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文体について

文体という感じでもないのですが・・・。もっとぴったりくるタイトルは無いかなあ。。。

一つの指輪のいわれ   トム・ボンバディルの歌   じゅうの詩
ゴラム(ゴクリ)の台詞(超長文です)


1.一つの指輪のいわれ

一番有名な、 「1つの指輪」のいわれについての言葉です。

原作 フランス語版 瀬田訳
Three Rings for the Elven-kings under the sky,
Trois Anneaux pour les Rois Elfes sous le ciel,
三つの指輪は、空の下なるエルフの王に、
Seven for the Dwarf-lords in their halls of stone,
Sept pour les Seigneurs Nains dans leurs demeures de pierre,
七つの指輪は、岩の館のドワーフの君に、
Nine for Mortal Men doomed to die,
Neuf pour les Hommes Mortels destines au trepas,
九つは、死すべき運命(さだめ)の人の子に、
One for the Dark Lord on his dark throne
Un pour le Seigneur Tenebeurex sur son sombre trone
一つは、暗き御座(みくら)の冥王のため、
In the Land of Mordor where the Shadows lie.
Dans le Pays de Mordor ou s'etendent les Ombres.
影横たわるモルドールの国に。
One Ring to rule them all, One Ring to find them,
Un Anneau pour les gouverner tous. Un Anneau pour les trouver,
一つの指輪は、すべてを統(す)べ、一つの指輪は、すべてを見つけ、
One Ring to bring them all and in the darkness bind them
Un anneau pour les amener tous et dans les tenebres les lier
一つの指輪は、すべてを捉えて、くらやみのなかにつなぎとめる。
In the Land of Mordor where the Shadows lie. Au pays de Mordor ou s'etendent les Ombres.
影横たわるモルドールの国に。

原作は脚韻を踏んでいます。(同一の語("lie"と"them")の 繰り返しを韻と呼ぶべきなのかどうか、疑問も残りますが)
フランス語版はとても忠実な訳ですが、 前半は韻を踏んでいません。
後半は韻を踏んでいるところが2組有るけれど、 そのうち1組は同一の語"Ombres"の繰り返しなので、 本当の意味での脚韻は"trouver"と "lier"だけです。
フランス語版においては、 他の詩についても、脚韻はほとんど無視されています。(例外はトム・ボンバディルの歌ぐらい。それだって 韻を踏んでいるのはごく一部のみ。)
フランス語の詩も、英詩同様、脚韻を踏むものなんですけどね。というか、 「脚韻を踏んでいないと詩に見えない」というくらい、脚韻は基本中の基本です。
でも、 脚韻も考慮しつつ、なおかつ意味も正しく訳すのは難しいんでしょうね・・・。

「瀬田訳だって韻は踏んでいないじゃないか」 と言われてしまうかもしれないけれど、 日本語の詩において、韻は(英仏の詩ほどは) 一般的ではないと思うのです。
記憶をたどってみても、国語の授業で、 「こことここは脚韻を踏んでいます」という説明を受けたことは、ほとんど無かったような。 頭韻の方はたまにあったような気がするけれど。

ところで、最近流行っているラップ、 あれは日本製の歌でも、ちょいちょい脚韻を踏んでいますよね。 オババは年寄りで感覚が古いので、 音楽の3要素(メロディー、リズム、ハーモニー)のうち、 最も魅力的な要素はメロディーだと思ってます。 だから、メロディーを切り捨ててしまったラップは、 好みではありません。 それどころか、あれは音楽の退化である!!と叫びたいくらい。 それでも、 たたみかけるようなラップの脚韻がテレビから聞こえてくると、 思わず耳がダンボになってしまいます。 あれは英語のラップの影響なのでしょうね。

話が脱線しすぎですね。失礼いたしました。。。

さて、日本語の韻文において、 脚韻よりもはるかに一般的、かつ効果的な技法は何でしょう?
それは拍数を 整えることです。 五七五とか七七とかいう、例のあれです。 実際、瀬田訳には拍数に対する細かい気配りがあります。 (瀬田貞二氏は俳句をなさっていたそうなので、 そのあたりはお手のものだったことでしょう。)

まず、5拍と7拍は以下の通り。

    「空の下なる」=7拍
    「エルフの王に」=7拍
    「岩の館の」=7拍
    「九つは」=5拍
    「人の子に」=5拍
    「暗きみくらの」=7拍
    「冥王のため」=7拍
    「影横たわる」=7拍

また、7拍というのは、その後に1拍分のポーズ があるので、実質的には8拍なのです。 したがって、8拍も(字余りとはいえ)比較的心地良い拍数なので、

    「九つは(=5拍)」「死すべきさだめの(=8拍)」 「人の子に(=5拍)」

のあたりは、とってもいい感じです。
(5拍の後にも1拍分のポーズがあるけれど、6拍が それほど心地良くないのは不思議です。)

「一つの指輪は」 も8拍です。
このあとに続く、 「すべてを統べ」は6拍という、 中途半端な拍数ですが(白状すると、「統べる」なんて 言葉、この本を読むまで知りませんでした。(汗))、 次の「すべてを見つけ」が7拍、「すべてを捉えて」が8拍、 というように、1拍ずつ増えていくことにより、 自然に盛り上がっていきます。 (「すべてを捉え」ではなくて、あえて 「すべてを捉え」 としているところがポイントです。)
ピンとこない方は、ぜひ声に出して読んでみてください。

    「ひとつのゆびわは すべてをすべ
     ひとつのゆびわは すべてをみつけ
     ひとつのゆびわは すべてをとらえて」

ね、この盛り上がってきたでしょう?
この盛りあがりがあるからこそ、次の

    「くらやみのなかに つなぎとめる」

が生きてくるのだと思います。

やっぱり瀬田訳は大したものです。

気が付いたら、 フランス語版でなくて、 瀬田訳の分析がメインになってしまいました。(^_^;)





2.トム・ボンバディルの歌

トム・ボンバディル登場のときの歌です。

原作 フランス語版 瀬田訳
Hey doll! merry doll! ring a dong dillo! Hola! Viens gai dol! sonne un donguedillon! そら、ラン! 楽しや、ロン!
ラン、ロンと鳴らせ! 鐘を。
Ring a dong! hop along! fal lal the willow! Sonne un dong! Saute! fal lall le saule! うて、ドン! とべ、ポン! 
さやさやなるは、柳。
Tom Bom, jolly Tom, Tom Bombadillo! Tom Bom, gai Tom, Tom Bombadillon! トム、トム、陽気なトム・ボンバディル。

原文の弾むようなリズムを残しながら翻訳するのは、非常に難しいことなんでしょうね。
瀬田訳もフランス語版も、かなり音読しにくいです。
トム・ボンバディルもつまづいてしまいそう。

1行目と3行目の最後、英語の"o"に対応するところが、 フランス語版で"on"になっているのが目を引きます。
フランス語において"o"の音で終るのは、よっぽど座りが悪くて、 我慢がならないものなんでしょうかね。
なにしろ、フロドン、ビルボンですから。。。。







3. じゅうの詩

実を言うと、詩は読み飛ばすという悪癖のある私。(汗)
でも、この詩は 「嘘じゃないぞう」が印象的なので、 なんとなくしみじみ読み直して、原作とフランス語版を眺め回していたら・・・ 妙なことに気が付きました。

全部書くと長くなりすぎるので、関係のある後半だけにします。

当然のことながら、原語はきちんと脚韻を踏んでいます。 2行ずつ、行の最後の音が同じ。下線は引かないけれど、じっくりご覧ください。

原作 フランス語版 瀬田訳
I stump round and round, Je marche lourdement, toujours, toujours, わしはのそりのそりと歩き回り、
Never lie on the ground, Sans jamais me coucher sur la terre, 死ぬときでさえ、
Not even to die. Pas meme pour mourir. 地面にはない。
Oliphaunt am I, Je suis l'oliphant, わしは、じゅうだ、
Biggest of all, Le plus grand de tous, この世の最大のもの、
Huge, old, and tall. Enorme, vieux et haut. 堂々と、老いて、山のよう。
If ever you'd met me Si jamais tu me rencontrais, 一度でもわしに出会ったら、
You wouldn't forget me. Plus tu ne m'oublierais. 忘れようとも忘られぬ。
If you never do, Si tu me vois jamais, 一度も見なけりゃ
You wouldn't think I'm true; Tu ne me croiras pas reel; わしがいると思われぬ。
But old Oliphaunt am I, Mais je suis le vieil oliphant, だけど、わしは老いたじゅうだ。
And I never lie. Et je ne me couche jamais. じゃないぞう。

赤で表記したところがポイント。 "lie"という動詞が2回出てくるのです。
最初の"lie"は「横たわる、寝る」。
最後の行の"lie"は「嘘をつく」の意味。 2行上の"true"(青で表記)と対比されていることからわかります。 だから瀬田氏は「嘘じゃないぞう」と訳したんですね。
これはトールキンの言葉遊びです。
それなのに、フランス語版では、 どちらの"lie"も"me couche(r)"(=横たわる)と訳されています。
わかっていて、あえてそう訳したいう感じではありません。 他の部分はすべて意味を忠実になぞっているのに、ここにだけ特別な工夫をほどこすはずがない。 第一、そんなことをしても、別に何の効果もない。これは誤訳です。
日本人にわかるようなこんな単純なミスをするなんて、しっかりしてちょうだいよお。。。







4. ゴラム(ゴクリ)の台詞

ゴクリ言葉、これを避けて通るわけにはいきません。 わかっちゃいるんですが、これが難しい・・・。
この項に関しては、自信無いことがかなりたくさんあります。 変なところがあっても、どうかあんまり突っ込まないでくださいませ。 でも、優しく教えてくださるのは大歓迎です。(^^;;

ところで、なぜゴクリは「ス、ス、ス」と言うのか、ご存知でない方もおいでかもしれませんので、ここで説明しておきます。
"sss"という音は、英語圏の人々にとって、爬虫類のイメージなのだそうです。 (フランス語圏の人々にとっても同じなのだそうです。 もしかしたら、ヨーロッパ系言語圏全般について言えるのかもしれません。)
日本人はその説明を聞いて、ようやく「なるほど」と思う程度で、 「『ス、ス、ス』を読んだとたん、爬虫類だ!とピンとくる」ということは、あまりないんじゃないかと思うんですけどね。 
これは「文化の違いから生じる翻訳の限界」というべきものなのではないでしょうか。

以下は原作・仏語版・日本語版対照表 (1) (2) (3) (4) をご覧になりながら、お読みください。 それぞれについて、何回も言及しているので、最後まで開いたままにしておく ことをお勧めします。
(別ファイルにしたのは、同じ画面で上下にスクロールしなくちゃならないのは見にくいと思ったからです。でも、これもあんまり見やすくないかも・・・。 良い方法をご存知だったら、ぜひお教えください。)

(1)について。
英語の"Ach"は、たぶん"headache(頭痛)"や"toothache(歯痛)" の"-ache"から来て、だから「いてて」になるのでしょう。
でも、フランス語の「いてて」は"Aie"です。 "Ach"じゃ、フランス人はわからないんじゃないかなあ。
あと、"sss"は「ス、ス、ス」より、 「スー」のほうが近いと思うんですけど。。。

(2)の"yes"や(1)の"no"の一言だけをとってみても、英語を日本語に訳す難しさがよくわかります。「はい」「いいえ」じゃお話にならない。 やっぱりここは「そうよ、そうだよ」「なんねえとも」でなければならないわけです。

(2)について。
青で表記したのは、否定表現の誤用です。"not"と"no"の併用。 "not"を使うなら、"any"になるはずですよね? "no"を使うなら、"not"は要らない。
英語のこういう細かい芸を日本語に翻訳するのは難しいけれど、 フランス語でなら、できないことではないはずです。 (否定表現の"ne...pas"と"aucun"を併用するとか。) たまにはそういう工夫をして欲しいのに、 ただひたすら普通に訳しているだけのフランス語版。 正直なところ、オババは不満です。

    [ケルンさんのコメント]
    "not...any"の代わりに"not...no"というのは、英国の労働者階級の話し言葉としてよく見かける表現です。

(2)について。
下線を引いた語は、いわゆる「使役」を表す助動詞。 日本語に直訳すると「〜させる」となるところですが、 「わしらにしどいことさせねえでくれよ」だと、 違う意味になってしまうから、あえてこのようにしたのでしょうね。

(3)について。
冠詞というのは、日本人にとって永遠の謎ですが、 イタリック体の定冠詞"the"が付いた"Gollum"があります。
フランス語では、ただ同じようにイタリック体の定冠詞"le"と付けるだけで、事足りてます。楽でいいわねえ。
日本語に訳すのは、とっても難しい。「ゴラムさま」か。なるほど。

    [ケルンさんのコメント]
    The Gollumを「ゴラムさまよ!」としてあるのは、ちょうど the King というのと同じですね。「一人しかいない王様」とか、「ひとつしかない地球」を表すtheですね。

(4)の「つ、つ、つち!」はゴクリの台詞の中でも、 特に印象的なものですよね。
原作では何という単語なのだろうと、好奇心に駆られて調べてみたら、 "dust"だったので、ちょっとびっくりでした。(@_@)
フランス語の"poussiere"はもともと"s"が2つある単語だから、 ただそのまま使っています。楽でいいわねえ。 せめて"s"を3つにしようぐらいのこと、思わなかったのかしら。。。

    [ケルンさんのコメント]
    「死んで土になる」 旧約聖書の創世記3章9節をなぞっているのではないでしょうか。
    "die into dust"そのままではなくて、"Dust thou art, and unto dust shalt thou return"という表現ですが。
    [オババのコメント]
    聖書にそんなことが書いてあるんですか!
    慌てて調べてみたら、 創世記の"dust"はフランス語では"sol"(=土壌)と訳されています。あらら。
    もう一箇所、ヨブ記10章9節にも「土くれとして私を造り、塵に戻す」というのがありました。 この部分なら、「塵」は英語では"dust"、フランス語では"poussiere"になっています。よしよし。
    ついでに、友人に頼んでイギリス人にリサーチしてもらいました。
    「"die into dust"に類する表現は、葬式で埋葬の際に使われる」とのこと。ふむ。「聖書に書いてあるのか」という質問に対しては「聖書を読んだことがない」という答えだったそうな。。。

なお、(4)の 下線を引いた部分のフランス語版は誤訳です。
これだと「poussiereの中で死ぬ」という意味になってしまいます。
「死んで土になるよ」の正しい訳は"mourrons et deviendrons poussiere"。
英語の"into"に対応するフランス語の前置詞は"en"ですが、 「死ぬ」という動詞と一緒に"en"を使うのは無理のようです。

原作のゴクリ言葉について。
よけいな"s"のうち、 (2)の"jumps"と(3)の"wants"の"s"は「三単現の"s"」だから、単なる「訛り」ではありません。文法的な誤用ですね。 特に(3)のほうは、 自分のことを二人称の"we"で語るだけでなく、動詞の人称語尾まで間違えることにより、ゴクリの精神状態(人格認識?っていうのかな?)の混乱が、 端的に現れているのではないか・・・などと、深読みしたくなります。 動詞の語尾の"s"こそが、ゴクリ語の神髄なのではないかという気さえしてきます。
フランス語では、そういう芸当はできません。 違う人称の活用語尾を使ったら、 わけがわからなくなってしまうからです。
日本語の場合は人称変化自体が存在しないから、訳出することは不可能です。 瀬田氏は、「ほしいよお」の「お」の字に、せめてその匂いをこめようとした のだろう・・・というのは、完全にオババの妄想、たわごとです。(^_^;)

    [ケルンさんのコメント]
    一人称に三単現の"s"をつけるのでまず思い出すのは、英国の労働者階級の話し言葉。("my"のかわりに"me"と言ったりもします。)労働者言葉として有名なのはロンドンの下町のコックニーだけど、他にも農民やら炭鉱労働者やら、英国の小説にはよく出てきます。
    ゴクリは、途中から二重人(?)格になって自分のなかで言い争いを始めたりするので、その錯乱ぶりと労働者言葉で二重の効果を持たせているのかな?と思ったりします。

フランス語版におけるゴクリ言葉について。
(1)〜(4)全体を見てみると、 (1)において、英語の"risk"に当たる語"risquer"の真ん中の"s"を、原文に習って"ss"にしていることと、 (2)において、 "s"で始まる単語のうち、3つを"ss"にしていることがわかります。 ただそれだけ。(3)と(4)には"ss"に変えたところは1つもない。実にあっさりしたものです。 どういう語を選んで"ss"にしているかは、後で述べます。

* * * * * * * * * * *

さて、ゴラムは 「"precious"を"preciouss"と訛って言う」というのが定説(?!)ですが、 こうやってじっくり読むと、たいていの場合は、普通に"precious"と 発音していることがわかります。

ところが、瀬田訳では、必ず「いとしいと」になってます。
「ひ」を「し」と間違える人は、常に間違えるのであって、 なにかの拍子に正しく「ひ」と発音することもある、ということが、あまり考えられないからなのでしょう。 正しく発音しようとするあまり、「し」と言うべきところを「ひ」と言ってしまうことのほうが、ありそうだけど、 そこまでやったら、読んでいてわけがわからなくなりそうです。

・・・・・そういえば、「ひ」を「し」と発音するのは江戸弁ですよね。
「いとしいと」を思いついたの、 周囲に江戸弁を話す人がいたからなのかも・・・。
瀬田氏は東京の下町にあった、旧制府立3中(現・両国高校)の国語の先生だった。
ひょっとしたら、彼自身が江戸弁だったのかも・・・とも想像したのですが、瀬田氏が生まれ育ったのは山の手の本郷でした。(河出書房新社編「指輪物語完全ガイド」より) 
でも、もしも瀬田氏が関西の人だったら、「いとしいしと」という訳語は生まれなかったかもね。。。

脱線しました。話を元に戻しましょう。

「す」と「し」に関しても、普段は「し」と発音する人が、時と場合によっては、正しく「す」と 発音する、ということも想像しにくい。
っていうか、 ところどころに「す」を残すと、訳し落としたように見えかねないのかも。
もっとも、「メアゴル」はあくまでも「スメアゴル」であって、「メアゴル」にはなってないけれど。(苦笑)

と、ここまで書いて、「二つの塔」の下巻を読み直したら・・・
があああああん!!!
「しどくる」と言ってるところがある。。。 新訳文庫版42ページの3行目です。
いったいどうしてなんでしょう? 瀬田氏が見落としたんでしょうか? それとも、「しどくる」はいくらなんでもわかりにくいと考えて、あえてそうしたのでしょうか? オババにはわかりません。。。(@_@)

もう1カ所有りました。

危ないよ、そうよ、危ないよ。やけどさ、焼き殺、それに敵を連れてくる。(新訳文庫版131ページの2行目(「香り草入り兎肉シチュー」の章))

これは、あえて「す」を生かした例ですね。 いくらなんでも「し」に置き換えるわけにはいきませんから。

考えてみたら、「す」を「し」と発音すること自体、かなり珍しい。
「す」が「しゅ」になるほうが普通ですよね。 (ゴクリは「普通」じゃないんだけど。)
もしかして、瀬田氏も、最初は「しゅ」にしたかったんじゃないかな、なんて 思ったりもします。(日本人の語感では、「シューシュー」のほうが、爬虫類っぽいような気もするし。)もしかして、サ行は「しゃししゅしぇしょ」にしようか、 という考えもあったかも。でも、そこまでやったら読みにくくなってしまうし、 「〜しゅる」だと、ものすごく子供っぽくて可愛らしくなりすぎるような。 「〜しる」も、どっちかというと子供っぽいですけどね・・・。
以上のような理由から、最終的に「す」を「し」に、「ひ」を「し」にするだけにとどめたのです。
・・・・・というのは、オババの妄想ですので、どうぞ忘れてください。(^^;;

話を元に戻します。しょっちゅう脱線してごめんなさいね。

英語やフランス語の"s"を強く発音して"ss"と言う癖を持つ人がいた場合、 時と場合によっては、正しく"s"と発音することがあっても、不自然ではないのでしょう。
じっくり読んでみると、原作ゴラムが "ss"と発音するのは、特に強調したかったり、緊張したりして力が入るときだけのようです。 そのことがよくわかる例は、(2)の最後の"yes, yess"です。
フランス語版もそういう配慮をしている感じがします。 ありとあらゆる"s"を"ss"にしているわけではなく、 力をこめそうな単語だけが"ss"になっています。

それに対して、力をこめたときだけ「す(su)」が「し(shi)」になる、ということは、音声学的に、あり得ません。(たぶんね。)
[sh]という子音と、[s]という子音を比べた場合、 緊張度が高いのは[s]のほうだからです。(これは確かです。) そういう意味から言っても、いったん「す」を「し」に変える、という 方針に決めた以上、強調されていようがいまいが、(一部の例外を除いて)ありとあらゆる「す」を「し」にしなくてはならなくなったわけで、その結果、瀬田訳のゴクリ言葉は、かなり濃いものにならざるを得なかったのだろうと思います。

以上、ゴクリ言葉が濃くなったことに関する、音声学的考察でした。

* * * * * * * * *

最後の締めは、ゴクリ言葉が濃くなったもう一つの理由です。
でも、これがどうってことないんだな。たぶん、「最後の最後になって、こんなことわざわざ言うなんて。当たり前のことじゃん」とお思いになることでしょう。つまり蛇足です。(自爆) なので、前もって謝っておきます。m(_ _)m ごめんなさい。

日本語において、文章に彩りを与えてくれるのは文末に付くちょっとした一言です。(文法的には「終助詞」っていうのかな?)特に台詞の場合、いつも「〜だ」で終わらせるわけにはいきません。 「〜だよ」「〜だね」「〜だよね」「〜だわ」「〜だぜ」「〜だぞ」「〜だべさ」等々、 何かを後ろに付けないと、話し言葉の体をなさないわけです。 そのときに、何を後ろに付けるかで、その台詞を喋っている人の 印象が、大きく変わります。(それ以前に、「だ・である調」と「です・ます調」のどちらにするか、という大問題もありますけれどね。)

瀬田訳のゴクリ言葉は「〜なのよ」が多いから、 なんとなく「『カワイイ+キモイ』系」っぽい感じがしますが、 決して「『カワイイ+キモイ』系=濃い」ということではありません。 問題は、「何かを文末に付けないと、話し言葉としては不自然になる」という日本語の特質です。 そういう特質があるから、翻訳者は、とにかく何かを付けなくてはならない。 何を付けるかは、翻訳者のセンスに任されています。 そして、何かを付けることによって、日本語の訳文は、 「カワイイ系」「コワモテ系」「紳士系」「朴訥系」等々、 必ず何らかの色合いを帯びたものになるのです。

先ほど、「〜だ」で終えるのは話し言葉としての体をなさない、と言いましたが、実際には、 あえて文末に何も付けずに「〜だ」で押し通すこともできるのは、 日本人である皆さんのご承知のとおりです。でも、 それはそれで、その人物は一種独特な雰囲気を帯びることになるんです。 サムに対するフロドの台詞は、わりと「〜だ」で終わるものが多く、 そこはかとなく「旦那系」のムードが醸し出されてます。
また、いろいろ付けて、そのあとを「〜だ」で締めるというのも、 一つの手です。「〜ですだ」だと、サムですだ。「〜なのだ」だと、バカボンのパパなのだ。(爆)

このように、 各キャラの違いがわかる台詞にするために、 日本語の文末に気を遣うのは、翻訳者にとって、基本中の基本だと思うのです。(気を遣わなければならないのは、文末だけではないけれど。)
文学の場合、そういう訳し分けができていない翻訳は失格だと思います。 戸○サンの手になる映画「LotR第一部」の字幕版が典型的な失敗例。(もっとも あれは、キャラの訳し分け以前に、誤訳が多すぎたんですけど。)

翻訳者に限らず、普通に文章を書くときも、日本語では文末が大事です。 (研究論文みたいな硬い文章の場合は、ちょっと話が違うかもしれないけど。) 特に「個人としての人」に直接向けた文章を書くときは、 文末に神経を払わなくてはなりません。
メールや掲示板のカキコをするときも、文末が重要。 文末にちょっとした配慮を払うかどうかで、 感じ良くも悪くもなります。 時々、ご本人には何の悪意もないらしいのに、「掲示板荒らし」の雰囲気を醸し出す人たちがいますよね。そういう人たちには、往々にして、文末に対する配慮が欠けているという共通点があるような気がします。
・・・・・あらら、また脱線しちゃった。。(^^ゞ

どうせだから、脱線ついでに、この際、言いたいことを言っちゃいます。(自爆)
英語と日本語のように、 系統の異なる言語間の翻訳は、 単なる「単語の置き換え」ではなく、 むしろ、一種の「創作活動」なのです。 これは「うまく訳せないところをごまかす」ということではありません。 それほどまでに、翻訳者個人の力量に任された部分が大きいという、 ほんとうに大変な仕事なのです。
それに比べたら、英語をフランス語に翻訳する 労力なんて、おそらく10分の1か、20分の1以下で、(数量化できる問題じゃないんだけど。) 東京弁を大阪弁に翻訳するのと大差ありません・・・ っていうのはちょっと極端すぎるけど。
日本の優れた翻訳者は、もっと尊敬されるべきだし、 優れた翻訳は、もっと大切にされるべきなんじゃないでしょうか。 (「有名な翻訳者=優れた翻訳者」であると勘違いされやすい、という問題もありますが、それはまた別の話。そういうことはどの業界にもありますしね。)

* * * * * * * * * *

ごちゃごちゃ書き連ねてしまいました。
最後までおつきあいくださった方、どうもありがとうございます。

結論:
確かに瀬田氏のゴクリ言葉は、 ちょっと濃い。でも、 ゴクリという、卑小で哀れなキャラを明確に表現するためには、 濃くならざるを得なかった。 そして、そうならざるを得なかった要因は、日本語の特質と深く結びついているのです。

「それだけのために、こんなに長々と書くな」っていう声が聞こえそう。。。(汗)

「これ以外のゴクリ言葉はあり得ない」とまでは言いません。
でも、これを越えるゴクリ言葉を作り上げるのは、至難の業でしょうね。


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