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えせバックパッカーの旅日記
誘われてウクライナ(7)

ウクライナとその周辺の地図

ビーチ・リゾートの正しい過ごし方

目を覚ますと真っ青な空、というわけではないが、そこそこ晴れていた。 よかった、これならビーチでごろごろすることができそうだ。 ワンピースの下に水着を着込み、8時ぴったりにレストランへ。 ビュッフェには相変わらず迷うほどいろいろなものがあるが、 今日の新顔として、ラタトゥイユを見つけた。 さっそく味見してみると、なかなかのお味である。 ほんとうにこのホテルの朝食は良い。 でも、あまり時間が無いので、 そそくさと朝食を済ませ、ビーチに向かった。

ヤルタのビーチは砂利ばかり

エレベーターでビーチに降りると、すでに甲羅干し用のスノコが並べられていた。 その上にバスタオルを敷いて、さっそくゴロゴロする。 今日は ちゃんと長袖シャツと帽子を着用し、日焼けどめクリームを たっぷり塗ってあるので、太陽なんか怖くない。

私は絵葉書を取り出した。今日は2枚書く予定である。 一方、隣のふゆきは、私が成田で買って機内で読んだ日本の週刊誌 を、熱心に読みふけっている。 キエフで渡してから、暇さえあれば読んでいるのだ。 他に読む物が無いからなのだろうが、それにしても よく読むものだ。 そのうち丸暗記してしまうんではないだろうか。

これからヤルタを発つことを思うと、あまり水着を濡らしたくはなかったのだが、 だんだん暑くなってきた。 ついにたまりかねて、水に入り、 ほてった身体を冷やし、しばし、波とたわむれた。

ところで、砂利ばかりのこのビーチは、水に入りに行くために、ほんの数メートル歩くだけでも 足の裏がかなり痛くてつらい。
「でも、これって足の裏のツボ刺激にはいいんじゃない?」
私がこう言うと、ふゆきはやおら立ち上がり、砂利の上で足踏みを始めた。 神妙な顔をして長いことやっているので、 真似をしてみると、 最初は飛び上がるほど痛かった足の裏が、 だんだん気持ちよくなってくる。 温かい砂利の刺激は、かなり身体に良いのではないだろうか。 それにしても、 「無言で向かい合って砂利の上に立ちつくす水着姿の二人の東洋人女性」というのは、 傍から見たら、相当にアヤシイものだったに違いない。


シンフェローポリへのはるかな道のり

10時半にビーチを後にし、部屋に戻ってシャワーと簡単な洗濯。 11時半にチェックアウトし、ホテルの正面玄関脇にあるカフェで、 ジュース、ペリメニ(ロシア風餃子)、ピラフという昼食をとる。

1時頃、ホテルを出発した。歩いて坂を下り、バス停そばに着くと、 タクシーがいて、ドライバーが客引きしていた。 ほんとうはマルシュ(=乗り合いミニバス)で安く上げるつもりだったのだが、 15グブリナ(=約300円)という言い値はまあ悪くないんではないかということになり、そのタクシーに乗ることに。 ここに来るときに乗った、あの息を呑むほどぼろっちいタクシーとは うって変わり、とてもまともにきれいなタクシーだ。 でも、エアコンは付いていない。

タクシーに乗ったころから、雨が降り出し、バスターミナルに着いたときは、 ものすごい土砂降りになっていた。 タクシーから降りたとたん、別のタクシーのドライバーから 「シンフェローポリまで80グブリナでどうだ」と声をかけられたが、 「バスにするから」と言って断った。

ヤルタの遊園地

そして、ふゆきの大奮闘が始まった。 なにしろ窓口でマルシュの切符を買わなければならないのである。 慣れた口調で「いくらですか?」と、ここまではいいのだが、 問題は相手の答えがよくわからないこと。 「はっ?」「えーっと」と言いながら、結局は指に頼る、 というのは彼女のいつものパターンなのだが、どうも今回は、普段以上に 苦戦している様子。たぶん、切符1枚の値段がこれこれで、 2人分だからいくらになる、という複雑な話だからなのだろう。 ようやく値段がわかったようだ。 ・・・でも、なあんだかやけに高いんじゃなあい?  こんなに払うんだったら、タクシーにしてもいいような気がするわ・・・。 と思っていたら、チケット売り場の女性は、なんとチケットを8枚も よこしてきた。 大慌てのふゆきが「2枚2枚!」と叫ぶ。 誤解が判明すると、窓口の女性は
「あなたが指をいろいろ出すものだから、8枚かと思ったわ」
と言ってげらげら笑った。

結局、マルシュの切符は1枚7.8グブリナ(=約160円)だった。
「ふう、優しい人でよかった。間違えると、怒る人が多いのよ」
大仕事を終えたふゆきが言った。 お疲れ様でした。 ふゆきがいてくれてほんとうに助かるわ。

13時38分発のマルシュは座席指定だった。 乗客はみんな大荷物を抱えているので、 乗り込むだけで大騒ぎ。 ふゆきはバックパックを運転手席近くの荷物置き場に置き、 車の振動で転げ落ちないよう安定させるのに、悪戦苦闘していた。 私のほうは、彼女のほど重くないので、バックパックを抱えて席に着く。 超満員のマルシュが発車すると間もなく、私は眠りに落ちた。

シンフェローポリ着15時20分。 駅前のマクドナルドでお茶を飲み、トイレに行き、 駅前の売店で夕食用のピロシキとクッキーを買い込んでから、 17時15分発のオデッサ行き夜行列車に乗った。

老エンジニアの話

コンパートメントには老夫婦がいた。 私たちは日本人だと言うと、 ご主人のほうが、ゆっくりしたとてもわかりやすい英語で話しかけてきた。
「私は日本を2度見ました」
私たちがけげんな顔をすると、
「私は韓国の釜山に住んでいたことがあります。そのとき、 対岸の日本の蜃気楼を2度見たんです」
なるほど。よく、富山あたりで蜃気楼が見られるとは聞くが、 こちらから向こうが見えるということは、 向こうからもこちらが見えるということなんだな、と納得。

木に浸食された?家
(ヤルタ)

現在はクリミア半島のセバストーフォリに住み、 これからオデッサに住む親戚の家に遊びに行くという彼は、 とても話好きだった。 なんでも、ソ連邦崩壊とウクライナ独立までは、通信関係のエンジニアだったが、 独立後の不況のあおりをうけて失業したのだそうだ。 そんな折りに、韓国から就職の口がかかった。 この年になって外国に行くなんて大変だとは思ったが、 背に腹は代えられないので、 1995年から5年間、釜山で暮らした。 韓国に骨を埋めることも考えないではなかったが、 結局帰国することにした。 今は小さい会社で仕事をしている。 昔に比べたら、ほんとうにつまらない、小さな仕事ばかりだが、 営業メールを世界中に配信して、 外国からの仕事も開拓しようと頑張っている。 同じようにエンジニアである妻も、幸いなことに、職を得ることができた。
「共産主義だった頃に比べて、 良くなったことが2割、悪くなったことが8割だ」
たとえば、共産主義のときは、教育が無料だったし、 だれにでも 高等教育の門戸が開かれていた。 それが独立・民主化後は、義務教育年限が大幅に縮小され (私の曖昧な記憶によると、確か5年だか6年)、 貧しい家庭の子女は高等教育が受けられなくなってしまった。
「それっぽっちしか勉強していない人が何になれる?  今のこの世界で。そんなことでこの国の将来は大丈夫なのだろうか」
しばし彼の言葉がとぎれる。 車窓に目をやると、ウクライナの緑の大地が、 長い夏の日に照らされて、輝きを増している。
「外国の人々にとって、こういう風景は感嘆の的らしい。 この国の未来は、おそらく農業にあるのだろうな・・・」
彼の隣で本を読んでいる奥さんが目をあげて、 「もういい加減にしたら」 とたしなめる。

やがて日が暮れた。 私たちは車掌から紅茶を買い、駅で買ったピロシキを食べた。 彼は紙に包んであったティーカップを取り出し、瓶入りのビールをそれに注いで飲んだ。 缶ビールではないんだな。 パンなどの食べ物はラップやアルミホイルではなく、紙に包んでいる。 日本でも、私が小さかった頃はまだそうしていたはずだと思うと、 なんとなく懐かしい気持ちになる。
「これは豚の脂身です。食べてみませんか?」
差し出されたのは、真っ白な固まりを薄くスライスしたものだった。 おおっ、これは"Lonely Planet"で紹介されていた、ウクライナの国民食・豚の脂身の塩漬けではないか!  ビタミン豊富な豚の脂身は身体に良く、 チェルノブイリ原発事故の悪影響が(事故の大きさのわりに)比較的小さかったのは この食品のお陰もあるのではないか、と書かれていたような。 でも、脂身でしょ。臭いんじゃないかしら・・・?  こわごわ口に運んだ脂身は、 塩気がほんのり効いているだけで、臭みもくせも全く無かった。 これだったらいくらでも食べられそうだ。
「ほんとうは冷蔵庫から出したてのを食べるんです。 冷たいのはとても美味しいんですよ。 これは生ぬるくて今一つだ」
夕食後も彼はまだまだしゃべりたそうだったが、
「いい加減にしなさいよ。彼女たちが疲れてしまうわ」
という奥さんの一声で、私たちの座談会(というより、彼の独演会) はお開きになった。

9時過ぎ就寝。

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