだろう、朝までぐっすり眠ることができた。そのこと自体はいいのだが、しょっぱなから、えらく体育会系の旅になってしまっている。 本当はだらだら沈没するつもりだったのに。

この集落が祭りの会場

今日はロドリッグがお祭りに連れていってくれると言う。 そう言えば、シャンタルもロドリッグに連れていってもらったと言っていたっけ。 11時半、2人で連れ立ってホテルを出る。 ところで、いったいどこに行くんだろう。 
「遠いの?」
「うん。だからレンタサイクルで行くんだ」
えっ、自転車? 聞いてないぞ。 ハードな道じゃなければいいんだけど。
私の心配をよそに、ロドリッグは"Villa Salemako"というホテルに行き、 自転車を2台借りた。

短足の私のために、自転車のサドルを思い切り下げてもらってから出発した。 まず、北に向かってひたすら走る。 おととい、アンタナナリヴ方面のタクシー・ブルースを降りた場所を行き過ぎ、しばらくしてから左折した。 ここからは未舗装の道である。 からからに乾燥しきった土ぼこりが舞う道は、 砂利に表面を覆われていて滑りやすいし、 振動がもろにお尻に響いてつらい。 歯を食いしばってロドリッグのあとをついていく。

途中の集落でコーラを買い、喉を潤して、再度出発。 道は次第に上り坂になり、私はついにあごを出した。 しばらくの間、自転車を引いて歩き、 平らになってから、また自転車に乗って延々走ると、 ロドリッグは再度脇道に入った。今度は幅3メートルぐらいしかない、赤土の道である。 雨季に走った車のわだちが、乾季の今もそのままの形で残っていて、 走りにくいことこの上ない。 私は必死になって用心しながら走ったが、ついに転んで自転車から落ちた。 ふう・・・。アンチラベでは静養するつもりだったのに、 なぜ連日こんなにハードな目に遭わなければならないのだろう?

遺影を掲げ、ござを持って踊る

私たちと同じ方向に歩く人々が、だんだん増えてきて、 ついには、10軒ぐらいの家が固まって建っているところにたどりついた。 わやわやと人が集まっている。
「今日は死者のためのお祭りなんだ」
ロドリッグのこの言葉に、はたと思い当たった。これは、ガイドブックに載っていた「ファマディハナ」という祭りなのだ。 これは、マダガスカルの高原地帯の祭りで、 乾季の間、あちらこちらでほとんど毎日のように行われているのだという。

少し待っていると、にぎやかな音楽が聞こえてきて、人々が踊り出した。 1人が最近亡くなった人の遺影を掲げている。 楽器こそ、トランペットやクラリネット、ドラムといった 西洋のものであるが、 メロディーがあるんだか無いんだか、よくわからない感じで、しかし、きわめてリズミカルで、今までに聞いたことのないタイプの音楽である。子供たちもステップを踏んでいるが、なかなか堂に入ったものだ。 そのうち「ござ」のようなものを持ち出してきて、それを高く掲げて踊り出した。 このござは、死者を包むために使うのだそうだ。 さらにはマダガスカル国旗が登場した。もしかしたら、私が一番驚いたのはこのときだったかもしれない。 こんな祭りに「日の丸」を掲げて踊るなんて、日本では考えられない。

撮られたがる子供たちの右後方に墓が見える

その後、音楽はいったん休止したが、すぐに再開した。 今度は楽隊が移動し、そのあとに人々がぞろぞろ続いていく。 列のお尻にくっついていってみると、 墓の脇の空き地に、夜店の屋台のようなものがたくさん出ていた。 そこで供される飲食物はすべて、祭りの主催者である一族の負担なのだそうだ。 さぞかし大変な出費だろう。 墓の上には、主催者らしき人々が立ち、下に集まっている人々に 挨拶(?)をしている。 だからと言って、 みんながみんな、そちらに集まって、真面目に話を聞いているというわけではなく、 ずっと離れたところで、のんびり飲み食いしている人々もたくさんいる。

しばらくしてから、再び音楽が演奏され、墓の中から、先ほどのござに 包まれた遺体が運び出されてきた。 遺体は次から次へと運び出される。 下に下ろしてから、何か作業をしているようだが、 人だかりがすごくてそばに寄れない。
「遺体を包んでいる布をとりかえるんです。もっとそばに寄って見てみなさい」
ロドリッグに促され、頑張って人垣の中に入ろうとしたが、果たせず、 かいま見ることができたのは、古い布に包まれた状態の遺体だけだった。

国旗を掲げた墓の上で挨拶する

大人が祭りに夢中になっている中、 ふりふりレースがいっぱいついたドレスを着た小さい女の子が 地面の上に座っていた。 時々立ち上がり、 2、3歩歩いては転び、地面にぺたんと座る。せっかくのドレスがどろどろである。 尻餅をついた瞬間、彼女のパンツがおもらしで汚れているのが見えた。 それでも泣きもせず、 地面に落ちたキャンデーを拾って食べている。 この国ではそうやって子供は育つのだ。

すべての遺体の布を取り替えると、再び遺体を墓に戻し、 さらに墓の周りで5回(6回だったかな?)踊るのだそうだ。 時計を見ると、もう4時半。暗くなってから自転車に乗るのが怖いので、 そろそろ帰ることにしよう。

来た道をまた戻るのかと思うと、かなり気が重かったが、 もうすでに悪路に慣れた上、 帰りは下り坂が多かったため、案外楽なサイクリングだった。 アンチラベには5時半頃着いた。

のんびり飲み食いする人々

それにしても、ロドリッグの真意は何なのだろう? 私はお祭りと聞いたとき、アンチラベ周辺で特に有名な町の祭りなのだろうと思ったのだ。もしかしたら、その町に彼の友達がいて、彼を招待したのかもしれないとさえ思っていた。 でも、実際は違った。 彼とは縁もゆかりもない一族の祭りだった。 なぜ連れていってくれたのだろう? そんな思いを抱きながら、 私が謝礼を払いたいと言うと、彼の表情はにわかに曇った。
「ぼくは案内をしてやると言って金を要求するような、プスプスの連中とは違うんだ」
しまった。
私は彼のプライドを傷つけてしまったようだ。どうやら彼は純粋に好意で連れていってくれたらしい。

でも、ここでプスプスの弁護をしておきたい。 プスプスはマダガスカルの人々の中で、かなり下の階層らしく、 なんとなく差別されているような感じを受ける。 昔の日本でも、「車引き」は最下層に近い存在だったはずだ。 (ここで阪妻の「無法松の一生」に思いを馳せる私は、年寄りです。) でも別に、彼らが悪者だというわけではない。彼らだって生活がかかっているのだ。

さらに脱線するが、プスプスの中にも貧富の差があることが、だんだんわかってきた。 私をホテルに案内したプスプスは、 サンダルを履いていたし、今にして思えば、素晴らしくばりっとしたジャケットを着ていた。 でも、町中には、ぼろ同然の衣服で裸足のプスプスもたくさんいる。 そういうプスプスは、フランス語があまりできないようだ。 フランス語ができれば、観光客を捕まえて、かなりわりのいい仕事をすることができるが、できない場合は、どうしてもマダガスカル人相手の仕事がメインになり、稼ぎを伸ばすことができないのだろう。

今日もまた、十二分に体力を使った一日だった。 「のんびり沈没」という、当初の目論見は、いったいどこにいってしまったのだろう?

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