えせバックパッカーの旅日記
誘われたかおるの旅日記開け放った窓から涼風が入り、 熱帯夜の 東京とは比べものにならないくらい寝心地がよかったが、 時差ぼけのせいで4時過ぎに目覚めてしまった。 その後、うつらうつら過ごし、 ときおりべランダに出ては、 明けゆくキエフの町を眺めた。 私たちが泊まっているホテル・ウクライナは 町の中心であるネザレージュノスティ(=独立)広場に面した高台という、 超一等地にあるのだ。 バスタブも付いているし、室内には冷蔵庫もある。さすがツインで1泊102ドルというだけのことはある。 ところで このホテルは、ガイドブックに載っている「ホテル・ウクライナ」とは 別物であり、つい最近まで「ホテル・モスクワ」という名前だった。 (以前の「ホテル・ウクライナ」も名前を変えて健在である。) 昨日の朝、キエフに着いたふゆきは「ホテル・ウクライナ」と信じて旧ホテル・ウクライナ に行き、「まあ、素敵なホテルだこと♪」と感心していたら、 「今のホテル・ウクライナは600メートル先の別のホテルだ」と言われ、 てくてく歩いてたどり着いた新ホテル・ウクライナがこれだったので、 がっかりしたのだそうだ。 それにしても、普通はそういうふうには名前を変えるもの ではないと思うのだが。 いくら元の「ホテル・ウクライナ」が了承したって、 利用者の立場を考えたら、「ホテル・ニュー・ウクライナ」くらいに しておくものではないだろうか・・・? 事実、私たちだって、ガイドブックの説明を頼りにホテルを決めたのだ。 元のホテル・ウクライナよりも良い立地だったから よかったけれど、 これがもしも不便な場所だったら、たまったものではない。 私につきあって早起きしてしまったふゆきが パソコンを取り出してきた。 なんと、旧ソ連の大きなホテルは、 ホテルの部屋それぞれが電話番号を持っている、 つまり、部屋から直接ネット接続できるのそうだ。 ソ連ってすごい国だったのねえ。 有り難くパソコンを拝借した私は、 両親にホテルの電話番号が違っていた旨のメールを送り、 HPの掲示板のレス付けをした。 さて、朝食である。 部屋にあったホテル案内に、レストランは朝7時45分からと書いてあったので、 その時間に行ってみると、表示には7時15分からと書いてあった。 チェックインしたときにくれた、部屋番号を書いてあるカードを見せると、 席に案内された。 テーブルの上の小さな皿にはトマト2切れ、 薄切りにしたきゅうりとチーズ数枚がのっていた。 テーブルの真ん中の皿には、薄切りの白いパンと黒いパン、甘そうなパン。 「1泊100ドル出して、たったこれだけ?」と思っていると、 「オムレツ?フライドエッグ?ソーセージ?」と訊いてきた。さらに 「コーヒー?紅茶?」 私たちはオムレツと紅茶をとった。熱々のオムレツは ウェルダンで味が無かったが、熱々だったので美味しかった。 紅茶にはレモンがついてきた。 へーえ、この国にはレモンティーがあるんだ。 さらに遅れて、ヨーグルトが出た。それでおしまい。 |
誘ったふゆきの旅日記
空港から出たのは夜11時半すぎ。
昼は暑かったキエフも、夜は快適だ。
タクシーで30分ちょいの道のりも、2人でしゃべっていたら
(たまにドライバーのおじさんも参加してたから、3人かな?)、
あっという間にホテルに到着した。
ホテルに到着する前に、今日1番のエキサイトだったホテル・
ウクライナについてかおるさんに力説
した。
かおるさんは、入り口のソ連っぽさにもあまり驚かず、
広場を見晴らすリノベーションがきれいに済んだ部屋に入って、 はい、私も。
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まずはサムトラベルと連絡をとらなければならない。 私たちの担当者・オルガ嬢 はレスがすばやく、ばりばりのキャリアウーマンなんだろうなあ と感じさせる人である。 彼女のメールによれば、 列車の切符はホテルのフロントに預けておくということだった。 しかし、フロントに訊くと何も届いていないという。 それに、明日のチェルノブイリ・ツアーが何時にどこ集合なのか も確認しておかなくてはならない。 部屋に戻り、サムトラベルに電話を入れると、 オルガの出社は9時半頃だという。 直接会うのが一番確実と考え、 オフィスに行くことにした。
それほど難しい道とは思えなかったが、 人に訊くこと2回、 絶対にこれは違うと決めつけていた細い坂道を下りると、 先になって広い道になった。 やがて航空会社の看板がたくさん見えてきて、 その中にサムトラベルの看板があった。 オフィスに行くと、 9時半をとっくに過ぎているのにオルガはまだ来ていない。 せっかくだからと目の前のウラジーミル教会を見に行く。 ちょうどミサをやっている最中で、なかなか良い雰囲気だった。 20分ほどたってオフィスに戻ると、オルガはまだで、 「2時間後なら来ているはず」と言われる。 くーっ、オルガ、重役出勤なのか・・・。 しかし2時間後なんて、そんなひんぴんとサムトラベルに 足を運んでいたら、ろくに観光できないではないか。 私たちは 「夕方来る」と言い置いてオフィスをあとにした。 |
朝ご飯を食べた。 そして、8時過ぎ、サムトラベルに電話してみた。 オルガはいなくて、「9時半過ぎに出社します」って言われた。 まったく、バウチャーはまだしも、明日の観光のインフォくらい前日にいれておけよ〜!! 何度も電話するのもおっくうだったので、 じゃあ、街に出るついでに、サムトラベルに行ってみよう!(近そうだし。)と まだ涼しいキエフの町を歩き始める。
キエフって坂だらけなの。
そして、「女だけど地図が読める」ふゆきが、その道を見落とした。 受付で英語で、オルガいますか?ってきいたら、いなかった。 もうちょっとしたら来るって言うから、じゃあ、前にある教会に行きましょう。 ふゆきは正教の教会が大好き。アートが素敵。
そして、戻ってきても、オルガはまだいない。
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今日は町の中心部を観光することにした。 最初はソフィア教会。 さっきのウラジーミル教会もとても美しかったが、 こちらこそ正統派の正教の教会。 東洋的な香りがなんとも魅力的である。 2階には美しいモザイクの展示があった。 もともとはミハイル教会のものだったのが、 こちらに移されたものだそうだ。 必見。 外に出て、アンドレイ坂を目指したつもりが、 なぜかミハイル教会に着いてしまった。 ここは下町に降りた後、ケーブルカーで登ってきてから見るつもりだったのに。 この教会は前述のとおり、建て直されたものなので、ブルーを基調とした外観は 美しいが、 内部は金ちゃかちゃかでちょっと安っぽい。注 日陰がまったくないミハイル教会周囲の広場を往復したあたりから、 寝不足の私はへばり始めた。 ガイドブックに「たくさんのカフェやレストランがある、 キエフで一番チャーミングな道」と 書かれているアンドレイ坂にたどりつく。 カフェに入れる、 何か飲み食いできるということを期待してここまでやって来た と言っても過言ではない。 いきなりマトリョーシカ売りがぞろりと並んでいて度肝を抜かれたが、 少し行くとすいてきて、なかなか風情が出てきた。 風情はあるものの、この坂には日陰がない。 私はますますへばり、口をきく元気さえなくなってきた。 それに、カフェなんか2、3軒しか無いじゃないの・・・。 坂をかなり下ったところに地味なカフェがあった。 もうこの頃は 店を吟味する気力さえなくなっていたので、 エアコンが効いているという 理由だけでその店に入った。 サラダ、ボルシチとチキンソテーを2人で半分ずつ食べ、 ミネラル・ウオーターをとり、息をついた。(合計30グブリナ=約720円) カフェを出て、 アンドレイ坂を下り切った私たちは、 古都の趣を残しているという、ポディル地区に 足を伸ばした。 行ってみると、どうということのないところだった。 あまり高い建物が無いところが古都らしいのかもしれないが、 広い通りばかりで、 ひそかに期待していた路地裏は無い。 街路樹も無い。つまり日陰が無い。 地下道をくぐって広い通りの向こうのドニエプル川まで出てみたが、 どうもぱっとしない風景である。 私のへばりように、ふゆきが心配し始めた。 ケーブルカーで上に戻ろう。 そして涼しいところで休もう。 でなければ、地下鉄で中心部に行こう。 ところがケーブルカーの駅が見つからない。 地下鉄の駅も。 ガイドブックの地図によればこのすぐ近くのはずなのに。
「ねえ、タクシーに乗るっていうのはだめ?」 ああ、このときほどあの大きな"M"の字が頼もしく見えたこと は無い。 狂喜した私たちは エアコンのほどよく効いた店に駆けこみ、 オーシャンビューならぬリバービューのテーブルを確保し、 キウイー入りのマックサンデーを食べた。 それでもまだ身体が回復しないので、 さらに紅茶を飲んだ。 熱い飲み物が身体にしみわたり、汗が出て、ようやく落ち着いた。 ゆっくり休み、体調を整えてからケーブルカーに乗った。 驚いたことに日本人男性が2人いた。 学会のためにキエフに1週間滞在しているのだそうだ。 注 :帰国後読んだ「物語 ウクライナの歴史」(黒川祐次著・中公新書)によると、 ミハイル教会はその黄金のドームの美しさで知られていたが、1936年、 スターリンによって破壊され、1991年のウクライナ独立後の、 経済が困難をきわめているさなか、 国家的事業として再建されたのだそうだ。 このことを知っていたら、「金ちゃかちゃか」とか「安っぽい」よりも もっと深い感慨が湧いただろうに。残念。 |
キエフの観光スポットは、それぞれ、乗り物に乗るほどは離れてなくて、 でも近くはない。 通り沿いに、たくさんマトリョーシカが売っている。 さっき行ったのとは別の、 もう1つのすごい有名な教会に行った。そして、そこから 「地球の歩き方」を参考に決めたルートは、 なかなかこじゃれた通りを通り、 川沿いの、昔ながらの街並みが残っている地区に行く、というものだった。 こじゃれた通りには、何軒かカフェがあった。 お昼時だし、さて、カフェに入ろう、と思ったものの、このこじゃれた通りは下り 坂なのである。 だから、いったん通り過ぎちゃうと、登るのが面倒なんだよね。 何ヶ所か通り過ぎて、あそこもいいね、ここもいいねと言った後、 エアコン付きに惹かれて、あるカフェに入った。
メニューはお決まりなので、ロシア語は問題無い。 かおるさんに1つずつ訳して伝え、 結局、ボルシチと、肉の焼いたのと、サラダを頼んで、 学食と同じだな〜って思いながら食べて、 2人でエアコンに感動した。 食事とエアコンでちょっと体力回復させて、 よーし、昔ながらの街並みを見に行こう!と 川まで降りたけど、うーん、、、 私の感覚が旧ソ連に慣れてきちゃって、麻痺しているのかなあ・・・。 これが昔ながらなのかなあ。。
ああああ、気がつくとかおるさんがばてている。 川沿いというロケーション抜群のマクドナルドは、もちろんエアコンが効いていた。 2人でキューイー・サンデーを食べて、まだばてているかおるさんに温かい紅茶を飲ま せた。 |
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ケーブルカーの終点はミハイル教会の裏。 そこからソフィア教会まで歩き、 マルシュ(乗り合いミニバス)で ウラジーミル教会前まで行った。 目指すはサムトラベル。今度こそ、 なんとしてもオルガに会わねばならない。
サムトラベルに入ると、すっかり顔なじみになった
受付の女性が連絡を入れてくれた。
間もなく若い男性が出てきた。
男性が去ると、ふゆきが口を開いた。 * * * * * * * * * * 帰り道は下り坂なので歩いた。 さんざん暑いと書いたが、本当は この町、全体的には街路樹がこんもりと生い茂った通りが多く、 なかなか感じがいいのである。 独立広場の地下には、出来たてほやほやのショッピングセンターがあり、 その中心にはファーストフード店がずらりと並び、 いろいろな店のものをとって食べることができるようになっている。 まだ5時過ぎだが、ここで早めの夕食をとることにした。 マッシュルームのクリームあえ、 ペリメニ(ロシア風餃子)、ジャガイモのソテー、 ケチャップ味のソースのかかった魚をとり、 ビールを飲んだ。 灼熱地獄を体験した身体の隅々に冷たいビールがしみわたる。 まさに至福のひとときである。 7時頃、地上に出たら、独立広場は夏の宵を楽しもうという人々で ごった返していた。 入浴、洗濯を終え、ベッドに横になったのは8時前だった。 そしてそのまま意識を失った。 |
サムトラベルリターン。
「オルガいますか?」
しばらくすると男性が出てきて、チケットを渡してくれた。
明日のチェルノブイリツアーについて尋ねると、 タバ休から戻ってくるオルガとすれ違いざまに、 ふゆきとオルガの視線は刺し違える。 オルガ。キミは、、社会人としての常識はあるのかね!? 今だったらロシア語で文句言ってやる!! そう、ふゆきはロシア旅行中に随分ロシア語を覚えました。
夕飯。 夕飯が終わったら、ホテルに戻って、お風呂に入ってさっさと寝ました。 暑かった。 海もこのくらい暑いといいなー。 |