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えせバックパッカーの旅日記
スロべニアひとめぐり(10)

5日目(中):国境の町

シャトルバス ゴリツィア〜ノヴァ・ゴリツァのシャトルバス

ブレッド湖に行くユリアン・アルプス鉄道はスロベニアのノヴァ・ゴリツァ発。ここはイタリアのゴリツィア。実質的に1つの町だったのが、国境によって2つに分断されてしまったのだろう。両駅は炎天下を荷物を背負って歩く気にはなれない程度に離れているが、幸いなことにシャトルバスが走っている。ただし、ネットで調べてもその時刻表は見つからなかった。ゴリツィアで何時間待つことになるかわからない。トリエステで坂道を探す時間を惜しんで、来ていた列車に乗った理由はそこにあった。

ゴリツィアで下車して、駅前の小さな広場に出ると、バックパッカーがわさわさいた。 みんなシャトルバスの乗り場を探している。 路線バスが来たので、ドライバーに尋ねると、「そこに来るよ」と言うだけ。 どこに来るんだ? いつ来るんだ?

きょろきょろしていたら、白い小型バスがやってきた。 よくよく見ると「Nova Gorica」という小さな文字が見える。 あれだ!

シャトルバス バスの切符。左下に時刻表が書かれている。
時刻表は乗る前に時刻を知るためのもの。
乗ってから教えてくれても遅いって。

乗車して1ユーロ払うと切符をくれた。あら丁寧なのね。ほどなく、 駅前のあちこちでうろうろしていたバックパッカー全員が乗車し、バスは出発した。両側に建物の続く並木道を走る。大きな広場も経由した。ゴリツィアはけっこう都会だ。

30分足らずでノヴァ・ゴリツァ着。
駅の周辺には何もない。スロベニアに戻ってきたことを実感する。

駅舎に入り、列車の時刻表を確認すると、14:14発というのがあり、何やらスロベニア語の注釈がついている。たぶん「○曜日のみ」とかいったことなのだろう。事前にネットで調べてメモ帳には「15:24発」と書いてあるから、おそらく今日は14:14発は無いのだ。でも確認はしてみるべきだ。でも訊く相手がいない。

しかたがないので、バックパッカーたちが群がっている駅のカフェに向かった。テラスのテーブル席を取り、レモードを飲んで暇をつぶす。

ノヴァ・ゴリツァ けっこう立派なノヴァ・ゴリツァ駅
パラソルがあるところがカフェ

2時。
カフェをあとにし、駅のホームにまわってみると、列車が入線していて、駅員がいた。「ブレッド?」と訊くと目の前の列車を指さし、「ちょっと待ってろ」とどこかに行ってしまった。あっけにとられていたら、もう1人の駅員を連れてきて、そちらの駅員が「フィフティーン・トゥエンティファイブ」と教えてくれた。英語がわかる人を探してきてくれたのだ。

ここでちょっと脱線。
今回の旅では考えさせられることがあった。それはスマホの登場である。

 

今回の旅ではスマホ片手に歩いている旅人をよく見かけた。私も持っていればよかったかなと思ったことが何回かあった。 ノヴァ・ゴリツィアでも、スマホを持っていれば英語の時刻表サイトを検索できたから、次の列車が何時発なのか、気をもむこともなかったのだ。でも、果たしてそのほうがよかったのだろうか?  「わからないことは人に訊く」のが人間の基本である。 スマホで情報を得てしまっていたら、駅員には尋ねなかったはずだから、英語のわかる仲間を連れてきた彼の心遣いに触れることもなかっただろう。「旅は出会い」とよく言われるが、簡単に情報が得られるようになると、人との出会いは減る。このままでは旅をする甲斐がなくなるのではないだろうか? 何かが便利になるということは、何かを失うということだ。この旅行記を書いている今もなお、私の心の片隅には、言い知れぬ寂しさと一種の危機感が巣食っている。

閑話休題。
とにかく、まだ1時間以上あることがわかったので、駅舎をぐるっと回ってみて、やっぱり周囲には何もないことを確認した上で、駅舎の端にある「国境博物館」に入ってみた。冷戦中のこの地域に関する展示があるそうだが、しょぼそうだと思って大して興味を持っていなかった。でも、なにしろ時間は有り余っている。

ドアを開けると、エアコンがほどよく効いていて、入口脇の机の上のスタンドだけが点いていた。そこに座っていた若い男性が立ちあがり、照明を点ける。入場料1ユーロ払うと「質問があったらご遠慮なく」

ノヴァ・ゴリツィア 駅舎の端っこにある国境博物館

展示室は20畳ぐらいだろうか。 鉄条網の脇に立つ国境警備員の写真とか、ものものしい感じの展示が多い。英語の説明を読みながら見ても、大して時間はかからなかった(英語を真面目に全部読んだわけではないが)ので、せっかく申し出があったことだし、彼もたまには人と話をしたいだろうと思い、思い切って質問してみた。
私「国境を越えて亡命する人はいたのですか?」
彼「ユーゴスラビアが建国された当初は、西側に亡命した人もいましたが、国が軌道に乗ると、亡命者はいなくなりました。 旧ユーゴはかなり自由な国だったからです。 このあたりの住民は特別なパスポートを支給され・・・ほら、そこに展示されているものです・・・国境を越えて10キロ(だったかな?記憶が曖昧)まではイタリアに行くことができたのです。だからみんな買い物のためにイタリアに行っても、ちゃんとユーゴの自宅に帰ってきたのです」
私「国境が開いてごった返している写真がありますけれど」
彼「あれは特別なイベントで、その日は自由に行き来ができたのです。だから多くの人がやってきて、イタリアにいる知人・友人、あるいは親戚に会いに行きました。会ったら彼らはまた帰ってきたのです。ユーゴ国民は自国の生活にけっこう満足していたので」
私「でも連邦は分裂してしまいましたよね。結局、チトーが偉大だった?」
彼「そうです。彼はほんとうに偉大でした。米ソと対等にわたりあって、独自の路線を歩んだのです」
私「スロベニアはすぐに分離独立したけれど、クロアチアはセルビアと大変だったし、ボスニアもそうだった。 あと、気づいたらモンテネグロも独立していて驚いたのだけれど、どうしてあの国は平和裏に独立できたのですか?」
彼「セルビアとモンテネグロは昔から仲がいいので」
そういう問題か!?
でも、モンテネグロはアドリア海沿いの観光資源がいっぱいある。内陸のセルビアには無いのに。 モンテネグロに行って目を見張った私としては、あそこを手放すのはセルビアにとって痛くなかったのだろうか?という疑問があるのだが。

 

この国境博物館、行ってよかった。
それにしても彼は良い仕事を得たものだ。ほとんど入館者がいなくてエアコンがいい具合に効いている。読書好きには最高の仕事。


チケットに書いてあったゴリツィア→ノヴァ・ゴリツァのシャトルバスの時刻表は以下の通り。(2012年8月現在)
8:05; 8:35, 9:05, 9:35, 10:05, 10:35, 11:05, 11:35, 12:05, 12:35, 14:35, 15:05, 15:35, 16:05, 16:35, 17:05, 18:20, 18:50, 19:20, 19:50

私が乗ったのは12:35発。
トリエステ発の列車を1本か2本遅らせたら、14:35までゴリツィアでシャトルバスを長時間待たねばならず、かなり気をもんだことだろう。3本遅らせて13:30発の列車に乗ったら14:35発のシャトルバスにちょうどよかった。トリエステの坂道をのんびり歩く時間があっただろう。でもその場合、国境博物館には行かなかったかも。

それにしても、「情報が簡単に得られるのは問題だ」とか言いつつ、情報をアップする自分は何なんだろう?

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