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えせバックパッカーの旅日記
誘われてウクライナ(9)
付録:ふゆきのウクライナ出国記

ウクライナとその周辺の地図

ビーチリゾートの正しい過ごし方@オデッサ

朝起きたら、胃がもたれていた。昨日の中華、油っこすぎたみたい。 窓の外を見ると、 曇っていて冴えない天気だ。でも、今日は黒海沿岸で過ごす最後の日。 何が何でもビーチに行かなければならないのである。

オデッサのビーチ

8時に下のレストランに行く。 ジュース、パン、ヨーグルトにポテトケーキという、かなり質素な朝食。 私たちは出されたポテトケーキを素直に食べたが、 食べてから、頼めばオムレツなどの卵料理に変えてもらえるらしいことがわかった。 特に卵が食べたかったわけじゃないから、いいんだけどさ。 よく見たら、テーブルによってはサラダが付いているところがあることに気づいた。
「いったいどうして?」
正直、ちょっとむっとした私たち。
でも、 宿泊券をきちんとチェックした上で、それぞれのテーブルに案内されるので、 差別されたとか、テキトーにそうなっているのではないようだ。 サラダ付きの人たちはみんな、ツアー客かな?と思わせる人々だった。 団体だけがサラダ付きなのかも。でなければ、 宿泊料金によって差が付くのかもしれない。

朝食後も天気は冴えない。でも、水着を下に着て、出かける。 ホテルを出るとき、玄関脇に立ってるお兄さんに、空港に行くためにタクシーを呼んでもらえるのか、料金の相場はどのくらいか、等々の質問をした。 ところがこのお兄さん、さっぱり要領を得ないのだ。 いったいここに立って、何の仕事をしているのだろうか。単なる雰囲気作り?(爆) ここにもまた「旧ソ連圏」が残っていた。

のんびり歩いくこと約10分、ビーチに着く頃に、日が差し始めた。

「・・・イケてないわ」
ふゆきがぼそりと言った。
何がイケてないの?
「オデッサのビーチ」
ふーん。でも、黒海沿岸はコートダジュールじゃないんだし。 どこもこんなもんなんじゃないの?
「いやいや、ブルガリアの黒海リゾートのほうが、ずっとよかったです」
そうなのかぁ。。。

ここのビーチは、足裏に優しいさらさらの砂地である。 木製のデッキチェアーというか、縁台というか、要するにただ寝る台が並んでいる。私たちはそれを各自1つずつ確保し、早速ゴロゴロし始めた。今日も私は絵葉書を書いた。今日もふゆきは雑誌を読みふけった。 温かい日に照らされて、うとうとしかけたところで、 オバさんがやってきて、寝る台の料金(1つにつき1.5グブリナ)を徴収していった。 その後、足だけ黒海に浸かり、10時過ぎにビーチをあとにした。

この道は歩き慣れた。 すぐそこがホテルだ。実に近い。
「これがオルガの好みなのね」
歩きながらふゆきが言う。
「オルガはきっと、夏にオデッサに行くんだったら、ビーチでしょ! ビーチのそばじゃなくちゃ!って思ったんだわ」
うん、そうね。そうにきまってる。
キエフで見たオルガ---ひらひらワンピ着てブロンドの髪をなびかせた、イケイケギャル(←死語?!)---を思い出し、 私は深くうなずいた。

別れ

部屋に帰り、シャワーを浴びて、11時過ぎに部屋を出る。 玄関脇には違うお兄さんが立っていた。この人はさっきの人と違って、 普通に気が利いていて、相場は16グブリナだと教えてくれた。 安いなあと思いつつ、タクシーを呼んでもらう。

オデッサの市場

やってきたのは、なんとベンツのエアコン車。 乗る前にドライバーに料金を確認したら、 無線でどこかに問い合わせた上で、20グブリナだと言う。 あらあら、話が違うじゃない。 でも、20グブリナというのはたった4ドルなのだ。 空港への距離を考え合わせたら、決して高くはない。エアコン車だし、いいんじゃない?ということになる。

私はこのあと、駅に戻らねばならない。 「歩き方」には「空港と駅を結ぶ129番のマルシュ(路線ミニバス)は3時間に1本しかない」と書いてあって、いったいどうすればいいのだろうと思っていたのだが、なんのなんの、129番はたくさん走ってる。空港に行く間に、5台ぐらいに出くわした。

12時少し前に空港到着。私がここまでふゆきに付いてきたのは、 彼女を見送るためではなかった。アエロフロートの帰国便のリコンファームのためだったのである。 ところが、このオデッサ空港には、アエロフロートのオフィスもカウンターもなかった。ウクライナ有数の大都市であるオデッサ国際空港に、アエロフロートが就航してないなんて、思いもしなかった。 こういうところだけはしっかり「旧ソ連圏」を脱却しているのだ。

空港脇には小さなしょぼいカフェがあった。 相変わらず胃はもたれているが、多少空腹だったので、 ハエがぶんぶん飛んでいるそのカフェで、 シャシュリク(串焼き)をシェアして軽い昼食をとった。

昼食後、カフェの外にあるいすに座って時間をつぶす。 目の前には129番のマルシュがたくさん停まっているが、 いっこうに出発する気配が無い。

時間がたつにつれ、目の前のふゆきがどんどん暗くなっていった。
「あ〜あ、出国審査が怖いよ〜」
長旅の彼女は、けっこうドルのキャッシュを持っている。 ところが、ロシアから陸路でウクライナに入ったとき、 入国審査がなかったため、きちんと申請できなかったそうなのだ。
「いいなあ、陸路で出る人は」
そんなぁ・・・恨めしそうな目をしないでよ。
ウクライナの出国審査がどのようなものなのか、全く知らない私には、 慰めることも、アドバイスすることもできなかった。

一人の男性が、マルシュに近づいた。と、突然マルシュにエンジンがかかり、 動き出した。 仰天した私は、バックパックを抱えて、マルシュに走り寄った。 走りながら叫んだ。
「バイバーーーイ!! 気を付けてね!!!」
「バイバーーーイ!! 元気でね!!!」
これがふゆきとの別れだった。

ふゆきがオデッサ空港から出発したわけ

ふゆきがかおるさんとの待ち合わせを決めて、 ウクライナの旅程がほぼ決まった頃、 「ザルツブルグ音楽祭(オーストリア)に行こうよ」メールが来た。 始めのうちは、その頃はソ連にいるんだから無理無理って思ってたんだけど、 考えてみたら、 ちょうどかおるさんとウクライナで別れる頃だと気がついた。 ウクライナの隣がスロバキアで、その隣がチェコで、その隣がオーストリア。 オーストリアって、ウクライナからけっこう近いかも。

オデッサからエレバン(アルメニア)に飛ぶ予定を、 オデッサからウィーンに飛んで、ウィーンからエレバンに飛ぶように変更。 さすがオーストリア航空は、ウィーンより東側へ強力なネットワークがある。 まあ、ザルツブルグ音楽祭に行かなかったとしても、 オデッサ空港から出るつもりだったんだけどね

* * * * * * * * *

かおる注:私はわりと出発直前まで ふゆきも一緒にリヴィウに来るのだと思ってました。 こうもあっさりと「オデッサ空港から出るつもりだった」と 書かれると、「ちょいとあんた」と言いたくなります(笑)

オデッサの街角


ウクライナ出国の日

ふゆきは、この日が怖かった。
ロシアに入国した日から怖かった。
ロシアはお金の持ち出し制限が厳しく、 入国した時に申請した時以上の現金を持っていてはならない。 持ち出し制限は1000ドルだったり、3000ドルだったり、 しょっちゅう変わるのだが、その時は、0ドルだった。

ロシア入国時には、あまりにロシア事情がわかっていなかったのと、 ペテルブルグ行きの飛行機の乗り継ぎ時間がとても短かったのでかなり焦っていて、 申告しなきゃ、って思いながら、グリーンのラインを通り、 あれ??どこで申告するの?と思っている間に、入国していた。 よって、外貨の申告が出来なかったふゆきは、出国時にもめるだろうと、 2ヶ月間憂鬱だった。

ロシアからウクライナに入国した時は、ロシア側の出国審査が無かったため 無事に通過できた。 これはふゆきには好都合だったが、ウクライナ入国時にも、 グリーンのラインもレッドのラインも無かった。 それどころか、夜行寝台で寝てるときに国境駅に着き、係官がどやどや乗り込んできてパスポートチェックはしたけれど、そのまま寝ちゃって、目が覚めたらキエフだった。 きっとあのとき自分から「私は外貨を持っている!申告をするぞ!!!」と大騒ぎしなくちゃいけなかったんだろう。今になればわかるけど。

オデッサの空港でシャシュリクを食べ、 かおるさんが市内に向かうマルシュルートカに乗った後、 ふゆきは、憂鬱な気分で飛行場の椅子に座り、フライトを待った。

ひとりぼっち

マルシュに飛び乗って「レイルウェイ・ステーション」と言うと、 ドライバーに「はあ?」という顔をされた。 先に乗車していた男性が「バグザル」と通訳してくれた。 そうそう、それそれ、バグザルね。いつもふゆきがそう言っていたっけ。

駅に着き、荷物一時預かり所を探し回る。 うろうろ歩き回ったあげく、地下に下がる階段のところに、 地味な表示を見つけた。 おりていくと、ひとけのない、薄暗い空間が広がっていた。 なんだか怖い。思わず引き返そうとしたら、 角の陰になったところから、駅員が一人出てきて、 私の様子を見て「こっちだ」と指さした。 そこのドアを入ると、机があり、 そこに座っていた駅員が 私のバックパックを見て、なにやらノートに記入した。 時計を指さして、「何時まで預かって欲しいのか?」と 訊いているらしいので、切符を見せた。 預かり料は3グブリナ。

無事、荷物を預けることができた。さて、どうしよう?

とりあえず、トロリーバス1番に乗り、5つ目でおりた。 ここはゴールサト公園のすぐそば。 でも、もう公園には行ってあるからどうしようか。 ガイドブックを見て、海洋船舶博物館へ行ってみることにした。 その名のとおり、船の模型がたくさんある。特に帆船の模型がたくさんある。 これが思いがけず、とても面白かったのである。 どのくらい面白かったのかというと、 私はまだお台場の船の博物館には行ったことがないのでわからないが、 少なくとも、横浜のマリタイム・ミュージアムの十倍は面白かった。 説明はロシア語(ウクライナ語?)だから、一切わからないのに。 帆船に詳しい友人たちと一緒だったら、どんなに楽しかったことだろう。

次は西洋東洋美術館に向かった。 「旅先に美術館があったら、なるべく見る」のが私の基本方針だからだ。 ところが、行ってみると休館中だった。がっかり。

プーシキン記念館の入り口から 大通りを見る

仕方がないので、近所にあるプーシキン記念館へ。 プーシキンの作品は「桜の園」を読んだことがある。あっ、あれはチエホフか。 プーシキン、プーシキン・・・「スペードの女王」だったっけ?  我ながら、こんなことで、わざわざ行く甲斐があるんだろうかという疑問が 無かったわけではないが、他に行くところが無いんだからしょうがない。

まず、 入館料が9グブリナもすると聞いて、ひっくりかえりそうになった。 さっきの海洋船舶博物館は2グブリナだったのに。 受付の人に「イングリッシュ?」と訊かれ、「イエス」と答えると、 ビニールファイルに入った英語の説明のプリントを貸してくれた。 その場で読んで、すぐに返却しろと言うので、 とりあえず、読んでみる。あまりよくわからなかったが、 最後のほうに、「199X年(正確な年は忘れた)、プーシキン学会(?)があり、全国から 研究者が集まって云々」という内容のことが書いてあった。 ん? 9X年ということは・・・ソ連時代ではないか。 つまり「全国」というのは「全ソ連邦」の意味であり、このプリント、旧ソ連のときに書かれたきり、10年以上、書き直されてないのだ。あのう、そろそろ新しく書き直したほうがいいと思うんですけど。 9グブリナも取ってるくせに、お金足りないんですか?

プリントを返し、館内を見て廻った。 ロシア語を読めない人間が、草稿を読もうとしても無駄である。でも、 プーシキンという人は、人の顔、それも横顔を描くのが好きだったらしく、 草稿のあちこちに、いろんな人の横顔が描き散らかしてあるのが面白い。 彼の蔵書として、シェークスピアの原書や モンテスキューの著作のロシア語訳などが並んでいた。 きっと西欧文化に憧れていたのだろうなあ。

この後は、マクドナルドに行ってお茶を飲み、トイレを借りた。いつもこのパターンだ。芸が無い。 トイレの前に並んでいるとき、前の人が一歩進んだ。 その瞬間、後ろにいた女性が割り込んだ。 頭にきた。非常に頭にきた。 でも、これがこの国(というか、おそらく旧ソ連圏)の流儀なのだろう。 実は私は、すでに「割り込み」の洗礼を受けていた。ウクライナに着いたばかりの、 キエフ空港の入国審査のときのことである。 そのときぼんやりしていたのは、私ではなく、私の前にいたウクライナ人男性で、彼が前に詰めるタイミングを逃したために、隣の列の人に割り込まれたのだった。 「割り込み」は、70年も続いたソビエト体制下の「行列の日々」の中、 人々が学習した哀れな習性であると言えよう。 でも、よくないです。こういうのは。 早く改めたほうがいいですよ。 さもないと、いつまでたっても「旧ソ連諸国はダメだ」 と言われ続けますよ(って、誰に向かって言っているのか私は)。

マクドナルドの後は、 最後の仕上げ(?)にと、ガイドブックに載っていたネットカフェを探して歩いたが、 ついに見つからず、時間切れになった。 そろそろ夕食をとらなくては。 朝から胃がもたれているので、あっさりしたものにしたかったのだが、 ふゆきがいないとどうしてよいかわからない。 結局、6時頃、トロリーバス1番で駅に戻り、駅前のマクドナルドへ。 ハンバーガーは全然あっさりしていなかった。 駅前でミネラル・ウォーターを買い、荷物を取りに行き、 19時49発のリヴィウ行きの夜行列車に乗りこんだ。

ふーっ、やれやれ。なんとか一人で半日過ごせたわ。

今夜のベッドは下段である。 当初の計画では、ふゆきもリヴィウまで行くことになっていたのだ。 彼女が寝るはずだったベッドも下段。 「落っこちそう!」と上段を怖がっていた彼女のことを思い出すと、 なんとなくにやにやしてしまう。 さらに、今日の客室には上段のベッドにのぼるためのハシゴがある。 今までの列車では、ハシゴがなくて、短足の私は上によじのぼるのに、 かなり苦労したのだ。 私が下段のときに限って、ハシゴ付きだなんて、ウクライナ国鉄も意地悪ね。

出国審査

ようやく時刻になって出国審査に入る。
「お金はいくらもってるの?」
こわごわと財布を出す。
「これだけ?」
とりあえず 「ダー」
でも、ここでダーっていっちゃダメだったのよね。。
正直ベースで話したほうがよかったと後悔しても後の祭り。

見つけられてしまった。
キャッシュ600ドルと400ユーロとトラベラーズチェックが500ドルくらい。 (もっとあったかな?)
なんだか分からないふりで押し通そうと、 サインを貰ってない(ロシアで出したらリジェクトされるだろう) ロシアの税関申告書を出してみたけど、 「これはロシアのだから、ダメだ」
お、ロシアのは関係ないのか、ロシアはふゆきのミスだけど、 ウクライナだったら理由はあるぞ!
「だってウクライナは税関がなかったんじゃないか!」
「・・・・ あなたは法律を守らなかったんだからこっちはあなたを拘束してもいいんだ」
「・・・・」
「飛行機が飛ぶぞ」
うへー、そうくるか。。。なかなかやるな。
飛行機においていかれたら困る。

ユーロには関心がなかったのか「ドルのみ没収」ということが決まり、 ロシア語の紙に何個もサインをさせられ、ぎりぎりで解放された。 係員たちは、怖そうな顔つきをしているが、嬉しげにも見える。
「没収した金額とか、紙にちゃんと書けよ〜!」と思いながら、 飛行機においていかれたら困るから、言われたとおりサインした。 何か怖い書類だったらどうしよう?とも思ったが、 読めないのでどうしようもないし、 早くサインしないと飛行機が飛んでしまう。

このときのお金チェック方法について。
全てのカバンを開け、カバンのポケットはもちろん、カバンの中に入っている、 ポーチの中や、水着の中や、服のポケットを全部あさる。 靴下を脱げと言われ、靴の底をはがし、 個室に連れて行かれ、パンツを脱げと言われる。 もちろんボディチェックをしたのは女性だけどね。

ウクライナの人には悪いけど、 没収したお金の一部は係官の懐に入るんじゃないかと思ってしまった。 だから(人情として)彼らの努力もわからないでもないけれど、 これは、本当にわたしがイギリスで働いた報酬として受け取っていたお金で、 持ち込んだお金を使わずにそのまま持って帰るだけなわけ。 彼らは自分たちの「法律」について、ちょっとでも疑問に思わないのだろうか、とか、 考えてしまった。

昔は日本も外貨持ち出し制限をしていた。 ウクライナも本当に外貨を持ち出されては困るから法律を作ったのだろうけれど、 実は 「外貨を正当な理由をつけて没収する方法」として作られた決まりなんじゃないか?とさえ、 ふゆきのような立場だと、思ってしまう。

その後、旧ソ連の国に入国する時には、 必ず税関申告をするようになったのは言うまでもない。

とにかく、申告したよりも多く持ち出してはならないのだから、 きちんと申告したほうがよい。 申告金額を金額を見て「たくさん持ってるじゃん」と、 賄賂を請求してきたりはしない。 旧ソ連でも上限がゆるい国は多いみたいなんだけど、 でも、申告しておくにこしたことはない。

後味の悪いウクライナ出国だった。

オデッサで見つけた怪しい寿司屋



西側にて

ウィーンの空港に到着し、ほっとした。
慣れた西側でちょっと休憩。
ウィーンの街に入り、ホテルに入り、お風呂に入り、2ヶ月ぶりに和食を食べた。 そういえば、キエフの町には和食屋さんはいっぱいあったけど、 行かなかったのよね。

ロシアとウクライナで張りつめていた気がとけたのか、 おなかが痛くなった。 ロシアとウクライナでは、常に誰かに弱みにつけこまれるんじゃないかという 恐怖があった。 税関申告書をちゃんと持っていなかったせいかもしれないんだけど。
「自由」って「信頼できること」なんじゃないかと思った。

ボディチェックを受けた時に来ていた服は、全部捨てて、 ウィーンで、新しい服と靴を買った。

ザルツブルグに行く前に、ウィーン西駅でぼやっとお茶をしていたら、 MARIMOさんが自転車に乗って現れた。
ノートパソコンは、ウィーンから普通のエアメールで日本に送った。
パソコンは壊れずちゃんと無事に到着していた。

この後も、ふゆきの旅行はもうちょっと続くんだけど、 かおるさんより一足先にウクライナは終了。

ウクライナの感想:
ウクライナは1人よりも2人で行く所。
旧ソ連に慣れてから行ったらもっと楽しかったかもしれない。
ロシア語は必須。
黒海沿岸ならブルガリアが良い。

にぎやかな夜

しばらくすると、どやどやと人の気配がした。 コンパートメントに入ってきたのは、小学生ぐらいの男の子を連れた女性2人組。年かさの女性のほうが、流ちょうな英語で親しげに話しかけてきた。 アメリカに2年滞在したことがあるのだそうだ。

今日のクシェットには梯子がある

今夜は彼女と息子さんが私のコンパートメントで、 もう1人の女性(=妹さん)は隣のコンパートメントになってしまったのだそうだ。
「だったら、 妹さんもこっちに来れますよ。私の友達は予定が変わって、この電車には乗らないことになったんです。彼女の切符もほら、私が持ってるから、このベッドに誰か別の人が来るということはあり得ないんです。車掌が来ても、知らんぷりしていてあげますよ。」
私がこう言うと、彼女は大喜びして、隣のコンパートメントから妹さんを呼んできた。 妹さんは独身、彼女自身は離婚して現在独身。
「あなたも独身なの? じゃあ、みんな一緒ね」

お母さんはいたって元気だが、隣の息子さんはだるそうだ。時々咳をしている。 彼女たち3人は、オデッサで2週間の休暇を楽しんだのだが、 最後の最後になって、12歳の彼が熱を出してしまったのだそうだ。
「はしゃぎ過ぎたのね。毎日暑かったし」
そう言いながら、彼女は荷物の中から注射器を取り出してきた。 何事かとびっくりしていると、 男の子のお尻を出させて、 慣れた手つきで、注射した。 こんな揺れる電車の中で注射するなんて。万が一、注射の最中に針が折れたりしたら、大変なことになるだろうに。 私は思わず訊いた。
「お医者さんでいらっしゃるんですか? それとも、ウクライナでは、誰でも自分の子供に注射をすることができるのですか?」
注射のしかたを知っているのかということのみならず、 法律上、専門家でなくても気軽に注射器を取り扱ってよいのか、ということも知りたかったのだが、私の英語では、そこまでは通じなかったようだ。
「父が医者なんです。だから、注射のしかたを教わったのよ」

やがて、車掌が来た。 切符を1枚だけ見せ、知らんぷりをきめこんでいると、 なにやらごちゃごちゃとウクライナ人同士で話している。 車掌は「この席は予約が入っているのだから、1人は隣のコンパートメントに行け」とか言っているのだろう。 のんきに構えていたら、突然、車掌がこっちに顔を向けた。 なんだか怒ってる。何言ってるのかわからないけど、とにかくすごく怒ってる。がんがん怒鳴ってる。
「もう1枚の切符を見せろって」
はあっ? きょとんとしていると、なおもしつこくわめき続けるので、 仕方なしに切符を出すと、車掌はそれを持っていってしまった。

「あ〜あ、ばれちゃった。車掌がいるとき、『この人(=私のこと)が空いてるベッドの分の切符を持っているけれど、 車掌には何も言わないって言ってくれたから、わかりゃしない』って、妹に言ったのよ。・・・ウクライナ語でね」
大爆笑。
「車掌ったらね、キャンセルがあったらその切符を次の駅で待ってる人に売るんですって。あいつはマフィアよ。マフィア!」
妹さんと声を揃えて「マーフィア!」と繰り返す。
ふうん。その程度のこともマフィアと言うのか。日本人が「マフィア」という言葉に抱くイメージとはずいぶん違う。 時折り、旧ソ連圏のマフィアのことがニュースになるが、 そういうニュースも割り引いて聞かなくちゃならないのかもしれない。

男の子の具合がよくないので、私たちはほどなく眠る体勢に入った。 空気がこもることを気にかけてだろう、コンパートメントのドアを開けたままにしていいかと訊かれた。 もちろんかまいませんよと私は答え、目を閉じた。

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