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えせバックパッカーの旅日記
誘われてウクライナ(1)
付録:誘ってウクライナbyふゆき

ウクライナとその周辺の地図

よりによって、なぜウクライナ?

誘われたかおるの旅日記

夏の旅行について、ふゆき とメールを交わしていたある日のこと、 「ポーランドに行くんだったら、その前に一緒にウクライナに行かない?」 と誘われた。

キエフのソフィア教会(と私)



ウ、ウクライナ? 旧ソ連よね。ロシアより南で。でも正確な場所は知らない。 第一、何があるの?
「首都のキエフで落ち合って、 ヤルタ→オデッサ→リヴィウと廻りましょう。リヴィウはポーランド国境のすぐそばなの」
あ・・・キエフ、それは聞いたことがある。確かバレエとか。 ヤルタと言えばヤルタ会談?すごい。オデッサというとオデッサ・ファイル?(どんな話か 知らないんだけど。)リヴィウ?それはどういうところ?
「旧ソ連支配下でもあまりロシア化されなくて、ウクライナ本来の美しい町並みが残っている んですって」
ほー、それはそそられるわぁ。
「ねえねえ、チェルノブイリに行く現地ツアーがあるんですって。一緒に行く人がいれば 行きたいんだけど・・・。1人だったら行かないけど」
チェルノブイリい?危なくないの?

調べてみると、 チェルノブイリ原発の爆発事故によって、 放射能の影響を 最も受けたのはウクライナではなく、 その北に位置するベラルーシだったという。 それに、現時点で、短期間の滞在は全く 問題無いと、専門家も太鼓判を押しているようだ。 それならいいか。 1人では絶対に行かないけれど、せっかく誘ってくれる人がいるんだから。

私とふゆきのウクライナの旅の序曲はこうして始まった。
サムトラベルという旅行会社にチェルノブイリ・ツアーと ホテル、そして 夜行列車の切符の手配を頼み、準備は万端整った。 あとは行くだけだ。

* * * * * * * * * *

:ふゆきのことをもっと詳しく知りたい方はこちらへ。

誘ったふゆきの旅日記

2002年春、 ふゆきが6月からちょっと長めの旅行に行こうかと考えていた頃、 かおるさんからの「夏はどこに行こうかな〜」メールが舞い込んできた。

その時ふゆきは、6月に旅行に出発するのは決めてたんだけれど、 「中国から欧州に抜ける」か、「欧州から中国に抜ける」かという 問題に突き当たっていた。 かおるさんと待ち合わせするなら、きっと8月1日前後、 中国からだったら、中国に2ヶ月かけて、ちょうどウズベキスタンの頃かなあ?
「ウズベクに興味あったら一緒に行きませんか?」
と誘うと、友人・みーままと相談したらしく注1、しばらくしてから、
「ウズベクは、今のうちに誰かと行ったほうがよいと思われるので行きます」
という返事が来た。
「よーし、中央アジアだ!」と思った。ほんの数日間だけ。 だって、結果はタイトルの通り。

なぜかというと、6月といえば白夜。 キーロフ歌劇団が本拠地とするペテルブルクのマリインスキー劇場の白夜祭の時期です。 ロンドンじゃ高くて(日本だともっと高い)観られなかったキーロフオペラ&バレエが毎日上演される。 じゃあ、6月からペテルブルグに行って(詳しくはふゆきの留学レポートをご覧ください)、 ロシア語覚えよう。 旧ソ連圏はロシア語できないときつそうだし、学生はオペラもロシア人料金で 観られるしね。となると、6月・7月は、ヨーロッパロシアにいるのか。

「かおるさーん、ウクライナに行きましょう。 ポーランドも候補地に挙げてたよね? ポーランドとウクライナのセットっていかが??」
「ん?ウクライナって、何があるの?」
まるで「どこにあるの?」というようなメールがきた。

ウクライナは、どうも安宿事情が分からない。(行ってみたらわかったけど。) ソ連の名残のバウチャー旅行形式を引きずってるみたいだし、 ウクライナ旅行を半額で押さえるためには、ぜひかおるさん につきあってもらわねばならない。

ヤルタ会談のヤルタでしょ。ポチョムキンの階段のオデッサ。 それから首都のキエフ。 ポーランド&スロバキアの国境近くの町リヴィウ(ルヴォフ)は、 ウクライナらしい街並みが残っていてきれいらしいよ! あとはねー、チェルノブイリ。 キエフからツアーで行けるみたいなんだよね。

そしてかおるさんは、無事に私のくどきにのってくれた。 ふゆきは、イギリスからの引越し注2と、ペテルブルグ留学の手続きに加え、ウクライナ旅行の手配をロンドンの地で開始した。

ウズベキスタンからウクライナに「ウ」だけの共通点で、 すんなり旅程を変更してくれるかおるさんの柔軟性が好きだなあ。

* * * * * * * * * *

注1: 実際には相談していないのですが、 私が以前みーままから聞いた話を思い出しながら、 「みーままがこう言っていた」などとメールに書いたせいで、 ふゆきはこのように勘違いしたようです。(かおる)

注2:この頃、ふゆきはロンドンに住んでいました。 引越し手続きのため、税金とか年金のことを、いろいろ訊いたりしていたわけです。 この頃ふゆきが調べていたことの詳細はここに書いてあります。

でも、なかなかウクライナに着かない

さて、日本からキエフに直行するのである。 それにはどうしても避けて通れないものがある。それはアエロフロートだ。

旧ソ連時代のアエロフロートを知っていれば、 今のアエロフロートは天国、とまでは言えないにしても、十分に耐えられるものである。 英語字幕のロシア映画しかやっていないなんてことは、この際、目をつぶろう。 (第一、あのテレビが見える座席なんてほんの一部だ。) 機内食も今やほぼ普通レベルだし、 室内履きを配ってくれるのは評価に値する。 今回の最大のヒットは、使用中の トイレの前にたたずむ私に気づいた 若い男性客室乗務員が、反対側の通路のトイレを示して、 流暢な日本語で「どうぞこちらをお使いください」と 言ってくれたことである。 そうそう、その調子よ、サービスというのはそういうことよ。 なかなかやるじゃないの、アエロフロート。

しかし、いかに客室乗務員が頑張ったところで、 モスクワがしっかりしてくれなければ、何もならないのである。

モスクワで降り、「トランジット」の表示のあるところで、航空券を見せると 「6時にトランジット・カウンターに行け」
指示された方に進むと、クラシカルな木造のカウンターがあり、 女性職員が 退屈で死にそうな顔をしている。
「トランジット・カウンターというのはどこですか?」
「ここです。6時からです」
ぴしゃりと言われてしまった。

しかたがないので、免税品店をちょっぴりひやかし、 6時少し前にカウンターに戻ってみると、 もうすでにかなりの人がいて並んでいる。 その後ろに並んで待っていると、 女性係員がやってきて、ロシア語で何か言った。 すると私の周囲にいた人があらかた彼女についていった。 残された私は呆然と立ち尽くす。今のは いったい何だったんだろうなあ。。。 ようやく私の順番になり、カウンターの女性に航空券を見せると
「あなたは20番ゲートに行きなさい」
言われたとおり20番ゲートに行くと、ゲートは閉まっていてひとけがない。 呆然としていると、隣りの19番ゲートからさっき他の人を 連れていった女性係員が「キエフ!」 と声をかけてきた。 どうも1人でキエフに行く妙な日本人の女がいるということだけは 伝わっているらしい。
「こっちに来なさい」

19番ゲートに行くと、 先ほどトランジットカウンターで 呼び集められて消えた人々がみんないた。 女性係員は「私が搭乗券を用意します。あなたはここでパスポート・コントロール を受けて、その向こうで待っていなさい」
パスポート・コントロール?! ロシアに入国するわけじゃないのに。 と思ったが、言われたとおり、列に並ぶ。 ところがこの列が進まないのである。いったい何やってるんだろうと思うが、 係員の手元はこちらから見えないのでわからない。 とにかく、1人1人のパスポートを見て、何かを書き写している模様。 そんな記録取ってどうするの?  そりゃあもちろん、万一のときには役に立つかもしれないけれど、 十中八九、無駄な仕事なんじゃないかしらねえ。

ところで、このカウンターは、私たちのように、他の機から降りて、 いったんゲートを出てからまた入る人と、 今ちょうど到着して飛行機から降りてきた人のトランジット・カウンターを兼ねている。 つまり、人の流れが両方向なのである。 他に閉まっているゲートがたくさんあるのに、どうしてこのゲートだけにこんなに 人を集めるんだろう?

とにかく、じっと待っていると、さっきの女性がやってきて「キエフ」と 私を呼び、 搭乗券をくれて 「ここにいなさい」
さらに待つこと数十分、その女性が来て、何事かみんなに呼びかけた。 みんながぞろぞろと動き出す。 私もそのあとについていく。 ほんとについていっていいのだろうかという不安もよぎるが、 さっきから私はいやというほど目立っているのだ。 間違っていたら、向こうが気がつくはず、と開き直る。

私たちは 階段を降り、バスに乗った。バスは モスクワ空港の広大な敷地の中のうねうね道を10分ほど走り、 おんぼろなターミナルに到着した。 女性係員が先に降り、建物のドアを開けようとするが、 カギがかかっているらしく、 「お手上げ」のポーズ。 きっと担当者がまだ来ていないのだろう。 きっとロシアという国には、 大したことではなくても 「担当者以外には手を出せない」ということが 山ほどあるんだろう。 しばらくすると、中からカギが開けられた。 女性係員がしぐさで 私たちに「降りなさい」と指示する。

こうして私たちは窓の無いトランジットルームに入れられた。 一応トイレと売店はある。

この後、キエフ行きの便に乗ることになるのだが、 このトランジットを通じて、 モスクワ空港、そしてロシアという国に関して、 いろいろ考えさせられた。 たかがトランジットにこれだけ大騒ぎをしなければならないなんて。

こういう言い方は良くないのだが、「後進国」ならいざしらず、 一応ロシアではないか。実情はどうあれ、 少なくとも、自分たちは大国だと思っているはず。 でも、それこそがロシアの抱える最大の問題なのかもしれない。

ちなみに、 私はたいてい手荷物だけで旅するのだが、 特にアエロフロートの乗り継ぎの場合、荷物を預けないことにしている。 以前、ロストバゲージされて、 冷や汗をかいたことがあるからなのだが、 今回の体験が、さらにその信念を確固たるものにした。 人間のトランジットでさえああなのだ。 あのモスクワ空港にものを言えない荷物を託す気には、私はなれない。

* * * * * * * * * *

その後、 ふゆきにキエフで会ってからのことである。
「あのトランジットの混乱した状況、毎日続いているわけでしょ。 あれをなんとか改善しようと思う人は いないのかしら」
私がこう言うと、 ロシアに2ヶ月滞在した彼女はあっさり言った。
「そういうことを考えるロシア人はロシアにいないの。外国に行っちゃうのよ」

* * * * * * * * * *

:このときのロストバゲージ体験に関して 詳しく知りたい方は こちら

沢山のメールのやりとりの結果、ウクライナを2人でまわる期間は9日間ぐらいと決定した。 しかし、ウクライナは広いのである。 そして、夏の黒海はスーパーリゾートである。 ソ連中の人が押しかけてくることが予想される。 それに、ウクライナにはバウチャー旅行が存在している!

よって、いつもの、「宿は現地で見ながら決めましょう♪」ではなく、 ホテルとツアーと電車の手配を事前にしてしまうことにした。 手配依頼先は、チェルノブイリツアーの申し込み先としてロンプラに紹介されていた サムトラベル。 サムトラベルのHPを見て、まずメールを送ってみる。 しばらくすると、オルガという女性からメールがくる。 ホテルリストを送ってもらい、チェルノブイリツアーについて問い合わせをする。 しかし、かおるさんのフライトが取れていないので、 キエフに入る日が確定しない。 よって、これ以上話が先にすすまない。

ヤルタの街角
撮ったときは、こんなに太った人たちが
歩いているとは、気付かなかった(^_^;)





5月末、ふゆきはロンドンから東京に 引っ越し。 6月頭に予約した、東京からペテルブルグへのフライト に間に合うように、 東京でロシア学生ビザを申請し受領。 ウクライナのビザも間に合いそうだったので、 サムトラベルに「『ホテル予約はこれからしますから』レター」を書いてもらい、 東京のウクライナ大使館でビザを申請し受領。 2つのビザを、たった2週間の日本滞在中にあわただしく取得し、 しかも、埼玉と札幌でワールドカップを2試合観戦し、 ロシアに入っちゃったら毎日オルガとメールしてられないから、 続きはかおるさんとオルガでやってくださいね!!と念押しして ペテルブルグへ飛んだのでした。

ペテルブルグで楽しい学生生活、 新しい生活、新しい言葉、 オペラ&バレエ三昧! そんな中で唯一気になるのが、かおるさんのフライト。
「たぶん取れるからさ〜」
早く取ってよー!!

ウクライナに入る予定日の一ヶ月前にフライトが取れて、ホテル、ツアー、電車の予約依頼を開始。 ホテルとツアーはすぐ取れた。 しかし!電車が取れない。夏の黒海方面行きの電車は混んでいるらしいのだ。 かおるさんとオルガの戦いが始まる。

実は、オルガは最初に大失敗をしている。
「これからは、私じゃなくってかおるがメールするから」
とオルガに引き継ぎを連絡しておいたにもかかわらず、 かおるさんがオルガに出したメール、それに対する返事の出だしに書いてあったのは、
"Dear Fuyuki"
この時にちょっぴり感じた心配が、正当なものであったことは、後に なってから分かることになる。

オデッサ
ビーチへ向かう人々




ロシアに着いて3週間ほどたち、 ペテルブルグの生活に慣れた頃、ふゆきは毎日ネットで遊んでいた。 プリペイド形式のインターネットで、 部屋の電話回線からマイパソコンに、 ローミングではない方法で繋ぐ方法を覚えてしまったのだ。 ふゆきが毎日メールを見ていることに気がついたかおるさんから、 毎日オルガからのメールが転送されてくるようになっていた。
「だったら、オルガと私でやってもよかったのではないか?」
と思ったのは、 手配が終わる頃でした。

取れない取れないとオルガが大騒ぎしていた電車がようやく取れたころ、 短い留学期間も終わり、ペテルブルグからキエフへとふゆきは旅立ったのでした。

ペテルブルグからキエフに行く途中で、キジー島(ペトロザブーツク)と モスクワに寄りました。 モスクワは大都会で面白かったな。

ちなみに、ペテルブルクからキエフまでの鉄道チケットを 買ったふゆきは、ロシアでは、ウクライナが国内線扱いに なっていることに気づき、ひょっとして、オルガに 頼まなくても自分で買えたかも、と思ったけど、 後の祭りだったのでした。

着いた!

話を元に戻そう。

キエフ行きの便ではピロシキとデニッシュが出た。 以前、ブルガリアのソフィアに飛んだときに比べて、 ずいぶんマシになった気がする。 飛行機も、椅子こそいまだに後ろから押すとパタンと畳めてしまう、 例のタイプだが、 トイレはとてもきれいだ。 そう、「アエロフロート自体」は企業努力をしているのだ。 このことだけは皆さんにもご理解いただきたい。

キエフ着は定刻の22時半。

イミグレーションに行くと、みんなが一斉に 黄色っぽいカードを取り、何事か書きこんでいる。 どうやら入国カードらしい。 慌てて取りに行ってみると、キリル文字なので読めない。 これは困った。うろうろさまよい歩いた末、 一番端の列-----黒い帽子をかぶってひげを伸ばした ユダヤ人の団体が並び、 なぜかいっこうに前進する気配がない-----の向こうの、隅のテーブルに、 英語の用紙があった。 企業の宣伝が入っていて、どう見てもマトモな入国カードには見えない代物である。

キエフの独立広場を見下ろす丘の上で
偉容を誇る元ホテル・モスクワ
すなわち現ホテル・ウクライナ



ようやく列に並んだものの、なかなか進まない。 どうなっているのかと思って様子を見ると、 入国係官は、パスポートの顔写真と本人の顔とを、1人1人 真剣に見比べている。 親子のパスポートで、 小さい子供の顔がカウンターから見えない場合など、 わざわざ立ちあがってのぞきこみ、 確認している。 こんなに真面目な入国審査は初めてだ。 真面目なのは偉い。 でも、そんなことはいいから早く入国させてちょうだいな。

晴れて入国したときは、到着から1時間以上たっていた。
「遅い〜!!! 乗り継ぎに失敗したかと心配してたのよ」
ふゆきの元気な声が聞こえた。

ホテル・ウクライナのロビー
これぞソ連! この天井の装飾は何のつもりなのだろう?
奥で「バー」というピンクの文字が怪しい光を放っている

モスクワからキエフ行きの夜行列車に乗る。 「初めての旧ソ連からの国際列車」かと思ったら、 ロシアからウクライナへの出国には出国審査がなかった。 ウクライナの入国スタンプは押されたけど。でも税関もなし。 そういえば、ウクライナへの電車の切符売り場って「国内」扱いの所だったもん なあ。

8月1日の朝、キエフに着く。 「地球の歩き方」の切れ端(厚いから切って持ち歩いていた)と ロンプラのコピーを見て、ホテルに向かう。 赤いプラスチックのジェトンを買って、メトロに乗り、 駅で降りて、地図を見ながら歩くと、あった! この改装中のホテルだ。 でもなんか違う。。。 ドアボーイのお兄さんに訊いてみる。
「ここ、ホテル・ウクライナ?」
「ちがうよ、ここは昔はホテル・ウクライナって名前だったけど。 今のホテル・ウクライナは、ここから600メートルくらいあっちに行った所にある」
彼は英語がうまくて、説明はよくわかった。 しかし、 この荷物を持って600メートルも歩くの?と思ったが、 しかたない。歩いて行くと、あったあった、ホテル・ウクライナと書いてある 高い建物が。
こっ・・・・これは、ホテル・モスクワではないか。。。
ホテル・ウクライナは、昔ながらの建物だということに惹かれて 値段高いけど泊まってみようって予約したのに、現ホテル・ウクライナこと旧ホテル・モスクワは、 もろソ連の産物のような高層ビルである。 でも、予約してあるし、お金も払ってあるのでチェックインする。

部屋からの眺めは高層ビルなだけによろしい。 繁華街の真ん中なので便利そうでもある。 あまりに暑いので、部屋でネットで遊んで、ごろごろしているうちに夜になった。 旧ソ連の(旧)高級ホテルは部屋毎にダイレクトな電話が引いてある。 隣の部屋にかけるにも「内線」ではなく、普通のながーい電話番号でかけたりするわけである。 まあ、そんなわけで、パソコンとローミングポイントをもってさえいれば、 簡単にネット接続ができるのは楽しい。 観光しろよって感じだけど、1人で先に観光しちゃうと、あとがつまんないからさ。

夜8時過ぎ、ホテルのフロントで空港からホテルまでの相場のタクシー料金をきき、 メトロとバスでキエフ空港に向かう。

空港着くの早過ぎちゃったなあ、、と思ってたら、 タクシー(もちろん白タク)のおじさんが声をかけてきた。
「ホテル・ウクライナまでいくら?」
「70グブリナ(=14ドル弱)」
最初から相場で言うなんて、いい人だなあ。
「うん、じゃ、お願い」

・・・・1時間半後・・・・
おじさんはどこにいるんだろ? いたいた。
「お友達はまだ?」
「まだなの、黒い髪の小さい日本人なんだけど。。」
「いたいた!」
おじさんは、ほっと一安心の顔。 なぜなら、私1人だとバスで帰ってしまう危険性があったからである。 (推測)

「おそーい!!お久しぶり!」
「すごい時間がかかっちゃって」
と再会を喜びながら、かおるさんと向かった おじさんのタクシーは、なんとベンツだった。

あまり所得の高くない国でベンツに乗っているやつには、悪いやつがいる。
「ほんとに70でいいの?」
「彼女がなかなか出てこなかったから、80でもいいか?」
「その理由ならいいよ」

よく舗装された暗い夜道を飛ばして、明るいキエフの町に入った。 ホテル・ウクライナに着き、いざお金を払おうとしたら、 私たちはぴったり70グブリナと100グブリナ札しか持っていなかった。
「100出したら20おつりある?」
「・・・無い・・・70でいいよ」
というわけで、結局70グブリナのドライブとなりました。

8月2日になったころ、かおるさん無事に新ホテル・ウクライナ到着。

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